孫崎 享 さんの記事です:
Date: Fri, 18 Sep 2015 09:22:25 +0900
Subject: 安保関連法案強行採決。東京新聞社説が一番。琉球新報社説も。勿論読売論外「元気、次世代、改革賛成意義は大きい」馬鹿すぎる

いくつかの社説を呼んだ。集団的自衛権等、東京新聞は一貫して問題点を指摘する紙面を作ってきた。それが社説にも表れている。


 沖縄では、沖縄県民の反対にもかかわらず強引に辺野古移転をしようとする安倍政権には厳しい目を向けてきている。したがって、ひるむことなく核心をついている。


A:東京新聞 「違憲」安保法制 憲法を再び国民の手に


政府が憲法解釈を勝手に変えてしまえば、国民が憲法によって権力を律する「立憲主義」は根底から覆る。憲法を再び国民の手に取り戻さねばならない。


 安全保障法制をめぐる安倍政権の強硬姿勢は最後まで変わらなかった。国会周辺や全国各地で響きわたる「九条壊すな」の叫びに、耳を貸さなかったようだ。


 他国同士の戦争に参戦する「集団的自衛権の行使」を法的に可能にするのが安倍政権が進める安保法制の柱である。多くの憲法学者らがどんなに「憲法違反」と指摘しても、安倍内閣と与党側は「合憲」と強弁し続ける傲慢さだ。


◆歴代内閣が見解踏襲


 そもそも集団的自衛権の行使を「憲法違反」としてきたのは、ほかならぬ政府自身である。


 戦後、制定された日本国憲法は九条で、国際紛争を解決するための戦争や武力の行使、武力による威嚇は行わないと定めた。


 日本国民だけで三百十万人もの犠牲を出し、近隣諸国にも多大な損害を与えた先の大戦に対する痛切な反省に基づく、国際的な宣言でもある。


 その後、実力組織である自衛隊を持つには至ったが、自衛権の行使は、日本防衛のための必要最小限度の範囲にとどめる「専守防衛」政策を貫いてきた。


 一方、国連憲章で認められた集団的自衛権は有してはいるが、行使は必要最小限の範囲を超えるため、憲法上、認められないというのが、少なくとも四十年以上、自民党を含む歴代内閣が踏襲してきた政府の憲法解釈だ。


 この解釈は、国権の最高機関である国会や政府部内での議論の積み重ねの結果、導き出された英知の結集でもある。一内閣が恣意(しい)的に変えることを許せば、憲法の規範性や法的安定性は失われる。そんなことが許されるはずはない。


◆「禁じ手」の解釈変更


 しかし、安倍晋三首相の内閣は昨年七月の閣議決定で、政府のそれまでの憲法解釈を変更し、違憲としてきた集団的自衛権の行使を一転、合憲とした。


 集団的自衛権を行使しなければ国民の生命や財産、暮らしが守れないというのなら、その賛否は別にして、衆参両院でそれぞれ三分の二以上の賛成を得て改憲を発議し、国民投票に付すのが憲法に定められた手続きだ。


 その労を惜しみ、憲法そのものではなく、閣議決定による解釈変更で、それまで「できない」と言い続けていたことを一転、「できる」ようにするのは、やはり「禁じ手」だ。憲法軽視がすぎる


 首相は、徴兵制は憲法が禁じる苦役に当たるとして否定したが、一内閣の判断で憲法解釈の変更が可能なら、導入を全否定できないのではないか。現行憲法が保障する表現の自由や法の下の平等ですら、制限をもくろむ政権が出てこないとも限らない。


 政権が、本来の立法趣旨を逸脱して憲法の解釈を自由に変えることができるのなら、憲法は主権者たる国民の手を離れて、政権の意のままに操られてしまう。


 国民は、一連の国政選挙を通じて安倍首相率いる自民党に政権を託したとはいえ、そこまでの全権を委任したわけではない。


 報道各社の直近の世論調査でも依然、安保関連法案への「反対」「違憲」は半数を超える。今国会での成立反対も過半数だ。


 首相は十四日の参院特別委員会で「法案が成立し、時が経ていく中で間違いなく理解が広がっていく」と語った。どんな根拠に基づいて決めつけることができるのか。


 国会周辺をはじめ全国各地で行われている安保関連法案反対のデモは収束するどころか、審議が進むにつれて規模が膨らんだ。


 憲法破壊に対する国民の切実な危機感に、首相をはじめ自民、公明両党議員はあまりにも鈍感ではないのか。


 憲法はもちろん、国民のものである。特に、膨大な犠牲を経て手にした戦争放棄の九条や国民の権利を定めた諸規定は、いかなる政権も侵すことは許されない。


◆絶望は愚か者の結論


 私たちは違憲と指摘された安保関連法案の廃案を求めてきた。衆院に続いて参院でも採決強行を阻止できなかった自らの非力さには忸怩(じくじ)たるものがある。


 しかし、今こそ、英国の政治家で小説家であるディズレーリが残した「絶望とは愚か者の結論である」との言葉を心に刻みたい。


 憲法を私し、立憲主義を蔑(ないがし)ろにするような政治を許すわけにはいかない。ここで政権追及の手を緩めれば権力側の思うつぼだ。


 憲法を再び国民の手に取り戻すまで、「言わねばならないこと」を言い続ける責任を自らに課したい。それは私たちの新聞にとって「権利の行使」ではなく「義務の履行」だからである。


B:琉球新報「安保法案可決 道理なき違憲立法だ 今国会成立は許されない」


 70年間、国としてただの1発も他国に向けて撃たなかった誇るべき歴史がついえようとしている。


 国会議事堂前に市民の抗議が響く中、与党は参院平和安全法制特別委で安保関連法案の採決を強行した。委員長が何を発言したか、何が起きているか分からない採決劇だった。民主主義が崩れる光景を目の当たりにした思いだ。


 与党はきょう参院本会議で採決し、成立させる構えだが、専門家の多くが違憲と断言する法案だ。立法事実も法的安定性も怪しい。どこをどう見ても道理の通らぬ違憲立法なのである。このまま今国会で成立させてはならない。


撤回に次ぐ撤回


 それにしても、前々日、前日の公聴会は何だったのか。そこで出た疑問や意見について何ら審議がないままの強行採決だ。これでは公聴会は「国民の声を聴いた」と装うためのアリバイにすぎない。 


 特別委の鴻池祥肇委員長は職権で「締めくくりの総括質疑」開会を決めた。職権で決めるなら議論は要らないし、そもそも委員会自体が不要である。言論の府が自ら存在意義を否定したに等しい。


 法案をめぐる政府答弁のずさんさは目に余った


 自衛隊が他国へ出て機雷掃海をするという。安倍晋三首相は、5

月には中東のホルムズ海峡封鎖を挙げたが、9月になると「ホルムズ海峡封鎖は想定していない」と言い始めた。首相は「日本人母子を乗せた米国軍艦の護衛」も持ち出していたが、中谷元・防衛相は「(米艦防護は)邦人が乗っているかは絶対的なものではない」と言い出した。それならなぜ自衛隊が他国で活動するのか。必要性を裏付ける「立法事実」は存在しないと白状したに等しい。


 公聴会で公述した学生団体「SEALDs(シールズ)」の奥田愛基氏はこう述べた。「前日の答弁と全く違う説明を翌日には平然とし、国会審議は何度も速記が止まるような状況で、一体どうやって国民は納得したらいいのか」。まさにその通りである。


 中谷氏の答弁は撤回に次ぐ撤回だった。だがそれを一閣僚の資質の問題に帰していいのか。


 憲法審査会で出席した憲法学者全員が違憲と断じ、元内閣法制局長官も憲法逸脱と指摘すると、首相は「違憲立法かどうか最終判断は最高裁が行う」と強弁した。だがその最高裁の元長官が違憲と言うと、今度は中谷氏が「引退した私人の発言」と述べた。


 法案がおよそ合理性を欠き、筋の通らぬ苦しい説明を終始余儀なくされたからこそ、後で撤回するレベルの答弁をしないといけなかったのではないか。


論証の欠如


 この法案は、日本が攻撃を受けていないのに、他国へ出向いて軍事力を行使できるようにする法案だ。あるいは他国に武器弾薬を提供し、戦闘機の燃料も補給する。普通はこれを参戦と呼ぶ。常識的に考えて、戦争に巻き込まれる危険性が跳ね上がるのは明らかだ。


 政府は「戦闘に巻き込まれることはない」と繰り返すだけで、なぜ巻き込まれないのか、具体的な論証をまるで欠いていた。


 歴代政権が否定した集団的自衛権行使を、一内閣の判断でなぜできるのかも、説得力ある説明はついぞ聞かれずじまいだ。となると論理的には、別の内閣では逆の判断も可能ということになる。まさに法的安定性の欠如だ。これでは法治国家でなく人治国家である。


 首相は「決める時には決めるのが民主主義のルールだ」と述べる。総選挙で信任を得たと言いたいようだ。だが国民は生死に関わる権能を与党に白紙委任した覚えはない。数を頼んでの強行採決は民主主義のあるべき姿ではない。


 世論調査では一貫して国民の過半数が反対である。「国民の理解が得られてない」というのは間違いで、むしろ専門家も国民も、政府の説明の結果として反対なのである。結論は明らかだ。この法案は廃案にするほかない。


 安保関連法案、強行採決か。国民の多数が反対、専門家が「違憲」、強行採決は行うべきでない。


C 沖縄タイムス(米国の影響に関する部分)


大森政輔・元内閣法制局長官は、8日の参考人質疑で、違憲だと指摘した。


 そんな法案が参院の特別委員会で可決されたのである。 憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認は、安倍晋三首相のブレーンだった外務省出身の岡崎久彦氏(故人)が、早い段階で安倍首相にアドバイスしていた。


 米国の知日派がまとめた「アーミテージ・レポート」も、日米同盟を強固にするためには集団的自衛権の行使が欠かせない、と主張していた。


 日米で表面化した集団的自衛権行使の考えが安倍政権に流れ込み、安保法案という形で具体化したというわけだ。


安倍首相は、国会審議の途中から、中国脅威論を前面に打ち出し、安保法案によって抑止力が向上する、と主張するようになった。そのほうが、国民の理解が得られやすい、と判断したのだろう。


 だが、ほんとうに抑止力が向上するのか。検証するのは難しい。

 「対話」が語られず、「抑止」だけが強調されれば、地域の安全保障

環境は今以上に悪化する恐れがある。


 D読売

・安保法案可決 民主の抵抗戦術は度が過ぎる→議事録 委員

長・・・・・(発言する者多く聴取不能)、こういう決定過程だったのです。


・看過できないのは、民主党が主導して、国会内で連日、度を越した審議妨害・引き延ばし戦術を展開していることである。→福山市の発言に見られるように、福山 哲郎民主党、委員長不信任動議、「何故強行採決をしようとしているのか。討議は時間だけの問題ではない。

首相自身の発言間、首相と防衛大臣等重要論点で見解が異なる。何が政府の立場かわからない。これらが明確になっていない中で、何故審議を閉めようとしているのか」


・安保法案は、日米同盟を強化し、抑止力を高めて、切れ目のない事態対処を可能にするものだ。できるだけ早期に成立させる必要がある。→「中国の脅威は日米安保条約の問題。これまでどこが問題だったか。


・特別委の採決では、与党に加え、元気、次世代、改革の野党3党も賛成した。この意義は大きい。→なんで、意味ないでしょう。・安全保障に関わる法案は、より多くの政党の賛成で成立させることが望ましい。成立した法律の安定的な運用を可能にするからだ。→、元気、次世代、改革が入るとより多くの野党が参加したことになるのかね。



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