新潟遠征後記 しゃちょの日記と浜辺の砂の城
お疲れ様です。
ドトールの新潟遠征、、いや、怒涛の新潟遠征のレポートは昨日、三回に分けて書いたので良かったら読んで下さい。
僕は音楽食堂の、しゃちょ(高橋さん)の日記が好きでよく読むんだ。共感できる時がけっこうあるんだよ。
最新の日記では、死別について書いてた。
以下ばっすい
「痩せたなぁ・・・みどりさん・・・。」病気による自然死なのだから、棺桶の中で眠る[みどりさん]の痩せ具合は当然なのだろうが、その漠然とした感慨に端を発すると、生前の電話口での[みどりさん]の声が何度も何度も蘇ってきて堪らなくなった。
[みどりさん]とは、それ程親しい付き合いがあった訳ではないけれど、それでも感謝しなければならない人の一人・・・。
そういえば、先に逝った[しけちゃん]と最後に会ったのが[キャラメルママ]だったな・・・。
音楽食堂を始めてから、もう何人の人の旅立ちを見送っただろうか・・・。
[あの世]と呼ばれるものが本当にあって、先に逝った人たちに本当に会えるのだとしたら、案外向こうの世界に行くのも悪くないのかなぁ・・・なんてことを時々考える。
[みどりさん]も、そうして、あちら側の世界で待つ人に迎えられ、懐かしい人との再会が出来ていると良いね。
死とは最後の眠り、そして、極めて大きな冒険・・・のような気がした。
、、、本当にそう思う。 僕も向こうの世界に行けることが約束されるなら、真っ先に会いたい人がいる、、
でも、「まだ来ちゃダメだよ」って言われてる、、 そんな気持ちになることがある。
ずいぶん会ってないなぁ~ なんて考える。
まあこちらの世界にいるなら、そりゃ一生会うことはないからねぇ。
そんな思いで、「どっちつかず」という曲を昔書いた。
この曲で、一番好きなフレーズは、
この丘の上
のぼりきった場所に
何が待っているのか
確かめにいこう
という部分。
何も待ってないかもしれないけど、丘にのぼって自分の目で見えた景色を心に刻みたい、、
そんな思いで、生きてるのかもしれない。。
新潟遠征で、寺泊野積海岸を裸足で歩いた、、 波が浜辺に打ち寄せる、、その度に、砂の塊が崩れていく。
SIONの「砂の城」って歌を思い出した。
バックはボガンボスのKYONのアコーディオン&THE GROOVERSという鉄壁のアンサンブルの名曲。
いつもいつも波打ち際に砂の城を作ってしまう。
波が来ないところに作れば、はかなく崩れることはないのに、、。
それでも、崩れて、また作る。
まるで僕のことを歌ってるみたいだ。
この曲の好きなフレーズは、全部だけど、 二番の、
彼女はかわいくてだから好きさ 彼女も抱えてる一人分の夜を
ってところが特に好きだね。
僕も最近作った曲に似たようなことを歌ってるよ。
海とか空とか風とか太陽とか、、 何も語りかけないのに、僕を見透かしてるみたいだ。
SIONのこの歌を聴きながら、寺泊の浜辺を思う今日の夜です。