2017年6月4日(日)

 

日比谷野外音楽堂で、GLIM SPANKY。

 

「おおっ、メジャーデビューするんだぁ」と胸躍らせたのがついこの前のような気もするが、今や野音が満杯。立ち見客もいっぱい。始まる前からちょっとした感慨に浸ってた自分であった。

 

出音的にはいつもより低音が強調され、とりわけドラムの音の響きが強力。ならばヴォーカルももっとあげるべきだっただろう。

 

野音だからといってラフに始めるのではなくスローの新曲「アイスタンドアローン」をオープナーにもってくるあたりの大胆不敵さはいかにもGLIMらしいもので「いいじゃないか」と思った。が、(前半は特に)いつもよりカタい印象。

 

一気に9曲続けたところでようやく初めのMCタイム。それもいつものGLIMのライブのあり方だが、野音のような開放的な場なのだからもう少し早くに言葉が聞きたいと思った人も少なくなかっただろう。そんなところも含め、何かこう自分たちのルールにとらわれすぎてるんじゃないか、もっとそこからはみ出していいんじゃないかという思いがずっとつきまとった。

 

野音だったからそう思った、というのは大きい。中学生の頃から日比谷野音で数々のライブ(軽く3桁)を観てきた自分からするとあそこはなんというか自由の象徴のような場であり、出るバンドは普段のライブよりもバーンと思いきったことをやったり、あるいはリラックスした状態を見せたりして集まった人たちを楽しませる、そんな場所。そういう、何かいつもとは違う“野音ならではのライブ”を自分は当たり前のように期待していたのだ。

 

特別な演出もないしゲストも呼ばない、そういうライブを野音でもやるのはGLIMらしいとも言えるし、それが彼女たちの美意識でありロック感だというのもよくわかっている。が、何らかの部分で「野音ならではだね」と思える要素がほしかった。野音なのだから、もっと自由に、もっと大きく動いて、なんならもっと煽ったりとかもしながら、もっと弾けたところを見せてほしかった。ロックにもいろんな形、いろんなやり方がある…というようなことをレミちゃんはMCで言っていて、それはまったくその通りなんだが、ストイックさだったりスタイルに対するこだわりだったりにとらわれすぎると風がヌケていかない。なのでそのへん、も少し柔軟でもいいんじゃないかと僕は思った。

 

明るい時間に始まって、徐々に日が暮れ、暗くなってからガツンとひと盛り上がり。それが野音でライブを観ることのひとつの醍醐味だが、このライブは暗くなる前にアンコールに突入し、ビカビカの照明が活かされる時間もほとんどなかったのは、スタッフの(この時期の日暮れ時間の)計算の誤りだろう。亀本くんも言ってたが、それこそ「夜風の街」あたりで暗くなっていればそのあとの印象も大きく変わったはずだ。

 

それも要因のひとつかもしれないが、いつものGLIMのライブには必ずある全体を通してのドラマ性のようなものも今回は希薄に思えた。

 

また、新ミニアルバムの5曲全部をセトリに入れてきたあたりは「今の私たちを見て」という主張であり、その分旧曲の割合が減るのは仕方がないのだろうけど、間違いなく野音映えするであろう「リアル鬼ごっこ」や「サンライズジャーニー」をここで聴きたかったという思いも、個人的にはけっこう強くある。レミちゃんのモードがネクスト(=次のアルバム)に行ってるのはMCからもわかったけど、でも……。

 

因みにこのライブでもっとも新鮮さを感じ、自分の気持ちが特に動いたのは、中盤(MC前)でレミちゃんがギターを持たずに歌った「お月様の歌」。このライブで一番印象に残ったのはそれだった。

 

あと、今回改めて感じたのは、亀ちゃんの“何気に大物感”“柳に風的な頼もしさ”でしたw。

 

まあとにかくGLIMの本気はこんなもんじゃないはず。もっとやれるし、もっと行けるはずだろと心んなかでつぶやきながら僕は会場を出たのだった。