『64 -ロクヨン-前編』

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2016年5月20日(金)

渋谷TOHOシネマズで、『64-ロクヨン-前編』。

原作未読、瀧がやってたドラマもまだ観てないけど(録画はしてある)、映画『64-ロクヨン-前編』、非常に観応えがあった。なんというか、 瀬々監督のスピリットを感じたな。

そして佐藤浩市はいつもの佐藤浩市ながら、やっぱり説得力あっていいなぁと(これが新たな代表作になるんじゃないか)。瑛太は前々からどうも好きになれない俳優だったんだが、嫌~な感じがよく出てて初めていいと思えた。小田さんの曲も合ってたように思う。

物語を動かすよりも丁寧な心理描写で見せた感のある前編だったけど、後編は話が大きく動きそうで、楽しみでしょうがない。
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2016年5月19日(木)

新宿ピカデリーで、『バットマン VS スーパーマン ジャスティスの誕生』。

ようやく観る。評判悪いのを知ってて観に行ったのだが、ここまで酷いとは思わなかった。とにかく暗い。ユーモアがない。気持ちがあがらない。どっちにも共感ができない。音楽がいちいち大袈裟。などなど、褒められるところがまるでない。

唯一よかったのはワンダーウーマンの登場シーン。気持ちがあがったのは本当にそこだけでだった。それにしても、なんでこんなことになっちゃったんだろ…。
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2016年5月14日(土)・15日(日)

福岡・海ノ中道海浜公園 野外劇場で「CIRCLE'16」。

初めて行くフェスはワクワクする。しかも福岡。食べ物も美味しい。
ということで、我らは金曜日から前ノリして天神の夜を味わい(屋台、からのソウルバー)、土・日とフェスを楽しんで月曜昼に戻ってきた。

NYに10日間。帰国して2日置き、続いて福岡に3泊。半月の間で家で寝たのが3日間だけ。時差ボケは治ったが、普段は家にこもりがちの人間としては、しばらく疲れが取れなかったものだ(そう考えると、ツアー生活をずっと続けてるミュージシャンとかって、ほんとに凄いな)。

海の中道海浜公園は、戦後、米国の空軍基地としてあったところだそうで、とにかくだだっ広い。緑に恵まれ、とてもいい環境。サザンやドリカムや永ちゃんもここで大規模なライブを過去にやってるそうだが、それも納得。広さ故のゆったりした気持ちよさがあった。しかも1日目は初夏のようだったし、2日目は真夏のよう(最後だけ雨に降られたけど)。

観たのは以下の通りだ。

●DAY1

cero → Suchmos → SPECIAL OTHERS → 二階堂和美 → クラムボン → トクマルシューゴ → UA → ジム・オルーク → LITTLE CREATURES → クレイジーケンバンド。

二階堂和美とUAが素晴らしかった。ニカさんは歌おばけの感あり。「フェス嫌いなんですけど」と言いながらも観客の反応のよさも手伝って歌う喜びが全身からブワっ。感動。久し振りのUAは最高の状態にてステージ帰還。その歌唱表現と曲構成の独自性に改めて感じ入った。まさか聴けると思ってなかった曲も聴けて大満足。単独公演にも行きたくなった。

初っ端のceroも気持ちよく聴いた。この1年だけで彼らのライブを5回も(タイコクラブ、ゼップでのワンマン、フジ、サンプラでのワンマン、スタジオコーストでのオルタナティブトウキョウ)観たが、やはり野外で観るのはいい。続いてのSuchmosはceroと共通する音楽性を持ちながらも、歌詞の行き方が全然違うし、何より歌い手のMCのあり方が真逆。好き嫌いはハッキリ分かれそうだ。僕はと言えば、ヴォーカルの彼のいきがった感じの喋り方がハッキリと苦手。音楽的には嫌いじゃないんだけど……。あれは湘南特有のメンタリティなのかしら。

あと、トリのクレイジーケンバンドは1曲目から「タイガー&ドラゴン」でつかみOK。さすがの安定感。そういや、彼らのライブを観たのは10数年ぶりだった。


●DAY2

ペトロールズ → ハンバートハンバート → SOIL&“PIMP”SESSIONS → キセル → ハナレグミ → 高田漣 → EGO-WRAPPIN' → DJ KAKUBARI → 細野晴臣 → 向井秀徳アコースティック&エレクトリック → METAFIVE。

高田漣とEGO-WRAPPIN'と細野晴臣がよかった。高田漣は父親・高田渡の曲だけを歌うライブ。父親の歌をうたって、父親のことを語って。つまりそれほどまでに父親への(または父親の音楽への)敬愛があるということで、父親知らずの僕は観ながらいろいろ考えてしまった。どんな思いで父親の歌をうたうようになったのか、過去のインタビューを探して読んでみよう。いや、それにしても滋味深い歌。確かにそれは高田渡の曲だが、高田漣が歌えばそれは彼の歌世界として広がっていく。最後はキセルとハンバートハンバート、それから高田渡の友達だったという漫画家のうえゆまとちさんが参加して「生活の柄」。じわっ。

EGO-WRAPPIN'は大きなステージのほうに集まった大勢の観客をノセまくった。圧倒的なフェスバンドとしての圧倒的なステージング。なんであんなにみんなが躍って騒いで盛り上がるのかと言えば、それはひとえに情熱があるからだ。少しも緩めず、あらん限りの情熱をライブにぶつけるからだ。その熱量がみんなを昂らせる。開放させる。やっぱり最高のライブバンドだな、という感を改めて持った。

情熱と言えば、在日ファンクがライブをやってる時間に、小さなスペースでDJをしていたKAKUBARIさんも熱かった。熱さは人を動かし、躍らせる。肝心なのはパッションなのだ。

細野晴臣は「北京ダック」でスタート。「はらいそ」なんかも。バンドアンサンブル(高田漣、伊藤大地ら)は最高レベルだし、話は面白いし。わけても日本で随一のブキウギピアニスト(すみません、お名前忘却)を迎えてのブギウギ曲数曲が最高に粋でかっこよかった。細野さんのライブ、もっと観ておかないとな。ただ、ご自身も言ってたけど、細野さん、ずいぶん痩せてしまったようで、ちょっと心配。

ところでこの2日間は(天気予報からも)絶対雨は降らないと思っていたのだが、向井さんが終わったあたりで急に降り出し、METAFIVEが始まる前にはどしゃ降り。いつもの雨具を用意していなかったので、しばらく避難し、METAFIVEの演奏は遠くから聴くことになったのが残念だった。が、途中で弱まってきたので、思いきってステージ前へ。かっこよかった。CDで聴くよりもグルーヴが際立ち、ライブのほうが10倍いいなと僕は思った。METAFIVEはライブバンドだ。ユキヒロさんの歌もいいが、LEO今井の歌がそれにも増して強く響く。ああ、これぞスーパーバンド。また何かのフェスで観たいものだ。






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『KINKY BOOTS』 / 『BEAUTIFUL』

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5月1日から10日まで、久しぶりにニューヨークへ行っていた(ヨメと一緒に行ったのは今回が初めて)。

時間はたっぷりあったので、美術館巡り(8館も行った)をしたり、ひとに会ったり、初心に戻って観光したり……。美術館では、シティから電車で1時間半かけて行ったディア・ビーコンが印象的だった。

また、タイムズスクエアのMORE THAN A MUSIUM DISCOVERYで「STAR WARS AND THE POWER OF COSTUME EXHIBITION」なんてのを見たりも。このキャラのこの造形と衣装はここからヒントを得ているのか…ってなことがいろいろわかって、特に熱心なSTAR WARSファンというわけでもない僕でもかなり楽しめた。

ライブはどうしても観たいというものが特になかったのだが、散歩がてらブルックリンのProspect Parkで「GRAMMY PARK」と題されたフリーコンサートへ。複数出演の内、観たのはChristian McBride TrioとCecile McLorin salvant。Cecile McLorin salvantの歌は独特の味わいがあって素晴らしかった。

そして、3日と4日でミュージカルを2本。シンディ・ローパーが音楽を手掛けた「KINKY BOOTS」と、キャロル・キングの伝記的な「BEAUTIFUL」。「KINKY BOOTS」はドラッグクイーン役のAlan Mingo Jr.の歌と踊りに華があって、この人が全部もってった感。シンディのポップな音楽も効果抜群。「BEAUTIFUL」はキャロルを演じるChilina Kennedyが実によくて、ハイライトとなる場面など本物のキャロルのライブを観てるよう。The Drifters、The Shirellesといった関連グループのライブシーンにもワクワクさせられた。実はブロードウェイのミュージカルを現地で観るのは、20歳過ぎで「CATS」を観て以来30年近くぶりだったりしたんだけど、これはこれでやっぱりいいもんだなぁと。

9日の夜は、ブルックリンのROUGH TRADEの奥にあるライブスペースで、プリンスのビデオを観ながら踊るというイベント「DANCE MUSIC SEX ROMANCE A PRINCE VIDEO DANCE PARTY」へ。最高に楽しかった。悲しみを忘れ、ただただプリンスのいやらしさとかっこよさにしびれながら3時間踊りまくった。久々に観た映像もたくさんあったし、ヴァニティ6、アポロニア6、ザ・タイムなんかの映像も混ぜたりしてくるから高揚しっぱなし。我らは後ろ髪ひかれつつ0過ぎに帰ったが、パーティーは3時過ぎまで続いたらしく、最後の曲は「パープルレイン」だったそうな。




2016年4月30日(土)

渋谷HUMAXシネマで、『プリンス/サイン・オブ・ザ・タイムズ』。

追悼上映。なんかやっぱり不思議な感じだったな。踊りたくなったり、一緒にクラップしたくなったり、うっとりしたり……だけどときどき“ああ、もういないんだな”って思うとふいに涙が出てきたり。

終わったとき、拍手が起きました。で、泣きながら劇場出る人たちを見たら、またもらっちゃって…(泣)。

10回以上観てるけど、音は過去最高によかった。
プリンスのことを書いてから約1ヶ月。その後、10日間ほどNYに行ったり、帰国してすぐに今度は福岡に行ったりで慌ただしくしてたんだが、ようやく日常を取り戻した感じなので、ブログも再開。ぼちぼち更新していきます。


2016年4月19日(火)

渋谷オーチャードホールで、ボブ・ディラン。

約1ヶ月前に観たライブだけど、もうずいぶん昔のようだ。ディランのライブは確かに素晴らしく、いろいろ感想を書きたい気持ちに観たばかりのときはなっていたのだが、プリンスのことがあってその気持ちが吹き飛んでしまった。プリンスのことがあったあとはしばらくほかのアーティストの音楽がまったく心に響かなくなっていたので、ディランのライブがあの日の前でよかったとは思う。あとだったらたぶん僕は買ったチケットを誰かに譲っていただろう。

プリンスはあんなふうに突然世界から去ってしまったわけだが、ディランはあんなふうにいなくなったりしないだろう。と、いま思う。ディランはまだ当分いろいろ挑戦し続け、まだまだ作品を出し、そしてやるだけやって死ぬのだろう。そのとききっと僕たちは、あの人はとことん最後まで表現を続けて、それで死んだんだから悔いはないだろうねと思うことだろう。そもそもまだまだ長生きするだろう。なんでかと訊かれても困るが、ディランはそういう人だと思う。

ライブの感想は、いろいろ書きたかったんだが、もう記憶があまりない。ただ、とにかく圧倒されたのはやっぱりあのしゃがれていながらも野太くて恐ろしいほど説得力を持った歌声そのもの。歌表現以前にもう出力からして凄い。それが男たちのバンドサウンドと一体となり、ここがどこなんだかわからなくなるような世界を現出させていた。それはもう、世界観なんて言葉が生ぬるく思えるほど。メンバーたちの表情が見えない暗めながらも独特の雰囲気がある照明がまた素晴らしく、なんとも現実離れした時間を味わった。まったく、すげー爺さんだ。…と思ったことだけはとりあえず覚えている。


プリンスのこと。

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ストーンズとプリンスとルー・リード。この3組が若い頃の自分にとっての神様のような存在だった。神様みたいだなんて書き方はこの歳になるとさすがにアレだが、要するに「好き」というレベルを遥かに超えた、自分にとっての重要すぎる存在。極端に言うなら、この3組の音楽があればほかの全ての音楽はなくなってもかまわないんじゃないかと、そのぐらいに思えていた時期が確かにあった。

にも関わらず、ルー・リードが2013年に亡くなったとき、僕は悲しみにくれたりはしなかった。もちろんたいへんなショックを受けたけれど、自分でも意外なほど「悲しい」という感情は湧かなかった。ルー・リードは表現者としての人生を全うしたように思えたからだ。


ルーには(少なくともある時期以降は)駄作というものがなかった。僕には出すアルバム全てが傑作に思えていた。しかもラストアルバムがメタリカとコラボしたあの壮絶な『ルル』なのだ。それ以上に凄まじい表現をもっと見せてくれ…という気持ちにはならなかった。誤解を招く言い方もしれないが、あれで十分だった。ルーの音楽表現に何度も揺さぶられたり力をもらったりしたひとりのファンとして、だから最期は素直に「ありがとう」と見送れたのだ。

ストーンズ、プリンス、ルー・リードほど深くは入れこまなかったものの、もちろんデヴィッド・ボウイの音楽表現にもずいぶんインスパイアされたのは当然のこと。だからボウイが今年1月に亡くなったときは激しくショックを受けたが、やはり悲しくてどうにもならないというのとはまたちょっと違う感覚だった。(これもまた誤解を招く言い方かもしれないが)なにしろボウイの表現者としての死に様は完璧だった。死を覚悟・意識した上で遺書として『ブラックスター』というアルバムを作り、それは驚くことにそれまでの自身の表現を超えたものだった。ある意味での最高傑作を残してボウイは死んだのだ。

ルー・リードとデヴィッド・ボウイはずっと凄い表現者であり続け、最期までが凄かった。それは奇跡的なことだろう。

プリンスが死んだ。

昨朝それを知って激しく動揺し、動揺したまま1日が過ぎていった。何も手に着かず、原稿なんてまったく書けず、部屋のなかをグルグル回って、これじゃマズイととりあえずジムに行ってプールでひたすら泳いだ。その帰り、ぼーっとチャリをこいでいたらトラックにひかれそうになって、自分が死んだらしょうがないと喝を入れたものの、帰ったらまたしばらく心が乱れた状態に戻って、なんともまいった。

悲しみは襲ってこなかった。それよりまず動揺がきて、そのあと脱力と妙な苛立ちがきた。悲しいというより、なんかムカついてきたのだ。

だって、プリンスの終わり方がこんなんでいいはずがない。こんな終わり方じゃ誰も納得できない。正直、ふざけんなと言いたい気持ちにもなる。が、誰よりそう思ったのはプリンス当人だっただろうと考えると、それがまたどうにもやりきれない。

結果としてプリンスの遺作は『HITNRUN PHASE TWO』となった。悪くないアルバム、いや、かなりいいアルバムだとは思う。「Baltimore」は本当に素晴らしいメッセージソングだ。とは思うけど。あれが遺作かぁという残念感はやはり拭えない。全然やりきれてない。あまりにも道の途中感が強すぎる。比較してどうこういうものではないとわかっちゃいるが、『ルル』や『ブラックスター』の表現の壮絶さにはまるで及ばない。及ぶものを作れるひとだったのに。ということがなんとも悔しい。

2014年の『アート・オフィシャル・エイジ』と『プレクトラムエレクトラム』、それから(とりあえず『HITNRUN PHASE ONE』のほうは置いといて)『HITNRUN PHASE TWO』。この3作にはそれぞれ異なる形ながらも、いままたプリンスの創作力が充実してきているという実感を持てるところがあったし、もしかしたらこれから全盛期に匹敵する傑作が生まれたりもするんじゃないかという予感めいたものを感じられるところもあった。

しかし振り返れば『ミュージコロジー』のときも『3121』のときも、また創作が充実しだしてきたな、プリンスはここからだなと僕は思ったわけで、そういう意味ではもうここ数年ずっと「プリンスはここからだ」「もう一回黄金期が来るんだ」と思いながら、信じながら、彼の活動を追い続けてた気もする。

果たしてこのまま続けていたら、いつか『パレード』や『サイン・オブ・ザ・タイムズ』に匹敵する傑作がまた生まれることはあっただろうか。また、プリンスにはそういう傑作をもう一度ものにしたいという欲求がそもそもあったのだろうか、なかったのだろうか。もしかすると傑作をものにすることなどもうさして興味がなく、ただ“良質な”音楽を作り続けつつライブさえやれればそれでよかったんじゃないか。いや、だけどここにきて伝記を書いていたというのは、それを仕上げることで新たな扉を開かんとし、もう一度傑作をものにしようと意欲を見せていたところだったんじゃないか。わからない。そのへんが僕にはわからないし、いまとなっては誰にもわからない。

いずれにしても……プリンスがどのようなビジョンを頭に描いていたとしても、ここで全てが終わってしまったことがいまはただただ残念でならないし、腹立たしい。誰より本人が冗談じゃないと思いながら逝ったことだろう。

因みにかつて愛したヴァニティが亡くなり、「彼女は自分の人生を祝福してもらいたがっているはず。彼女の死を嘆くのではなくて…」とライブ中にプリンスが語ったのは、わずか2ヶ月前のこと。「彼女」が「プリンス」に置き換わって誰かにそう言われる日が2ヶ月後にくるなんて……まったく……。

まだまだプリンスの尽きない才能に驚かされたかった。不老不死に思えていたプリンスがここからいなくなる日が来るなんて想像したこともなかった。

プリンスのいない世界となって二日目の午前。一昨日までとは別の世界にいるみたい。心に穴があいてしまって、どうふさげばいいのかわからない。未だに受け入れることができない。まるで音楽が死んでしまったような最悪の気分だ。


GLIM SPANKY@恵比寿リキッドルーム

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2016年4月16日(土)

恵比寿リギッドルームで、GLIM SPANKY。

チケットはソールドアウトで、超満杯。そして観客の期待感と熱気が相当凄い。これまで何度も観てきたGLIMのライブのなかで昨日が一番、客側の熱が高かったんじゃないか。

もちろんそれはステージ上のバンドの熱に呼応したもの。ライブ回数の多さに比例して頼もしさがますます増しているGLIMであった。

今回はサポートでキーボードも。2人+2人=4人の音に慣れていたため、話を聞いたときには鍵盤が加わった音をイメージできずにいたのだが、これが実にいい効果。目立ちすぎず、ここぞというところで入ってくるその音はとてもよくて、「大人になったら」などはその鍵盤音の入った状態こそが完成形だと思えたくらい。

「時代のヒーロー」、それと「話をしよう」という新曲の、新味とGLIMらしさの塩梅がよかった。また個人的には「BOYS&GIRLS」のノリに「ああオレ、この曲好きだぁ」と。

対バンありゆえ、1時間ちょっとの短めのステージであっという間だったけど、7月に再びキネマ倶楽部で単独公演が行われることが発表され、しかもそれは「GLIMの幻想世界を追究するコンセプトライブ」だそうなので、それを楽しみにしよう。いいねぇ、そうやってテーマ切りでライブをやるという試みは。それによって世界観に広がりが出るだろうからね。


2016年4月15日(金)

日本武道館で、エリック・クラプトン。

エリック・クラプトン、5夜限定の武道館公演。その3公演めを観た。

クラプトンを観るのはスティーヴ・ウィンウッドと一緒に来た時以来なので4~5年ぶり。見ため&声の出は、正直、老けたなという印象。今回、ポール・キャラックやアンディ・フェアウェザー・ロウらバンドメンバーがヴォーカルをとる場面もちょいちょいあるのだが、声の出力的にはクラプトンが一番弱いように感じた(あくまでも出力的にね。味わいはまた別の話)。

総体として「ノる」「騒ぐ」「踊る」的な要素はなく、音を「聴く」楽しみを味わうコンサート。という印象は、これまでに観たクラプトンのライブのどれよりも。ステージの上も下も高齢者が多い故、それは自然な移行なのだろうし、あり方として無理がない。

全員が凄腕とあって、バンドアンサンブルはそりゃもう素晴らしいもの。最上級。とりわけ個人的には鍵盤奏者ふたりのプレイに何度もうっとり。クリス・ステイントンもすげえんだが、とりわけやっぱりポール・キャラックの出す音がたまらなく味わいあってねぇ。ポール・キャラックの単独来日公演をお願いしたいくらいですよ。アンコールなんて「ポール・キャラック・バンドにクラプトンも参加」といった様相でしたしね。

そんな感じでクラプトンの「オレが主役」感はわりと薄めだったんだが、それもまあ、若い頃から数々のセッションで存在感を示してきたあのひとなりの矜持かと。

それにしても好きなタイミングで好きなように弾いてればバンドメンバーたちが上手く合わせてくれるんだから、いいよねぇ、クラプトンは。パッションなくとも、流儀がある。その流儀をみんなが喜ぶ。だからOKっていうね。

因みに初日にサプライズで出たらしいエド・シーランくんの出演は、この日はなし。13日に観れたひとが羨ましいのお。

GOOD BYE APRIL@渋谷WWW

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2016年4月10日(日)

渋谷WWWで、GOOD BYE APRIL。

いいライブだった。本当にいいライブだった。

「いいバンドだなぁ」「ずっと観てきてよかったなぁ」という思いが、観ている間に何度となく去来した。
それだけじゃない、いろんな思いが頭のなかでグルグル回ったりもしていた。彼らを長く観てきたファンの方や近い関係の方はみんなそうだったんじゃないだろうか。

結成から5年半、休むことなくライブを続けてきた彼らにとって、渋谷WWWは(ワンマンにおいては)過去最大キャパ。1年前に決めたこのライブを彼らはひとつの大きな目標にしてきた。まずはこのライブに向けて心をひとつにしようとし、そうしてきた。アルバム『ニューフォークロア』も、このライブが決まったことで作られたものだ。

レコ発ワンマンライブで、ライブタイトルもアルバムタイトル同様『ニューフォークロア』。ひねったライブ用タイトルを用意するわけではなく、つまりそのアルバムに込めた思いをそのままナマで届けんとするものだということがわかる。故にサポートで、チェロ、ヴァイオリン、キーボードが加わった、4+3の7人編成。『ニューフォークロア』の世界観をそのままに近い形で表現するための編成だ。

アルバム同様、開幕曲は「水色の夏」。ステージにいるのはストリングスのふたりとピアノと倉品くんで、メンバー3人はまだいない。アルバムがバンドサウンドではないこのような響きで始まったことにも驚かされたものだが、絵としてその状態を見るとなると尚更「おっ」となる。そして郷愁も湛えた美しいその曲が終わるタイミングでつのけんが出てきてドラムが鳴り、ベースの延ちゃんとギターの卓史くんも加わって、今度はバンドサウンドの「夢見るモンシロ」が高らかにスタート。…というこの二段構えのオープニングにまずつかまれた。

3曲目で早くも代表曲「パレードが呼んでる」が演奏され、「レモンの花」「わがままモンスター」と続けてから、『ニューフォークロア』収録の「宇宙行進」「ターナー」へ。サポートメンバーが一旦はけてからもいつもの4人の演奏は生き生きと力強く弾けていく。MCでは特別な気持ちであることが喋り声のトーンにも表れている倉品くんに対し、延ちゃんは「なんか形になってよかったですね」と他人事のように言ったり、そこに卓史くんがつっこんだり。その感じはまさしくいつものエイプリルだ。

また、『ニューフォークロア』楽曲に、どんな旧曲をどのように絡ませていくかというのもこの日の見どころのひとつなわけだが、「ターナー」のあとに「バイタルサイン」が来たことには意表を突かれた感があった。

個人的にこの日もっとも胸うたれたのは、次に倉品くんのアコギと林田さんのチェロだけで演奏された「start over」だ。初めて聴いたときからやられてたんだが、インタビューして、この曲の歌詞の「君」が倉品くんが幼い頃に亡くした母親のことだと知ってからは泣かずに聴けなくなった。一語一語丁寧に言葉を発しながら歌っていく倉品くん。そして間奏の林田さんのチェロの音色に至って、病院と手を振ってる倉品くんのお母さんの姿とそれを見ている倉品くんの姿が一枚の絵のように目に浮かんできて、案の定、僕、落涙。この日のこの曲の響きを僕はずっと忘れることがなさそうだ。

清野さんの鍵盤の音が効いていた「君がいなきゃ」から「ユキノシタ」へと続き、12曲目は「ラストダンス」。GOOD BYE APRILが音楽を鳴らす意味とか、それを楽しむ気持ちが集約されているようで、聴いてて嬉しくなる曲だ。倉品くんの頭のピアノの入りと、ユーモラスな雰囲気を作った卓史くんの低い声のコーラスがよかった。

そしてその多幸感溢れるムードから一転してエイプリルの中で最もロック色の濃い「アドバイス」へ。ストリングスが加わったことで曲の切迫感…ヒリヒリする感覚も増し、相当かっこいい仕上がりになっていた。卓史くんのギターも唸りに唸り、ここにおいてはロックバンドのよう。そこから「愛はフロムロンリーハート」へのモードチェンジも無理なく行われ、それによる彼らの演奏の幅も僕は感じたのだった。

サポートメンバーたちがはけ、「やっと4人になれたね」と延ちゃん(笑)。が、ここでの倉品くんの「メンバーに心から感謝してます」という(この日にしか言えなかっただろう)言葉から彼らの中の感情スイッチが入ってしまったようで、特に前の両端のふたりは次の「太陽」を感極まったような表情でプレイ。曲の持つ(特に後半のハーモニーの)昂揚感と会場にいた全員の「ここまでやってきて本当によかったね」という思いがひとつになって、感動的な空気に包まれた。ここでまたジンときていた僕だったが、回りにも涙を拭っているひとが何人かいた。そして本編ラストの「キレイ」の歌詞は、CDで聴く以上に4人の意志表明として強く&豊かに伝わってきた。

アンコールはまず「プロポーズ」。清野氏の鍵盤がやはりいい。で、「(自己満足だった以前とは違って)最近は人のために曲を書きたくなった」という延ちゃんの言葉があり、最後の最後は「おおハシャギして終わりたい」という気持ちから(延ちゃん曰く「5年前に作ったクソヤバイ曲」)「サンデイ」で締め。いままでで一番楽しそう&嬉しそうにこの曲を演奏する4人の表情が印象的だった。

この特別な、大きなライブを、だけど彼らは演出めいたものを一切つけず、歌と演奏だけで見せて聴かせた。サポートが3人入ったことのスペシャル感こそあったが、それも演奏される楽曲が呼びこんだことであり、そういう意味で基本的にはやはりとてもシンプルなアプローチのライブだった。それは倉品くんの言う「ただ曲のよさを伝えたい、それだけ」という基本姿勢をそのまま表したもの。けれどもそこが何より重要なんだということも、きっと彼らはこのライブによって再確認できたんじゃないだろうか。

もちろんこれがゴールなんかじゃなく、ここから道が続いていくわけだけど、でも“単なる通過点”というよりはやはりもっと大きな意味を持った(それはメンバーにとっても関係者たちにとっても観客にとっても)、そういうライブだったと僕は思う。だからこそ楽しみなのはまさにこれから。こっからエイプリル第2章の始まりという、そんな感じかもしれないね。