2016年11月30日(水)

 

新宿TOHOシネマズで、『ストーンズ オレ!オレ!オレ! ア・トリップ・アクロス・ラテン・アメリカ』(一夜限りのジャパン・プレミア上映)。

 

予想を遥かに上回る感動的なドキュメンタリー。これは一夜と言わず、せめて1週間限定とかで劇場公開すべき。Bru-ray~DVDで観るのとでは全く印象が異なるはずだ。

 

“あの”キューバ公演の実現がいかに奇跡だったのかがよくわかる作品。そしてあのタイミングでしか実現しなかったということも今ならわかるわけで、その意味でもなんとも言えない気持ちになる。カストロへの言及もあるが、そのカストロはもういない。開催時期に関して重要な鍵を握っていた“登場人物のひとり”、オバマの政権も終わった。時代は変わったんだといった言葉があったが、そこからまた時代は変わったのだ。

 

南米のストーンズ・ファンの思いの熱さが素晴らしい。南米各国のたくさんの人がストーンズを観て泣いていた(わけてもアルゼンチンの通りを走る車中のミックを目にすることができたことでしゃがみこんで泣いていたおっさん、よかった!)。キースもどっかの公演でファンの熱い思いに感極まっていた。厳しそうなストーンズの女性マネージャーまでもがキューバ公演の実現に泣いていた。観ている僕もやばかった。そして映画が終わると、ハンカチで涙を拭っている人が何人もいた。

 

劇場でストーンズを観ると、必ず「ストーンズ最高」の思いが増幅される。さらに、またさらに増幅される。ああ、もう一度この作品を劇場で観たい!

 

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2016年11月29日(火)

 

六本木・ビルボードライブ東京で、ジョージ・クリントン&PARLIAMENT/FUNKADELIC。

 

いつぶりだったか思い出せないくらい久々に、ジョージ・クリントンとPファンク軍団を観に行った。また観たいという気持ちになったのは、大好きな“おっしー”こと押野素子さん(さんづけするの、新鮮♡)が翻訳を手掛けたジョージ・クリントンの自伝『ファンクはつらいよ』が今年の夏に出たり、まさに今週、丸屋九兵衛さんの著書『丸屋九兵衛が選ぶ、ジョージ・クリントンとPファンク軍団の決めゼリフ』(昨日読み始めたんだが、チョー面白い!)が出たりして、今の総帥の状態をこの目で確かめたいという気持ちが募っていたから。やっぱほら、どんなに不死身そうに見えても、いつ向こう側へ行っちゃうかわかんないすからね。観たいと思ったタイミングで観とかんと。

 

Pファンク軍団の来日公演と言えば、忘れられないのは、92年のメルパルクホール(←ほとんど記憶がない)を経ての翌93年8月7日、真夏の川崎クラブチッタ。今じゃけっこう伝説になってるようだけど、ありゃあ確かに度を越えたライブでありました。なんか開場が遅れて友達のSくんとしばらく外に並んでた景色から妙に覚えてるな。で、夕方まず始まったのがブーツィーズ・ニュー・ラヴァー・バンドで、これだけで1時間半くらい。確かそのあとまた長い休憩があって、ようやくジョージ・クリントンとPファンク・オールスターズが始まって。そっからがまあ長いこと。すげえ!って瞬間が何度となく訪れる一方、ごちゃごちゃぐちゃぐちゃした時間も相当長くて、次第に足腰が辛くなってきて。しかも僕らはいつブーツィーが加わるのかと期待してたんだが、いつまでたっても入ってこないんだもんね。いるんだから加わると思うじゃないすか、そりゃあ。で、僕らもだんだん状況に飽きてきて、「もう飲みたいね」ってなって、いい加減観てから外出て、居酒屋に飛び込んで。けっこう飲んで帰りにチッタ覗いたら、まだライブは続いてたっていう。5時間って言われてるけど、もっとやってた気がするねぇ。

 

長いと言えば、フジロックのホワイトステージもなかなかの長さでしたよ。トリで出てきて、初めのうちはウヒョ~イってなってたお客さんも時間が経つにつれてどんどん脱落してったもんな。で、予定終演時間過ぎてもまだやってて、とうとう照明も消されて、電気落とされて。それでも終わらず、電気通さずにまだしばらくやり続けたっていう。

 

と、ずいぶん昔のことを振り返っちゃったけど、そういう無制限のザッツ・Pファンクってなショーを体感した者からすると、ビルボードライブのようなキッチリした場所で観るいまのPファンク軍団のライブは、(あれでも)ずいぶん整理されてるように思いましたね。

 

まあ普通に考えたら、ステージ上に13~14人もいて、特に楽器も持たずにうろついてばかりの人間もいたりして、その“まがい者集団”感はなんやのこれ?って感じだろうし、ほかのいろんなライブと比べたらいろいろごちゃごちゃしてるんだけど。でも、昔に比べたら、あれでもね、だいぶ整理されてる感じなんですよ。以前はもっとごちゃごちゃぐちゃぐちゃ、混沌を極めてて、わけわかんねー時間が長かったですからね。なんか理解できないどす黒い渦にぐわっと巻き込まれてる感じというか。それが醍醐味でもあったわけで。

 

でも、じゃあ今のPファンク軍団がつまんないのか、混沌としたパワーはもうないのかといったら、そんなことはもちろんなくて。整理されたところもあるけど、相変わらずぐちゃっとしたところもあって、その塩梅がこう、実にちょうどよし。1曲1曲も十分長いんだけど、かつてのように本当にいつ終わるのかわかんない感じはなくて、ちゃんと7~8分くらいで終わって、ちゃんと次の曲が始まるという。ここらで来るなってところで、サー・ノウズ来て、いつものヘンなポーズ決めて、はけて、っていうあたりも含め、構成がだいぶちゃんとしてるというかね。だから僕は思いました。初めて観る人も、今のこの感じなら飽きずにすごく楽しめるんじゃないかなぁと。うん。だってやっぱりアガるしねぇ。ゾワゾワするしねぇ。これぞPファンクっていうものが確かにそこで展開されますから。

 

まあ、だいぶ久々に観たってのもあるし、ちゃんと追ってもいなかったから、今のメンバー構成がどうなってて、誰が前からいる人で、とか正直よくわかんなかったんだけど(主要なメンバーはずいぶん死んじゃったしねぇ)、とりあえずアンプ・フィドラーは“こそっ”という感じでいましたね。やっぱり、ああPファンクだ~っていうたまらんキーボードの音が鳴るわけですよ。なのに存在としては全然目立たない。後方で黙々とプレイしてるだけ。クリントン総帥がそうさせてるんすかね。

 

それからギターのギャレット・シャイダーってひとがかっこよくて。どうやら彼、故ゲイリー・おむつ・シャイダーさんの息子さんなんですね。そのことも知らんで観てたんですが。ええね、あいつ。

 

あと、数年前のTOKYO JAZZとか、たまにホーンなしで来るときもあるけど、今回はトランペットとサックスがちゃんと入ってて、やっぱそれ、効果ありでした。

 

で、我らがクリントン総帥の調子はというと。久々に観たこともあって、だいぶ顔が細くなったな~とは思ったし、なんかずいぶんと優しい顔つきになったなとは思ったけど、声にはハリがあったし、座ってる時間もそこそこあったけどここぞというところで前に出ていったりと、とってもいい状態のようでしたね。いやぁ、よかった。なんつうか露骨な妖しさがとれたことで、むしろ面白い感じになってるつーか。

 

曲はもう「アトミックドッグ」始め、ベストヒットPファンク。

「マゴット・ブレイン」もありで、そのギターソロがちょ~よくってねぇ。ダメなひとはダメだろうけど、僕はあれだけでゴハン3杯いける口。昔はあのソロ、もっと長々とやってた記憶があるけども、そのへんもまあ整理されたってことかな。ところであれ聴くと、じゃがたらを聴きたくなったりもしちゃったりして。同じ時代によく聴いてたもので、刷り込まれてるんですわ。

 

今晩もビルボードライブ東京にて2ショーあり。ぜひ。

 

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仲井戸麗市@南青山MANDALA

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2016年11月28日(月)

 

南青山MANDALAで、仲井戸“CHABO”麗市ソロライブ。

<「月曜の夜」今日歌いたい唄。>

 

「ザ・バンドのビッグ・ピンクみたいに、いつか自分のアトリエにしたい」「スタッフのみなさんもたまには遊びに来てよ」などと冗談めかして言ってたほどチャボが気に入っているMANDALAにて、このひと月に4回行われたソロライブの最終夜。全曲RCを歌った前週に続いて、観た。

 

「今日歌いたい唄」は、果たして古い曲あり、一昨日作ったばかりというホヤホヤの新曲あり、カバーもあり。まさに新旧織り交ぜての「今日歌いたい唄」だった。

 

1週目と2週目を観てないので断定はできないが、恐らくこの4回のなかで、3夜目の「RCを歌う」がチャボにとっての山場だったんじゃないか、とは思う。やはりほかの3夜とはちょっと違う、特別な気持ちで臨んでいたんじゃないだろうか。

 

観客にとっても「RCを歌う」チャボを観るのはやはり特別なことで、あの日の会場にはそういう意味で普段のライブとは少し違う空気が流れていたように思う。一言で書くなら濃密な空気。聴きながら泣いているひともいたし(まあ、自分もだけど)。

 

それに比べると、昨夜の観客は恐らく3夜目ほどは構えてなかっただろうし、チャボもあの夜よりはリラックス(この言葉が的確かどうかわからないけど)していたように思う。急遽オマケで歌った橋幸夫&吉永小百合の「いつでも夢を」なんてのもあったくらいだから、ひとつのテーマで全体をしっかり構成するというより、まさに「今日歌いたい唄」を歌いましたということなのだろう。

 

ライブの強度や濃度に関して言えば、やはり前週の「RCを歌う」のように、テーマとそこに向かうチャボの意志が明確に伝わってくるもののほうが上であると言えるだろう。構成的にもドラマ性があり、僕は傑作映画を観終えたような深い感動と余韻を味わった。がしかし……まあこれはファン心理でもあるけれど、昨夜のように一貫したテーマがなさそうな(実際はあったのだけど、それは後述)「今日歌いたい唄」を歌うライブもとても楽しいし、いろいろなチャボの面が味わえてよい。これこそファン心理だが、曲順を間違えてMCをし直し、意外にけっこう動揺してるチャボを観れたのも(こう言っちゃなんだが)面白かった。テーマと構成のしっかり練られたライブはそりゃあ素晴らしいが、そうじゃないライブはそうじゃないライブなりの“いい感じ”があるということ。しかも、それがかえってドラマチックにもなりうるということを、昨日のライブを観て思ったのだった。

 

「楽しい」気持ちで聴ける曲が割合的に多かった気がするが、グッとくる場面、染み入る歌もいくつもあった。「魔法を信じるかい?」の幼き日のたっぺいくんとももちゃんのコーラスにじっと耳を傾けてるチャボや、清志郎がふたりに歌唱指導してるときのことを話してるチャボにグッときてしまったのもそのひとつ。挙げたらキリがないが、こういうチャボの優しさだったり可愛さだったりがたまらなくいいんだよなーとか思った場面がいつくもあった。

 

この日はわりと正面に座って観ることができたこともあってだろうけど、アコギ弾きとしてのチャボの表現力の凄さにもやたら感じ入ってしまったライブだった。あと、いくつかの曲の頭だったり終わりだったりに流すあり曲の一部や効果音、その巧みな使い方。弾き語り…つまり歌とギターだけなので、リズムボックスを用いたりもチャボはしないのだが、そうしたあり曲の一部や効果音をそこに重ねることでグッと立体感が増して景色が立ち現れる。チャボはその表現方法における第一人者なんじゃないかとさえ、改めて昨夜思ったりした。

 

ところで、一貫したテーマがなさそうな「今日歌いたい唄」を歌うライブと先に書いたけど、実際はというと“テーマに近いもの”がひとつあった。古井戸だ。

 

この日、チャボは古井戸の曲を6曲(だったかな?)歌った。初めは「次は古井戸の曲やるね」といったふうに、たまたま全部の中のほんの1曲といった感じで「らびん・すぷんふる」を歌ったものだが、あとで清志郎の話に絡めて「コーヒーサイフォン」をやり、「次も古井戸の曲なんだけど」といった感じでレアな「落ち葉の上を」や「終わりです」も歌ったりした。そうして結果的には意外と多めに古井戸の曲を歌ったわけだ。とりわけこの日のライブで僕の胸に響いた1曲が「落ち葉の上を」だった。当時はそこまでこの曲のよさがチャボにはわからなかったそうだが、最近になってその歌詞が響くようになったという。歌詞を書かれた佐藤寿美さんという方は当時20代前半のはずで、その歳でこの歌詞を書いたのも凄いと言い、この曲の深さにいち早く反応していた泉谷しげるの大人びた感性にも言及していた。僕自身も当時はその歌詞の意味をそんなに理解していなかったのだが、そう言われて耳を澄まして歌詞を聴いていたら、なるほど(今頃)ガツンときた。本編の最後だったかその前だったかには「四季の詩」も歌われたが、これもまた重みがあった。チャボがこの詩を書いたのも20代前半のはず。それで「3年や4年そこいらの 見通しにすがりつく」と書くなんてのもまったく凄い。

 

アンコールで古井戸を歌っているとき、(古井戸も)「歌えるようになったんだ」とチャボは言っていた。「これも…“時間”かな」とも。RCとは違う意味で、やはり“時間”によって“歌えるようになった”古井戸の曲。去年の“再会”があったことで“歌えるようになった”曲。そのことの意味。単に「嬉しい」というだけではない思いが胸のなかで騒ぎだし、そのことについてをしばらく考えながら帰路についた。

 

 

 

 

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2016年11月22日(火)

 

ビルボードライブ東京で、リー・フィールズ(2ndショー)。

 

ザッツ・ソウルショー! ディープなボイス&シャウトと、洗練されたバンド(エクスプレッションズ)のサウンドとの合わさりの妙、最高でした。フィールズさん、65歳にしてまさに油がのりきってるようでして。そのステージ運びはある意味で想像通りの様式なんだが、1曲が始まって少しすると、想像をしっかり超えてくるわけですよ、声ヂカラとグルーブによってね。「おおっ、だいぶうねってきたなぁ」と思ったそのタイミングでさらに強烈なシャウトかまして、もっと高みへと昇っていくような、その感じがホントたまらんかったです。

 

JBの動きと曲フレーズをちょいちょい散りばめてくところも含めて、まさにリトルJB。新作からの曲、とりわけ表題曲が(キーボーディストのイントロのフレーズとか特に)すっげえよかったな。65歳で新作の曲が最高にいいって、それ、素晴らしいことですよね。シャロン・ジョーンズのナマはとうとう観ることできなかったけど、このタイミングでリー・フィールズの特濃ナマを味わうことができてよかった。あとはチャールズ・ブラッドリーのナマを僕は観てみたい! ビルボードさん、よろしくお願いします。

仲井戸麗市@南青山MANDALA

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2016年11月21日(月)

 

南青山MANDALAで、仲井戸麗市。

<仲井戸“CHABO”麗市ソロライブ 「月曜の夜」RCを歌う。>

 

「第二のホーム」とチャボ自身が言う南青山MANDALAにて、このひと月で4回行われるソロライブ、その3夜目を観た。

 

この夜のタイトルは<「月曜の夜」RCを歌う。>。

チャボがRCを歌うのだ。RCの曲ばかりを歌うのだ。そういう特別な夜なのだ。

 

時間にしておよそ3時間10分。最後の手前のポエトリー・リーディング(「Late-Summer」)を除いて全25曲。レコード化されてない曲も含め、全てがRCの曲だった。

 

そしてMCはといえば、ほぼ全てが清志郎についてのことだった。チャボにとって、RCを語るというのは、つまりそういうことなのだ。

 

「清志郎との思い出を語って歌う」。

まさかそんなストレートで照れのないタイトルをチャボがつけるわけはないのだが、実質、内容はというと、それだった。

 

チャボがRCの曲をまとめて歌うのは、『I STAND ALONE』のタイトルで商品化もされた“あの年”…2009年の渋谷AX以来のこと。こうしてRCの曲をまとめて歌うのはこれが最後になるだろうとあのときチャボは思っていたそうで、それはそのときの正直な気持ちだったそうだ……が、あれが最後にはならず、こうして再び歌われる日が訪れた。そのことについて、チャボはこのライブが始まってわりと早々にこう説明した。「“時間”…だと思うんだ」。

 

歌わされて歌うようなひとじゃない。つまり、いまRCを歌うというのは、決然たるチャボの意志、とても前向きな意志なのだ。そしてそのことがハッキリ伝わってくる3時間10分だった。「感動した」なんて言葉じゃ何も言い尽くせてない気がするくらいに僕は感動した。

 

RCのライブと同じように「よォーこそ」で始まった。メンバー紹介の歌詞部分は、「ギター弾くしか~、脳のないヤツさ~」というところを自己紹介的に歌っただけだった。ほかのメンバーの歌詞部分ももしかしたら歌うかともチラと思ったが、それはしなかった。

 

そのあと何曲かやって、わりと早くに初期(ハードフォーク期)の曲を続けていくパートに移っていった。出会いの場となった「青い森」の話なんかをしながら、昔の曲が続けて歌われた。「ベルおいで」(オフィシャルブートレグ『悲しいことばっかり』に収録)が刺さった。「ぼくとあの娘」も刺さった。この曲を聴いたときに、通じ合うものを感じた…というようなことを言っていた。また、ソングライターとしての清志郎の才能を凄いと最初に実感したのは「お墓」(あとあとレゲエアレンジで録音されたが、もとはフォーク)を聴いたときだったそうだ。そう言われてからチャボが歌うそれを聴くと、なるほどこんな言い回しができる人間などほかにいないなと改めてその歌詞の凄さを思わされる。「もっと落ちついて」も刺さった。この曲の歌詞…「もっと落ち着いて、僕を愛して」に関して、もっと僕をちゃんと見て…みたいなところが清志郎には確かにあった…というようなことも話していた。

 

清志郎の(または清志郎との)いろんなエピソードをチャボは話した。こんなにたくさん話してくれるんだって思うくらい、たくさん話した。清志郎のいいところ、かっこいいところを話すひとはほかにもいるけど、あんなふうに情けないところやかわいいところや女々しいところも話せるのはチャボだけだ(あとは加奈崎さんか)。でも必ずそこには親愛の情や、パフォーマー~ソングライターとしての尊敬の念が含まれる。例えば「今夜はRCの曲を歌うけど、メロディが違うとか言うなよ。そこはアレンジだと思ってくれ」というようなことを言ったあと、「あんなふうに歌えるやつなんか誰もいないんだからよぉ」と加えたりもする。チャボは話の中でキヨシと言うときもキヨシローというときもあいつと言うときもある。キヨシと言って話すときはこういうトーンのことで、キヨシローと言うときはこういうトーンのことで、あいつと言うときはこういうトーンのことなんだなと、なんとなくわかったような気がしたり、しなかったり。

 

「オレはすぐにひとに弱みを見せちゃうほうだけど、清志郎はけっこうそういうところ、男っぽいというか。そういうあいつが珍しく弱みをオレに見せたことが3回だけあって」といったようなこともチャボは話した。「1回目が“地獄のハワイレコーディング”(=『OK』)のとき。で、もう一回は、景子さんとの結婚をお父さんに認めてもらえなかったとき」。珍しく神妙な声で電話があったので心配になり、中央フリーウェイをぶっとばして清志郎の家まで行ったら、清志郎は何事もなかったような顔で寝てたそうだ。3回目については語られなかった。が、語られなかったというそのことで、それがなんのときか僕には想像がついた。チャボがそのことを話すはずがない。

 

「清志郎の“重い曲”が、オレの好みみたい」と言って歌われたのは、「ヒッピーに捧ぐ」と「まぼろし」だった。それは僕の好みとも重なっている。僕は「ヒッピーに捧ぐ」と「まぼろし」と、先に歌われた「よそ者」が、RCの曲のなかでとりわけ好きなのだ(というか、特別な思い入れがある)。だからというわけではないけれど、泣かないで観ようと決めていたにも関わらず突如涙腺が崩壊してしまったのは、「ヒッピーに捧ぐ」が歌われたときだった。出だしの歌詞の一節が清志郎のことと重なって聴こえてしまったからかもしれない。それと、清志郎はこの曲を怒りと悲しみを同居させたトーンで歌うわけだが、チャボはなんだか優しいトーンで歌っていて、それだから余計に沁みて泣けてしまったのかもしれない。

 

「ドカドカうるさいR&Rバンド」に始まった後半のある部分は、初期の曲を続けた中盤とトーンを変え、楽しく“アガる”感じになっていった。エレキに持ち替えての「雨あがりの夜空に」を歌い終えた際には、「新井田耕造! リンコワッショ! Gee2wo!」と“紹介”した。さらにいくつかの曲を続け、終盤には「ウイ・アー・RCサクセション!」という言葉も(何度も)発した。そのことの意味を僕がぐだぐだ説明する必要はないし、そんな野暮なことはしたくない。とにかく、そういうことだ。というか、これこそがこのライブでチャボが一番言いたいこと(あるいは、いまだから言えるようになったこと)だったんじゃないかと、そう思う。「ウイ・アー・RCサクセション!」。こんなに気持ちが昂る言葉がほかにあるだろうか。

 

このとき、僕には確かに新井田耕造とリンコワッショとGee2woの姿がステージ上に見えた……などと書くと文章的にキマるのだけど、それはない。そこにいるメンバーはチャボひとりだ。がしかし、チャボはそのとき、確かにそのメンバーたちがいるなかでギターを弾いていたかつての光景を、思い出したり、イメージしたりはしていたんじゃないだろうか。と、そう思う。そういえば、「清志郎がいて、その横でギター弾いてる感じが好きだったな」ともポツリと言っていたっけ。

 

チャボが歌うことで、改めてその曲の魅力だったり、意味だったり、深さだったりに気づくこととなった場面が、この日いくつかあった。終盤に歌われた「モーニングコールをよろしく」もそのひとつだ。正直、この曲は僕のなかでそれほど上位にくるRC曲ではなかった。が、チャボが景子さんと清志郎のエピソードを話したあとに歌ったこれを聴いていたら、ここでの清志郎の気持ちが立体的に浮き上がってきた。で、今更ながらこれ、「最高のラブソングじゃないか」と思ったり(気づくの遅いわ、オレ)。

 

そんなふうに、チャボの歌を通して、チャボの話を通して、清志郎のパーソナリティだったり、清志郎の歌だったりに、僕たちは出会い直している。清志郎の書く歌詞だったり、メロディだったりに、出会い直している。2016年になって、清志郎のいろんな面を知る。まったくもってステキなことだ。チャボにはありがとうと言うしかない。

 

述べてきたようなことに関する感動と共にもうひとつ。いつものようにサッチモのあの曲が流れてきたその終演の瞬間、僕はこんなふうにも考えていた。このような超がつくほどの個人史を、ここにいる人たちみんなと完全に共有しながら、しかもこんなにもドラマチックに、こんなにも深く表現できるアーティストが日本にほかにいるだろうか、と。しかもチャボは基本的にギタリストなのだ。それなのに。こんなにも。ちょっととんでもないレベルにあるんじゃないか、今のチャボは。と、そのことにも心が震えた。

 

RCを好きになってよかった。清志郎を好きになってよかった。チャボを好きになってよかった。RCを、清志郎を、チャボを好きになった自分を、誇らしくすら思えた夜だった。

 

 

 

2016年11月13日(日)

 

大阪・服部緑地野外音楽堂で、ザ・たこさん。

 

Zeppなんばでの無限大記念日4、渋谷クアトロでの無限大記念日4追撃戦に続き、2016年の彼らのビッグイベント第3弾にして総決算的な意味合いも持つ長尺野外ワンマンライブ。題して『ザ・たこさんの無限大記念日MAXヴォルテイジ』!  それを観てきた。

 

MAXヴォルテイジ。即ち最大電圧。まさしく電気ビリビリで、やりもやったり計3時間20分。フジロック2ステージ(カフェドパリは今年の同場所の最大動員を記録!)からここに至るまで、2016年のザ・たこさんはこれまでになく上昇気流に乗って進んできた感があるわけだが(気流に乗った…というよりは自分たちで気流を巻き起こしたといったほうが正しいだろう)、このMAXヴォルテイジも単なる現段階の総まとめ的なものではなく、明らかに“この先”を見据えてのものだったように感じられたのがよかったところ。つまり、ハッキリと攻めのライブだったということ。「いつものオレたちらしさ」や「いままでの蓄積」を見せるだけでも、もしかしたらこのライブは成立したかもしれないが、それだけのものでは意味がない。と、そういうメンバーたちの思いというか意志のようなものがいろんな場面に表れていたのだ。しかも“再延長”のあとにはオカウチポテトから「無限大記念日5」開催の発表もあった。2017年5月7日、味園ユニバース。その無限大は意表をついてワンマンになるという。「攻め」以外のなにものでもない。要するにこのようにして次へ次へと転がっていかんとする、その明確な意思表示にも今回のワンマンはなっていたわけで、それが長い間彼らのファンでいる僕には嬉しかったし、かっこいいじゃねーかと言いたくなるところでもあったのだ。

 

これまでザ・たこさんは年末に必ず長尺のワンマンライブを行なってきた。元祖タコサンアワーと銘打たれたそれは投げ銭によるフリーライブで、長年、十三のライブバー「クラブウォーター」で開催されてきたわけだが、最早そこでは客が収まらなくなり、昨年は12月の寒さのなか、道頓堀川沿いでフリーライブを行なった。そうして続けてきた投げ銭・長尺ライブは、彼らにとってファン感謝祭的な意味合いを持ってもいただろう。が、長い尺でバンドの神髄をがっつり見せることのできるワンマンが、ずっとそういうサービス的な性質を多分に含んだものであってよいのかどうか。いや、「よいのかどうか」というより、なんか勿体ない。そういう気持ちがいつからか僕の中に芽生えていたし、もしかするとメンバーも、長尺ワンマンライブというものの位置づけについて見直す段階にきていることを感じていたのかもしれない。そういう意味で、今回初めて有料による(前もってチケット販売をする)長尺ワンマンを野外で(完全手打ちで)開催するというのは、彼らにとって大きな試みであり、踏み出しであり、チャレンジでもあったことだろう。

 

やるなら今だという気持ちはあったに違いない。無限大記念日というイベントがなんとかそれなりに定着し、今年は上田正樹、有山じゅんじ、金子マリといった自分たちにとってのスターミュージシャンたちを呼ぶという夢も叶った。そこからの今回のスペシャル版(=MAXヴォルテイジ)という考え方は、流れとしても自然だ。先述したようにフジでも成果を残したし、何よりニューアルバムの発売もあった。だからここで有料ワンマンに踏み出すのは、言うなれば必然。ここが勝負のしどころであったわけなのだ。

 

果たして天候にも恵まれたこの日の服部緑地野音、満杯と言える入りではなかったがしかし、関東からもけっこうな数のたこ好きが集まり、多数のバンドが出演した同会場での無限大記念日2、無限大記念日3と同じように、なんというか「いい塩梅」の入り。年齢層的に見ても例えばクアトロやレッドクロスといった会場のそれより幅が広く、子供連れで見に来てる人も少なくなかったようだった。

 

15時半に開演。いつものように演奏メンバー3人がまずは登場し、ネギ畑でスタート。先にセットリストを書いておこう(安藤ツイートより転載。タイトル略)。

 

ネギ畑~ダウンタウン~R&Rフーチークー~ルイジアンナ~キチュペクト~シェイク~ラブアタック~ロクシマ~ティーンエイジ~テーマ~ZZトップ~ゴリラ~ヤンタン~中之島~うつぼ~ヤンタン~G馬場~猪木~純喫茶~ヤンタン~40肩~肩腰背~上沼~板東~コッチマーレー~楊夫人~ヤンタン~バラ色~漂流記~ヤンタン~お豆P~愛の讃歌~いつから~ヤンタン~モベター~初期のRC~カッコイイ~ギビトゥミ~麻酔(マントショー)~鯖PT2。延長戦:ヤンタン~人生~テーマ。再延長:ヤンタン~女風呂(マントショー)~テーマ、以上。※生聞200分(3時間20分)!

 

始めに「ネギ畑」のあとの5曲にご注目願いたい。「ダウンタウン」~「R&Rフーチークー」~「ルイジアナ」~「キチュペクト」~「シェイク」。この5曲だ。「いつものオレたちらしさを見せるだけではない、攻めのライブ」と先に書いたが、この始まりの5曲にまずはそれが表れていた。「ダウンタウン」はシュガーベイブのカヴァーで、歌ったのはなんとマサ☆吉永。「R&Rフーチークー」は先頃の渋谷クアトロでも披露されたが、ジョニー・ウィンターのカヴァーで、歌ったのは山口しんじ。「ルイジアンナ」はキャロルのカヴァーで、歌ったのはオカウチポテト。「キチュペクト」と「シェイク」を続けて歌ったのはMCキチュウで、これはオーティス・レディングの曲に日本語詞をつけたもの。のっけから安藤以外のメンバー3人とキチュウがソロ・ヴォーカルをとってまわすというこのサプライズ。わけても「ダウンタウン」のあのイントロが聴こえ、そして吉永さんが歌い出したときの観客のどよめきといったらなかったし、僕も思わず友人と顔を見合わせた。しかも吉永さん、「ダウンタウンへ繰り出そう~」というサビ部分をちゃんとキレイなファルセットで歌ってるんだから!(そのことが一番ビックリでしたよ)。因みにそれぞれが選んだ曲は、それぞれのある部分においての音楽ルーツでもあったわけで、その意味で吉永「ダウンタウン」とオカウチ「ルイジアンナ」は特に新鮮だった。キチュウくんも歌い終えて倒れ込むほど、2曲に熱を込めきってたな。

 

このあとの「ラブアタック」~「ロクシマ」で通常のライブモードに戻り、さてヴォーカルの安藤はどこから現れるかと勘のいい客が後ろを振り返ったりしているなか、やはり客席後方から安藤、余裕の登場。ステージに上がると、久しぶりの「ティーンエイジのテーマ」でいつものこのバンドのいつもとは少し違うロングライブが始まったのだった。

 

曲ごとに思ったことをざっと書き散らかしていこう。「見た目はZZトップ」。やっぱこれはライブ映えのするかっこいい曲(山口しんじのロックギタリストとしての面が前に出た曲)だー。/「ゴリラの息子」。安藤のゴリラなりきりパフォーマンスと共に、間奏の山口のギターの妖しさにしびれるわぁ。/「中之島公園、16時。」~「うつぼ公園24歳、冬。」。ソウルバンドとしてのザ・たこさんの魅力がよく表れたメロディアスでちょいメロウ成分ありの曲を続けて聴かせることでそこに生まれる“いい感じ”。こういうザ・たこさんをオレは忘れたくない、とか思ったり。/「G馬場」こと「BLUE MOUNTAIN BLUES」。しつこいぐらいの馬場喋りの弛緩から切れ味のいい演奏が始まるその瞬間の切り替えのかっこよさよ。/「猪木はそう言うけれど」。なんか今回のこの曲は脇腹あたりにズドンと効いた。/「純喫茶レイコ」。わー、このボッサ曲ナマで聴くのチョー久しぶりー。/「(Do The)Funky 40 Shoulder」~「肩腰、背中」。40過ぎてカラダが言うこときかなくなった、っちゅう同じテーマの曲をここで続けたわけですねw。/「KAMINUMA」~「HARD BOILED EGG」。笑福亭仁鶴と板東英二が続けて現れたわけですねw。

 

と、ここまでが前半戦。一旦、安藤のみ引っ込み、3人は演奏を続け、そして後半戦へ。

 

「コッチ・マーレー」。たまたまだが行きの新幹線で僕はニューオリンズのマルディグラ・インディアンのトライブからなるワイドルマグノリアスの『Life Is a Carnival』を久々に聴いてて、そこに入ってる「Coochie Molly」(コッチ・マーレーの原曲ですね、いわば)を聴きながら「今日、たこさんのこれ、久々に聴けないかな」と思ったりしていたので、これは個人的にえらく盛り上がった。しかもこのときの安藤さん、まさにあのバンドが着用してもいるアレをつけて出てきたのだから! /「楊夫人の憂鬱」。ハッキリした歌メロがなくそのときどきの安藤さんの気分でそれが変わるこの曲、なんといっても間奏の山口さんのギターの憂鬱表現がこの日もたまらなくよかった。/「バラ色の世界」。いつだって大名曲。イントロのカッティングから「キターっ」と言いたくなる。/「漂流記」。初期の名曲。相当久々。これは聴けてよかった。前のほうにいた女性客がこれを聴いてるときに泣いていて、安藤さん、歌いながらなんとも言えない気持ちになったそうな。/「お豆ポンポンポン」。いつにも増してしつこく、しかも地元ゆえに調子に乗った動きをする安藤。もう、ばか。因みにこの日、「豆騒動」の“お~お~、いぇ~~”っていうアレをほかの曲のときにもやり(計3回繰り返した)、うしろの客が「もうええっちゅうねん」とつっこんでてウケた。/「愛の讃歌」。何しろ熱かった。/「いつからこんなに」。おおー、これも相当久しぶり。意外だった選曲のひとつ。たまに聴きたい曲。/「モ・ベターライフ」。歌い出しのタイミングを見失ってストップする安藤に対し、マジで怒るオカウチ。珍しいハプニングではあったし、最後の挨拶時にオカウチはプロとして未熟な面を見せてしまったと反省の言葉を述べてもいたが、それはこのライブにかける彼の情熱と本気度の現れでもあったわけで。「オカウチ、すまん。笑顔を見せてくれ」と謝る安藤さん共々、こう言うのもヘンだが悪くない意味で印象に残る場面であった。/「『初期のRCサクセション』を聴きながら」。これもフェスやこのような大事なライブにとりわけ映える曲だなーと改めて。/「カッコイイから大丈夫」。新作の中で唯一のメロあり(歌もの)曲。これはあがる。回を増すごとにキラーチューン度がアップしている気がする。このライブにおいても極めて重要度が高かった1曲であったと思う。/「あんたはギビトゥミ」。これまた回を増すごとに切れ味とグルーヴが増していってる曲。CDのこれも相当いいんだが、ライブはさらにその何十倍もいい。と、最近強く思うし、今回も思った。いまのバンドの代表曲とか言いたくなるぐらいにいい。/「麻酔で眠らせて」(マントショー)。この日もっとも意外であり、「そうきたかー」と驚かされたのがこれ。「カッコイイ」~「ギビトゥミ」と新曲で現在進行形のバンドのあり方をしかと見せながら、そこに続けるのがこの初期バラードで、しかもこれでマントショーもやるとは!  最近ファンになった方にはキョトンだったかもしれないが、ずいぶん前からこのバンドを観ているファンは、ここにこの曲を持ってきたことに激しく揺さぶられたのではあるまいか(自分はそうだった)。

 

アンコール、「我が人生、最良の日」。最近は40分~1時間程度の対バンありの通常ライブでは外しがちなこの曲だがしかし、無限大記念日まわりの特別ライブ……とりわけ今回のような長尺ライブの最後に歌われるとなると、この曲は最大限の効果を発揮する。圧倒的にドラマチックで、感動的なのだ。泣くっちゅうねん。/ ダブルアンコール、「突撃!隣の女風呂」。そうだ、この曲がまだあったんだった。と、これが始まるまでこの曲の存在を忘れていたのは、「あんたはギビトゥミ」など最近のファンク曲のできが極めていいからだがしかし、やはりこの曲とマントショーの相性のよさには抗えない。最後を締めるのに相応しいものだったとやはり思う。どこからともなく現れてステージで自由にしてたブルーのウィンドブレーカーの少年もなかなかいい働きをしてましたね。

 

「ティーンエイジのテーマ」やら「いつからこんなに」やら。「漂流記」やら「麻酔で眠らせて」やら。かなり久々の歌もの曲を多く聴くことができたのは素直に嬉しかった。真面目な歌もの曲はもうあんまり歌いたくないと言う安藤さんだが、そうでありながらもこの日こうした曲を多く散りばめたのは、やはりなんらかの攻めの気持ちであったり、ここまでやってきた思いであったり、いろんなものが混ざってのことだったんじゃないかと想像する。

 

一方、「肩腰、背中」や「カッコイイから大丈夫」や「あんたはギビトゥミ」においてのメンバーたちのキレキレの演奏と安藤さんの生き生きした表情や歌を見て(聴いて)いると、やっぱりバンドにとっては(どのバンドもそうだろうが)最新の曲が一番やってて気持ちいいものなんだなということも実感させられる。「カッコイイ」から「ギビトゥミ」の最高の流れにとりわけ強くそのことを感じた。

 

先にも書いたが、全ての曲が終わっても拍手が鳴りやまないなか、最後にオカウチくんがひとりでステージに出て行って「無限大記念日5」の開催決定とそれがワンマンであることを発表した。このように、ライブ終わりに次の大きなライブが発表されたりもするようになったのは、ほんのこの2~3年のこと。次の目標、そしてまた次の目標というふうに、バンドは着実な歩みを見せるようになったのだ。漠然と「目指せ武道館」と言っていたかつてとは明らかに違って前進の仕方が確かなものになっている。誰もが無謀だと思った無限大記念日の初回から4年(来年で5年)。その足跡はしっかり目に見えて残っている。特に今年のフジから無限大まわりの3公演は、そのことを強く感じさせる。オカウチくんの加入とその成長は、ハッキリとこのバンドの推進力となっている。それが見えるから恐らく男性客からのオカウチ・コールもどんどん大きくなっているのだろう。彼がステージを去る際、袖で待っていた安藤さんがハイタッチを求めたのも、何気にいい場面であった。バンドっていいねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年11月10日(木)

 

横浜赤レンガ倉庫で、チャラン・ポ・ランタンと愉快なカンカンバルカン、ツアー初日。

 

ザッツ・エンターテインメント! 「大衆音楽の手引き」のタイトルに偽りなし。ブラス3人娘を大いにフィーチャーし、カンカンバルカンとだからこそやれる(映える)動きあるショーを存分に展開していた。

 

キーワードのひとつはアップ・トゥ・デイト…かな。つまりけっこうな旧曲であっても、いまのチャラカンが鳴らせば最新型の曲になるということ。そのようなアレンジに唸らされる場面、多々あり。

 

いつもより曲をたくさん詰めこんだ内容だったのもよかった。この内容が回数を経てどのようにこなれ、どう発展していくのか。いまからもう来年のツアーファイナルのサンプラが楽しみでしょうがない。

 

 

 

 

『溺れるナイフ』

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2016年11月8日(火)

 

新宿TOHOシネマズで、『溺れるナイフ』。

 

平日の昼間に歌舞伎町で『溺れるナイフ』。客は10代~20代前半と思しき女性ばっかで、僕の両隣も10代後半らしき女性同士。おっさん的には多少の居心地の悪さも感じつつ着席。賛否はハッキリ分かれてるようだが、傑作との評も多く目にしたので(あと、菅田将暉くんが好きなので)観てみた。

 

まずは何しろ色彩表現が素晴らしい。キラキラしてたり神秘的だったりの自然と、若くて長細い主人公ふたりの生身感(わけても菅田くんのしなやかな躍動)。その合わさりや対比。監督は(撮影当時)26歳の山戸結希さんで、僕は初めてこの方の作品を観たのだけど、とにかく色彩~映像感覚の優れたひとなのだなぁと。仮に写真家になったとしてもこの方は大成したに違いないと思えるくらい。で、説明的な部分を切り捨てて、話…というかふたりの感情をどんどん動かしていくあたりも新世代的というか感覚的というか、だって映画なんだからいちいち説明しなくていいでしょ?!的な大胆さが感じられ、この方は自分の表現の仕方にものすごく自信を持っておられるのだなーと思ったりもしたし、なんかもう才気迸ってる感じが映像のあちこちからブワッブワッ出てきてるのだった。けど、そういった「こりゃ確かに凄い才能だわい」と感心する気持ちと、自分にとっての好き嫌いはまた別もの。確かに10代の頃の、自分でもどうしていいんだかわかんない衝動やら激情やらを思い出して、このわからなさ、わかるー、とか思うところはいくつかあったけど、うーん、なんだろな。ドキドキはしたけど、何かモヤモヤも残るこの感じ。も少しあとで考えてみます。

 

小松菜奈は特に好みでもないけど確かに肢体と表情が美しく、これは直截的なエロシーンのないポルノ映画かってくらいに生物的なエロスが噴き出てた。あと、地団駄踏むときの少女っぽさと濡れた白シャツに透けた赤ブラのギャップ、やばし。

 

それとあとね、全然知らんひとでしたが、ジャニーズWESTというグループの重岡大毅くんってのが普通の田舎の少年を演じてて、それがこの映画においてまっとうによかったです。例えば小松菜奈の演技が演技というよりもともとこういう生き物にしか見えないのに対して、彼は役者としてちゃんといい演技をしてる感じ。あんまり書くとネタバレになっちゃうけど、彼のあの熱唱シーン、テレビ版『モテキ』の満島ひかりの「ロックンロールは鳴りやまないっ」ばりに気持ちがこもっててグッときたねぇ。

 

因みに歌あり曲の使われ方に関してはイマイチというか、僕はピンときませんでした。

 

2016年11月5日(土)

 

ビルボードライブ東京で、ヤエル・ナイム(2ndショー)。

 

とてもよかった。新作『Older』に見ることができた“成熟”のありようをレコードとはまた違った形で感じることができた。生死に向き合った深くて複雑な感情を、しかしライブではアルバムよりももっとズバッとエモーショナルに投げかけてくるというか。だから観ていて純粋に楽しいのだ。客席に分け入ってみんなにコーラスさせたりする場面とか特に、ショーは楽しいものじゃなくちゃというような彼女の意気と姿勢が伝わってきたりもして、ああ、ライブアーティストとしてもこんなに進化してるんだなーと。

 

やっぱり歌声そのものが本当に魅力的なひとで、曲によってはとてもポジティブな感じがそこに表れもするし(そういう方面の曲においてはちょっとマイア・ヒラサワさんを想起させるところも)、柔らかさもあったりするし。またおもいきり憂いの成分が歌に表出するときもあるし、神聖なムードを漂わせるときもあるし。それがこう、意識的に歌い方を変えてるとかいうふうにはまったく思えなくて、そのコントール度合いに天性のものを感じずにはいられないわけで。ブリトニーのカヴァー「TOXIC」にはそこに官能的な成分も見て取れたもんな。結わいてた髪をバサッとほどくあたりの見せ方も含め、圧巻でした、あそこの歌表現。

 

あと、彼女の弾くギターの音色は歌よりも繊細で、ちょっとヴィニ・ライリーとか昔のベン・ワットみたいな水彩画のタッチだったのも妙に印象的だったりして。ミニマルなバンド編成もまたビルボードライブという場所に見合ったものでしたね。

 

親密さと開放的な感覚のバランスがとても心地よかったこのライブ。観に行けてよかった!

鬼束ちひろ@中野サンプラザ

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2016年11月4日(金)

 

中野サンプラザで、鬼束ちひろ。

 

今年4月の三井ホール公演を観た方がツイッターで「(ほぼ)完全復活」と書かれていたので、その言葉に賭けてチケットを購入。ものすごくガッカリするかものすごく感動するか、どっちかしかないだろうと思いながら会場へ。ドキドキした。始まる前にあんなにドキドキしたライブ、なかなかない。

 

自分にとって特別な歌手のひとりだ。デビュー当時から2003年までに10回近く取材した。2002年の武道館は僕が生涯観た全てのライブのなかで10指に入るくらいのもので、未だに忘れられない。なんと言われようが、本当にいい状態の鬼束ちひろがどれだけ凄いうた表現者であるかを自分は知っている。

 

空白、そして迷走。ある時期からは見るに堪えない状態が続いていたが、いつか必ず「戻ってくる」はずだと僕は心の中で信じて、静かにそれを待っていた…気がする。そして昨日という日がきた。

 

(なんと)「Cage」で始まり、「月光」で終わった1時間半。MC一切なし。特別な演出もなし。アンコールもなし。ただ歌だけがそこにあるというものだった。血を流すように、祈るように、彼女は歌いきった。まさしく全身全霊。全盛期と比較すればまだ多少のピッチの揺れはあったがしかし、声の出力は圧倒的だった。まるでまともに歌えていなかった時期とは完全に別人。よくここまで戻ってきたと思う。

 

バンドはピアノとチェロとパーカッションまたはドラムというミニマルな編成で、やはりピアノとチェロがその音楽にはよく合っていることも再確認。彼女の歌は曲が進むほどに凄みを増し、終盤の4曲…「蛍」「流星群」「good bye my love」「月光」の歌表現は特に迫りくるものがあった。わけても大名曲の「流星群」。その歌詞がこれまでといまの彼女のありようにも重なり、僕は落涙した。

 

「奇跡など一瞬で この肌を見捨てるだけ」
「こんなにも無力な私を こんなにも覚えていくだけ」
「でも必要として」

 

「叫ぶ声はいつだって 悲しみに変わるだけ」
「こんなにも醜い私を こんなにも証明するだけ」
「でも必要として」

 

終わってしばらく席から立ちあがれず、大きく呼吸。「完全」という言葉を使うことにはまだ少し躊躇いもあるが、「限りなく完全に近い」復活と言っていい。ずいぶん時間はかかったけど、恐らく彼女はもう大丈夫だろう。世の中にどれだけこのことが正しく伝わるのか(伝えられるのか)わからないが、2016年11月4日、鬼束ちひろはひとりの(真の)うた表現者としてここに「戻ってきた」。だから僕は昨日という日を忘れない。