9月20日(木)


代官山の某スタジオで、鬼束ちひろに取材。


5月30日に2年7ヶ月ぶりのシングル「everyhome」を出して活動再開を知らせた鬼束ちひろ。
今週(9月19日)には、次のシングル「僕等 バラ色の日々」が発売されたところ。
そして10月31日には、3rd『Sugar High』以来、約5年ぶりとなるオリジナル・アルバム『LAS VEGAS』の発売が決定している。
今回はそのアルバムのためのインタビューだ。


僕が彼女に会うのは、2003年8月発表のシングル「Beautiful Fighter」の取材以来なので、ざっと4年ぶり。
2000年発表の2ndシングル「月光」がヒットし始めた頃に初めて会ってから、「Beautiful Fighter」までは、シングルもアルバムも含めてほぼ全作品のリリース・タイミングでインタビューをしてきた。
数えてみないとわからないが、ざっと10回近くは取材したと思う。


思い入れは死ぬほどある。


非常に波がある人であり、作品もライヴもいいときとよくないときの差が激しい人だった。
毎回、平均点で80点を取るタイプではなく、10点のときもあれば、100点を上回るときもある人だった。
が、いいときのその凄さは破格だった。


ライヴで言えば、やはりなんといっても2002年の武道館公演。
少しの休養を経たあとの復活ライヴ。
まだリリース前だった『Sugar High』の、つまり会場に足を運んだ人たちがまだ聴いたことのない新曲だけで構成された公演で、つまり新曲初披露を武道館という場所で行なうという、ありえない試みだったのだが、あのときの彼女の集中力と凄味といったら比較できるものがほかにないほどだった。
圧倒的だった。
僕は終わってからしばらく立ちあがることができなかった。
生涯観た邦楽の全ライヴの中でも、あの感動は忘れ難いもののひとつだ。
ヘンな言い方だが、何かがのりうつってでもいるかのような凄味があった。
そのあとに取材したとき、彼女自身も友人から「ステージに竜がいるみたいだったって言われた」と言って笑い、その手応えの強さを大いに感じていたようだった。


あれを観てしまった僕は、だから彼女が集中しきれたときにどれだけ破格の力を発揮するかをわかっている。
あの力をコンスタントに出せるのなら、僕は大袈裟じゃなく世界にも誇れる歌うたいであると言うこともできる。


作品で言うなら、僕の感触としては「infection」→「流星群」→「Sign」と続いたあたりがもっとも凄かった。
彼女自身のクリエイティヴィティがもっとも漲っていたのがこの頃だったんじゃないだろうか。
このアーティストはどこまで行ってしまうのだろうと、僕はこの頃、そんなドキドキとワクワクを感じていた。
プリンスのキャリアにたとえると、『パレード』から『サイン・オブ・ザ・タイムス』のあたりの感じ。
「Sign」のときは、少し休んだあとでもあり、「お久しぶりでーす」なんて言いながらニコニコして取材部屋に入ってきた彼女を見て、その明るくなった雰囲気と、歌詞の書き方の変化に、新章の幕開けを感じたりもした。


が、次の「Beautiful Fighter」で会ったときは、彼女はまた何かに苛立っていたようだった。
この曲はともかく、そのあとの「いい日旅立ち・西へ」や「私とワルツを」あたりは、僕にはピンとこなかった。
今回、取材した上で、僕のそのような思いに対して彼女が言うには、この頃の作品(「Beautiful~」~「私とワルツを」あたり)も楽曲的には問題なかったというか気に入っていなかったわけではなかったそうだが、確かにこのあたりでレコード会社など環境と自分との間の向きの違いが著しくなり、続けていけない状態になっていったとのこと。
ベスト盤の発売が、当時のレコード会社との確執の原因になったと言われたこともあったが、発端はそれよりも前だったということだ。


と、このあたりの経緯は、非常にデリケートなことだし、僕のようなライターがわかったようなことを書くのは違うと思うので(どこかに対してご迷惑をおかけすることにもなりかねないので)、これ以上は書かない。


その後ユニバーサルに移籍して、2004年10月には「育つ雑草」を出したが、これはまだ歌に反逆の力が残っていたものの、またもプリンスにたとえるなら、彼がワーナーとの確執のあと頬に「SLAVE」という文字を書いて苛立ちながら歌っていたあの感じにまあ近いものだろう。


その後、約3年の空白。


時期としていいのかよくないのか……わからないが、とにかくニュー・シングル「everyhome」をリリースして彼女は活動を再開させた。


このシングルを出したタイミングで、テレビの歌番組に2本出演した。
「ミュージック・ステーション」と「僕らの音楽」。
僕は録画しておいて、その日の夜中に続けて見た。
いろんな思いが巡ったが、一言で言うなら、「ミュージック・ステーション」は見ていて胸が痛かった。
正直、なぜこの時点で生放送の音楽番組に出す必要があるのか、疑問と戸惑いと少し憤りも感じた。


が、「僕らの音楽」に関してはまた別の思いになった。
どう言えばいいだろう……。
とにかくトークは別にして、歌のことである。
「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」と「everyhome」はともかく……。
最後に歌われたのは「流星群」であり……正直に書くが、僕はそれを見てたら何かが込み上げてきて泣いてしまったのだった。


あの「流星群」には、胸をつかれた。
ある意味、武道館公演と同じくらい、何かが胸に迫ってきた。
何か。その何かってなんだろうと自分でも考えてみる。
声量はかつてと比べ物にならないほど、あまりにも弱い。弱々しくて、辛くもなる。
だが。
彼女はその歌に全身全霊というほかないぐらいの感じで入り込んでいた。
入り込むというか、なんだろう、しがみついていたというか、抱きしめていたというか、とにかくその歌が彼女をそこに立たせていたようだった。


「奇跡など一瞬で この肌を見捨てるだけ」
「こんなにも無力な私を こんなにも覚えていくだけ」
「でも必要として」


「叫ぶ声はいつだって 悲しみに変わるだけ」
「こんなにも醜い私を こんなにも証明するだけ」
「でも必要として」



この歌は、鬼束ちひろに歌われることをずっと待っていたんだなと僕は思った。
なんとも言いようのない、得体の知れない……でも感動と呼べるような種類のものを僕はここで受け取り、テレビを消してしばらくぼーっとしていた。




長く書いてしまったが、そんな時を経て、今回の取材に至った。
僕は彼女に会えるのを「待っていた」……のだろうか。
自分ではよくわからない。
「待っていた」というよりは、いつかまた会えるだろうというか、会うことになるだろうというか、そんな思いはずっとあった。
生きている限り、彼女がいつかまた必ず歌うことはわかっていた。
歌がなければ立てない人だからだ。
そこらのなんちゃってアーティストの何万倍も、彼女の歌への思いと必要さは大きくて切実だ。
それだけに、歌えなくなりもする。
歌えないということも、しかし彼女にとっては歌なのだと僕は理解している。

とにかく……およそ4年ぶりに彼女に会った。


まわりが視界に入らないように歩く彼女が、撮影に向かう前に、僕はスタッフに紹介されるまで待とうかどうしようか迷ってはいたのだが、思いきって自分から彼女に声をかけてみた。
「内本です。久し振り」
無表情で歩いてた彼女は、驚いたように僕を見て、少しの間のあと、笑顔を見せてくれた。
インタビューに入る前には、「髪、のびましたね」と僕に言った。
いろんな意味で心配していたのだが、このときに、ああ大丈夫だ、ちゃんとした会話ができる、話を聞くことができると僕は思った。


昔から目を見て話す人だったが、さらにその感じが強まって、彼女はずっと、本当にずっと、僕の目を強く見て話した。少しの間も目をそらさなかった。
言葉数は、基本的には少ない。
が、ときどきたくさんの言葉を返してくれた。


昔、彼女は、質問に対して、間を開けることなく、すぐに答えを返していた。
その速度はけっこうなもので、感覚としてイエスかノーかありかなしか好きか嫌いかを即座に判断できる人なのだと感じていた。
今回はどうだったかというと、やはり答えまでの間はそんなになかった。
答えが言葉ではなく、「うん」とか「ううん」だけのときはたくさんある。
でも、その「うん」は、本当に「うん」であり、その本当の「うん」を言うまでの間には時間をほとんど要しない。
「everyhome」が出たときに、ある雑誌で「……」ばかりが多いインタビュー記事を読んだのだが、今回の僕の取材で「……」で終わったところは確かひとつもなかった。


張りつめたような緊張感を伴う空気はあった。
体力のない状態で、しかも僕の前にも別の場所で1本インタビューを受けていたそうなので、たいへんだったとは思うが、彼女は非常に集中してくれたと思う。

最後のほう……全曲について質問しているあたりは、さすがに疲れたようで、聞く集中力が途切れかけた感もあったが、しかし結局1時間以上、僕のいろんな質問に、彼女は頑張ってついてきてくれたと思う。


僕は思う。
インタビューというのは、ものすごく集中力と気力のいることだと。
訊く側の僕も、例えばこの仕事を始めた10数年前ならまだ1日に3本(3アーティスト)の取材をするなんてこともあったし、それができた。
今は無理だ。
2本もやれば、クタクタになる。
1対1で向き合って、真剣にその人の話を聞くことには体力と精神力がいる。
僕はもともと人と話すのがどちらかといえば苦手なほうで、喋るより文字にするほうが楽だし伝えられるし、だからライターなんて仕事を楽しんで続けていられるわけだが……まあ話を聞く側の僕にとってもこれだけ力が必要なように、インタビューに答えるというのも、人によってはとても大変なことだと僕は理解している。
ましてや彼女はごまかしたりテキトーに流すことが断じてできない人なのだ。
本意じゃないことは言いたくない人なのだ。


まだ体力も精神力も戻っていない今の状態で、しかしその彼女がこれだけ集中して話を聞いてくれたこと、話してくれたことに、僕は今の彼女のなにがしかの力を感じた。
力というかなんというか、とにかく踏み出していこうとする思いであったり、アルバムの歌たちに込めた思いであったりだが……体調のことはおいといてもまずそういう気持ちが前にでてきていることを感じることができた。

どういうことかというと、それだけ、今やるべきこと、自分の音楽を広く伝えるということに対して、彼女は前向き…というか懸命になっているということだ。


いろんな思いでとにかく胸がいっぱいになった取材であり、それは苦しくなるほどで、僕は取材のあともずっと彼女のことを考えたりしているのだが、とにかくひとつ言えるのは……というか、実際に彼女に言ったのは、人生は長いんだから、焦る必要はないんじゃないかということだ。


そして、一番よかったなと思えたのは、今度のアルバムのいくつかの歌詞にもあることだが、人生は続いていくということを、彼女自身がだいぶ冷静に、ある程度客観的にも見れるようになったということだ。


1曲目の「Swwet Rosemary」で、彼女は歌っている。

「人生は長いのだろう」 と。


「everyhome」では、「goin'on goin'on 」 とも。


「まだ今は来ない次の列車を待つ」 とも。



それで十分じゃないかと僕は思う。
そこからゆっくり始まっていけば、また突然(彼女に)火がつくこともある。
彼女は前から突然、予兆もなくパッと着火するタイプであり、そうなったときの竜が天に駆け昇っていくかのような状態を、僕は知っている。
だから、時間をかけてゆっくり自分のペースでやっていけば、またそうなるときがあるよと僕は彼女に言った。


彼女はそれに対してこう言った。
「うん。私もそういう自分を知ってます」と。


これで十分じゃないか。





新作『LAS VEGAS』は10月31日に発売される。
小林武史のアレンジに賛否は分かれそうだが(僕の正直な感想としては、いいと思えるところと、これは違うなと思えるところの両方がある)、新しい一面を見せることができているのは確かだし、とにかく小林氏を信頼したことで彼女が頑張れたのだから、それはよかったことだと思う。

歌唱はまだ弱々しいところも当然あるが、詞曲の世界観は唯一無比でやはり心を揺さぶられまくり。
とりわけ、歌詞から以前の作品のような抽象性が薄れ、ずいぶん直截的になっているところに成長を見る。

3年という空白は、彼女が彼女なりに抱きしめればいいと僕は思う。



ああ、長くなっちゃったね~。
思いを整理しないまま、だっと書き散らかしてしまったけど、とにかくまたここから僕は彼女の音楽にじっくり向き合っていくのだろう。


「人生は長いのだろう~」という、「Swwet Rosemary」の一節を口ずさみながら……。








↓最新シングル

僕等 バラ色の日々/鬼束ちひろ