8月20日(月)


ゼップ東京で、スピッツ・結成20周年祭り。



『追悼のざわめき』の次の記事がスピッツというのも、どうかと思うが。
まあ、この振り幅が僕ってことで、ひとつ。


イベント名の通り、スピッツの結成20周年を記念してのライヴ・イベント。
その気になれば、それこそ武道館とかで、どかんとお祭りっぽくやることもできるだろうし、告知もだーんとやって盛り上げれば、動員だっていくらでも見込めそうなものだが。
そういうやり方を決して選ばず、ゼップで身軽にやる感じが、まさにスピッツらしい。
いや、「結成20周年」と銘打ったこういうイベントをちゃんとやるだけでも、十分大人の態度だと言えるか。
結成何周年みたいなことで盛り上がったりするの、嫌いそうな人たちですもんね。



出演は順にGOING UNDER GROUND、曽我部恵一バンド、つじあやの、フラワーカンパニーズ、そしてスピッツ。
僕は曽我部恵一バンドの後半から観た。


やたらパワフル&ハイテンションで「ロックンロール!」とか叫びながら全力演奏する曽我部さんとバンド。その見た目は70年代のフォーク・グループのよう。ほんとーにパワフル。

つじあやのさんは、5曲中3曲もスピッツの曲のカヴァーを(「ハチミツ」「猫になりたい」「サンシャイン」)。
緊張して出だしの歌詞がとび、やり直したりするところで、いい和みのムードに。

フラカンさんは、どアッパー。ヴォーカルの人は今年38だと言っていたが、それであのノリは凄い。
スピッツの(パフィーの)「愛のしるし」も、振り付け入りでカヴァー。

そういえば、「下北沢へ出かけよう」という新曲を彼らは歌っていたが、スピッツを除き、どことなく下北の匂いのする出演者が揃ったのは、偶然なんだろうか。


スピッツの登場は、待ちに待って9時。
野外フェスなどとは違い、ファンは彼らを観るため、ずっと(6時開演だから3時間も)フロアに立っているわけで、一度退出したらいい場所を取られちゃうという念もあってそこを動かず、それはなかなか大変なことだなという気がちょっとした。


それはともかく、スピッツのステージングはさすが20年バンド。
ハイテンションなわけでもなく、もちろんヌルいわけでもなく、安定とロック的スリルを絶妙な塩梅で両立させながら、しっかり聴かせる。
「僕はジェット」で始まり、「スパイダー」「うめぼし」「ヒバリのこころ」など、ど初期の曲が中心。
このあたりは、20周年を意識してのものだろう。
が、新しめの曲と並べて、まったく古さを感じさせないという、その楽曲の普遍性たるや!

アンコール含めて1時間弱の短いステージではあったが、やっぱりいいバンドだな、ほかに類を見ないバンドだよなと改めて思う。


正宗くんは、出演したバンドたちに感謝の言葉を述べ、そしてトリでやってるのが自分たちであることに、ちょっと照れに近いような独特の感じをおぼえているようだった。
「大御所みたい」というようなニュアンスのことを自虐的に言って、若い観客にはまったくわからないであろう村田英雄の手の真似までしてみせていた。
こういう場面で、ああ、だから彼のことを信用できるんだよなと僕は思ったりする。
「大御所みたい」な状態にあることに、彼はちゃんと居心地の悪さを感じているからだ。

正宗くんのスタンス、あるいはスピッツというバンドのこのスタンスが、いい。


20年やっても、この先も、絶対に大御所になんかなりたくないし、そんなふうに思われたくないし、偉そうになんかできっこない。
ただ誇れる作品を世に送り、誇れるライヴを観せられればいい。
そういうところが、もう絶対的に信用できるし、共感してしまう。


僕が死ぬほど嫌悪するのは、偉そうにすることとか大御所みたいな態度を取ることとかそういう人とかで、それはどんな業界であっても言えること。
僕は死んでも大御所になんかなりたかねぇし偉そうになんかしたくもないしできないし、そうやって、ただそれなりの質の原稿はちゃんと書き続けていければいいなというかいかなくちゃなと、そんなことまでを正宗くんを見ていて思ったりして、だからこの男が、このバンドが好きだってところもあるんだなとわかった気がしたのだった。




スピッツ/スピッツ

いい曲はいつまでもいい曲であり続けるということのステキ。