1997年6月25日IWA・JAPANプロレス後楽園ホール | 佐藤淳一レフェリーブログ “きれいな水で泳ぐも人生。 汚れた水で泳ぐも人生。”

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2017年11月23日にプロレスレフェリーを引退しました。
現役時代は、沢山の方に支えられ、そして応援していただきありがとうございました。

6月19日長野・飯田市勤労者体育センター
6月20日三重・メッセウイングみえ
6月21日岐阜・萩原町あさぎり体育館
6月22日愛知・江南市民体育会館
6月25日東京・後楽園ホール

6月シリーズ参加外国人選手には、
“人間魚雷”テリー・ゴディ
“ワイルド・ファイヤー”トミー・リッチ
目玉の外国人選手を招聘し、後楽園ホール大会では、

ザ・グレート・カブキ
テリー・ゴディ
トミー・リッチ

vs

冬木弘道
邪道
外道

という玄人好みのカードが組まれます。

邪道&外道選手のキャッチコピーと
トミー・リッチ選手のキャッチコピーが

共に『ワイルド・ファイヤー(野生の炎)』

だったために、トミー・リッチ選手の
コール時には

『“元祖”ワイルド・ファイヤー』

とコールされていたと記憶しています。




テリー・ゴディ選手は、13歳でデビュー後、マイケル・ヘイズ選手との
『ファビラス・フリーバーズ』で全米を席巻。
日本マット界では、スティーブ・ウイリアムスと『殺人魚雷コンビ』を結成。
シングルプレーヤーとしては全日本プロレスで三冠ヘビー級王者になり、
95年よりIWAマットに登場。
ガラスマッチなどのデスマッチに身を投じ話題を呼んでいました。




一方、トミー・リッチ選手は、
あのハーリー・レイス選手を下し、
第59代NWA世界ヘビー級王者になったが、
わずか3日間という短命で王座から転落。
“元NWA世界ヘビー級王者”の肩書を持ちながらこの頃はECWにも参戦していました。


当時の淳一少年がIWAで楽しみだったことは次のシリーズはどんな外国人選手が来日するのだろう?
期待に胸をときめかせていました。


後年、自分がIWA・JAPANプロレスに入社して、ブッカーを務めていたダグ・ギルバート選手(フレディ・クルーガー)から
聞いたトミー・リッチ選手の少し笑える
エピソードを紹介します。


~エピソード~

オフの日に六本木のナイトクラブで遊んだトミー・リッチとダグ・ギルバート。

ほろ酔いのトミー・リッチはタクシーを
拾いホテルの名前を告げ乗車。
上機嫌で鼻歌を唄っていたそうです。


タクシーが急に停車し、運転手がちょっと待っててくれと合図をしてどこかに消えました。


数分後、戻ってきた運転手の手にはサイン色紙とサインペン。


ダグとリッチは、「運転手がプロレスファンで自分たちに気がつきサインを書いて欲しいんだな」と思い構えていたそうです。


運転手は目をキラキラして、
トミー・リッチ選手だけに

「サイン、プリーズ!!」

とサイン色紙を差し出します。


リッチ選手もお酒を飲んで上機嫌でしたのでサインに応じ色紙を手に取ります。


次の瞬間、タクシー運転手が発した言葉は、


「ユー、ジョン・ボンジョヴィ?」


(タクシー運転手は、トミー・リッチ選手の事をBON  JOVIのJON  BON  JOVIと勘違い)


リッチ選手も「Yes!!」と答え、スラスラとペンを走らせ色紙に書いたサインは


『JON  BON  JOVI』


その後、車中ではホテルに到着するまでに
トミー・リッチ選手による

「~You  give love  a bad  name~♪」

とボン・ジョヴィの曲を熱唱(笑)



今でも仲の良いダグ・ギルバートに電話で話をするときも冗談で、

淳一「ボン・ジョヴィ元気?」

と英語で聞くと

ダグ「Yes!!トミーさん元気!!」

と返してきます。