坂本龍一さんのこと



 「こっちのことは気遣わずともご自分を大切に。」僕の病気のことは気を遣わなくて良いからご自分の身体を大切に。いつも坂本さんはそう仰っしゃられました。「互いに残された時間を充実したものにしましょう。」そう励まし合いながら

 

30年以上を過ごされたニューヨークから治療のため、日本へとやむを得ず借住まいなさっていた坂本さんに、終の棲家として是非長野にいらしてくださったら嬉しいなという僕の勝手な思いから、長野の安曇野や聖高原の雪景色など日々の写真をお送りしていました。坂本さんはいつかニューヨークの家に戻りたいと努力しておられたようですが、残念ながらその願いは叶わず東京で最期を迎えることになってしまいました。

 

 ここ数年、互いの誕生日がある冬の時期になると、僕と坂本さんは特に頻繁にメールでのやり取りを繰り返していました。最近は互いに入院していることが多く、病院のベッドの上からということが多かったと思います。なかでも、昨年の年末から今年の坂本さん71歳の誕生日だった 117日が過ぎるまでは、何か特別な不安を抱かざるを得ない状況でした。しかしながらその不安は絶望的とは違うものでした。気がかりだったのは、坂本さんからメールの返信がいつもにも増して余りにも速かったことです。17日の誕生日が過ぎるまでPCのログイン状態がずっと続いていたことから、PCはずっと開きっぱなしで、もしかしてベッドから起き上がることすらままならないのではないかと想像は容易く、メールにて「具合いはいかがですか」の一節をなかなか送ることができぬまま、何度も何度も書いては消していました。

 

 20117月 はじめて坂本さんよりご連絡をいただき、跳び上がるほど心躍らせたことは今でも忘れられません(無論、僕からの猛烈なアプローチの末にですが)。20121215日 松本市民芸術館に於いてはじめてお会いすることが叶い、そのあたたかな人柄に触れました。1980年代 中学生だった僕は『RYDEEN』でイエロー・マジック・オーケストラの存在に触れて以降、坂本さんはずっと憧れの人でした。彼は僕の生きる手本だったのです。まさか、そんな憧れの人に手が届くことになるなどと誰が想像したでしょう。

 


─ 僕の人生には坂本龍一の音楽が常に響いています。人生は短し、残された時間を大切に生きて往きたいと思います。

 



2023 428日 月命日

柿崎順一

 

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※事実と異なる記述がある旨のご指摘をいただき一部文章を修正させていただきました  20230429

 


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