さて先日、僕はさる展覧会へ行く機会に恵まれました。
この展覧会、これまで関東で開かれることはあったのですが基本的に遠征のできない僕はその内容に非常に心惹かれつつも、この目で確かめることができず、歯がゆい思いを抱いていました。
時は過ぎ、日々の生活に追われてゆくなか、いつしか歯がゆい記憶も薄れ平隠な人生を送っている僕のもとに、ある情報が舞い込んできました。
まさか。
いや、そんなはずは。
穏やかだった心にさざ波が立ってきているのを感じていました。
落ち着け。
言い聞かせる自分の言葉とは裏腹に、心の奥底にしまい込んでいたあの歯がゆさがありありと蘇ってくる。
そして腹の奥底から湧き上がってくる、とめどなく熱い衝動。
求める心が穏やかだった僕を駆逐していく。
このゴールデンウイークに名古屋でも開催の運びとなった展覧会の詳細を調べあげ、スケジュール帳に「最重要」として記録するのは当然の帰結だったのだと思います。
それからは開催日である5月1日を指折り数えて過ごす日々。
でもそれは決して待ち遠しいものではなくむしろ心躍る日々でもありました。
「目にすることはできないであろう」と諦めていた僕へ射した一筋の光。
それだけでもう、僕には十二分だったのです。
迎えた開催日当日。
初日は混雑が予想されることから、余裕を持って午後会場へ出向くことにしました。
地下鉄を降り、階段をのぼり地上から会場の方向を見やります。
ここから会場を視認することはできませんが、5分も歩かない距離に来ていることを感じて、自然と気持ちが高揚していきます。
それを抑えるようにゆっくりと歩きます。
横断歩道を渡り、街路樹を横目に見ながら歩を進めるとほどなく目的のビルが目の前に現れます。
「Art space A-1」
ここは従来のギャラリーと異なり、枠にとらわれない作品群が展示されることも多い個性的な場所です。
入口の看板を眺めて「ああ、ついにここまで来たんだな」と感慨に浸りつつ、階段を上ります。
階段を上がった正面に受付があり、入場料を支払い場内へ。
僕がここで目の当たりにしたのは「正義の殿堂」。
前後左右、ギャラリー内狭しと広がる光景は圧巻で、しばし言葉を失っていました。
時間にして数秒程度だとは思いますが、やや自失状態から回復した僕は、並べられた作品群をひとつひとつ観覧していきます。
僕を待っていたのは様々な表情を多角的かつ独自の目線で切り取った、興味深いポートレートの数々でした。
躍動感、質感、艶やかさ、美しさ。それだけでなく、喜び、憂い等の微細な感情までをも写し取っているかのような作品たちは、僕の語彙力ではとうてい表しきれない、眩いばかりの輝きを放つものでした。
上階の展示も観おわったころ、ひとつの説明書きが目に入ります。
「撮影可」
これら展示物は全て撮影可能というもの。
「素晴らしいものを正しく知ってもらいたい」という、主催者側の懐の広さと作品への自負、そして真摯な想いが伝わってきます。
その思いを胸に浸透させつつ、ありがたく少しだけ僕も撮影に預からせてもらいました。
最後にお礼の意を込めポストカードを数枚と展示に因んだ、遊び心に溢れたおみくじを引いて会場を後にしました。
正義とはなにか。
そこにひとつの回答が示しているかのような、とても示唆に富んだ展示会。
僕はこれからも自身に「正義とは」を問いかけながら進んでいきたいと改めて思ったひとときでした。
最後に。
皆さまのftmmライフが輝かしいものになりますように。
おしまい。