『失敗の本質』第二次世界大戦の日本軍に学ぶ〔Ⅳ〕今の日本企業 | 六月の虫のブログ

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前回は、日本軍の責任所在のあいまいさや大きな変化への対応能力の欠如、グランド・ストラテジーのあいまいさについて書きました。


http://ameblo.jp/junebugmaymolly/entry-12028555506.html


日本は日米開戦後の確たる長期展望、そうグランド・ストラテジーがないままに、戦争に突入したのです。


近衛首相から日米開戦となった場合の海軍の見通しについて問われたときに、山本五十六は、「それは是非やれと言われれば、初め半年や一年は、ずいぶん暴れて御覧に入れます。しかし二年三年となっては、まったく確信は持てません」と答えている(本文より)。


短期決戦志向の戦略は、攻撃重視、決戦重視の考え方になり、防御、情報、諜報に対する関心の低さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって表れたのです(本文より)。


兵站とは、軍事装備の調達,補給, 整備,修理および人員・装備の輸送、展開、管理運用についての総合的な軍事業務のこと。


さて、今の日本企業の戦略はどうでしょう?


日本企業の戦略は、論理的・演繹的な米国企業の戦略策定に対して、帰納的戦略を得意とするオペレーション思考である。変化に対して、帰納的に適応する戦略は、環境変化が突発的な大変動ではなく継続的に発生している状況では強みを発揮する(本文より)。


帰納とは、経験した事実からある一般的な法則性を見つけること、演繹とは、基地の一般法則によって個別の問題を解くこと。


”『失敗の本質』第二次世界大戦の日本軍に学ぶ〔Ⅱ〕学び方”で書いたように、多くの日本企業が求めている”即戦力”というのは帰納的に考える人だと思います。


帰納的な日本企業は、大きなブレーク・スルーを生み出すことよりも、一つのアイデアの洗練に適しています。かつて、日本企業が家電製品、自動車、半導体などで強さを発揮したのはこのためです。


本書は、バブル発生以前の1984年(昭和59年)の時点で次のように警告しています。


「高度情報化や業種破壊、さらに、先進地域を含めた海外での生産・販売拠点の本格的展開など、われわれの得意とする体験的学習からでは予測のつかない環境の構造的変化が起こりつつある今日、これまでの成長期にうまく適応してきた戦略と組織の変革が求められているのである。とくに、異質性や異端の排除と結びついた発想や行動の均質化という日本企業の持つ特質が、逆機能化する可能性すらある。

 日本的企業組織も、新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造できるかどうかが問われているのである」(本文より)。


本書が書かれた後にバブル期が来て日本企業は有頂天になりました。一方、日本企業の構成で劣勢だった米国企業は、日本がバブル景気を謳歌している間に構造改革に取り組んでいたのです。


バブルが崩壊すると、日本が得意だった分野に韓国や中国企業が参入してきました。日本企業はバブルの損失処理に追われて、構造改革ができなかったのです。ハードウェア主導からソフトウェア主導へと構造改革に成功した米国企業は、一歩抜け出ました。


日本企業の多くはいまだに異質性や異端を排除し、発想や行動の均質化を求めています。本書のバブル発生以前の1984年(昭和59年)の時点での警告に対処しきれていない企業の多さに驚かされます。


組織の在り方を考えるのに本書、『失敗の本質』(第二次世界大戦の日本軍に学ぶ)は役に立ちます。


個人的に、戦後70周年の今年、大東亜戦争について学べたことはよかったと思います。



子犬を抱いて笑顔を見せる特攻隊員たち(フリー画像より)。


アメリカの戦闘機は誰でも簡単に操縦できるように作られていました。でも、日本軍が誇った零戦を操縦するには名人芸が必要だった。戦争末期になると、零戦を操縦する名人がいなくなった。みんな戦死したのです。基本的な操縦しかできない急造飛行士たちが、アメリカの戦闘機に勝てるわけがなかった。だから、神風特攻隊になるしかなかったのです。


大東亜戦争の犠牲になった日本人、アジア人、アメリカ人、その他の国の人たちのご冥福をお祈りいたします。


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