『失敗の本質』第二次世界大戦の日本軍に学ぶ〔Ⅲ〕人事と組織 | 六月の虫のブログ

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前回は、日本軍の教育システムなど学び方について書きました。


http://ameblo.jp/junebugmaymolly/entry-12027627017.html


まず、組織構造について「米軍は、統合参謀本部という組織的な統合部門を持ち、陸海軍の間に基本的な葛藤がある場合には、大統領が統合者として積極的にその解消に乗り出した。これに対して日本軍は、大本営という統合部門を持ちながら、強力な統合機能を欠いたために、陸軍はソ連・・・白兵主義、海軍は米国・・・艦隊決戦主義という目標志向性の差を最後まで調整することができなかった。基本的な葛藤がある場合でも、天皇という実体のない統合機構の中であいまいなまま処理されていたのである」(本文より)。


結局、物事は理論的ではなく情緒的に決められたのです。そして、「日本軍の最大の特徴は『言葉を奪ったことである』(山本七平)という指摘にもあるように、組織の末端の情報、問題提起、アイデアが中枢につながることを促進する「青年の議論」が許されなかったのです」(本文より)。


大本営は現実に目をつむり、過去の成功だけを見て戦術や戦略を考えていたのです。日本軍の戦術・戦略は「暗記」の世界となっていたのです。だから、末端からの情報を軽視したのは当然です。



日本軍の人事昇進システムである年功序列では、過去の成功体験からくる価値観や知識を大切にしてそれを極めようとします。置かれた環境や状況が変わっても、既存の極めた知識を基本にして行動しようとするから失敗したのです。日本軍は、既存の知識を捨てること、自己否定することができなかったのです(イノベーションは現状否定から始まる)。


「日本軍には、米軍に見られるような、静態的官僚制にダイナミズムをもたらすための、 ①エリートの柔軟な思考を確保できる人事教育システム、②すぐれた者が思い切ったことのできる分権システム、③強力な統合システム、が欠けていた。そして、日本軍は過去の戦略原型にみごとに適応したが、環境が構造的に変化したときに、自らの戦略と組織を主体的に変革するための自己否定学習ができなかった」(本文より)。


日本軍は、練習に強いが本番に弱かったのです。


また、責任の所在がはっきりしていなかったのと責任に関しても精神論が幅を利かしていたので、失敗から学べなかったのだと思います。さらに、理論よりも情緒が優先し、失敗について徹底的に分析すると上官に恥をかかせることになるので、積極的に分析もしなかったのではないかと思います。


失敗したときの責任の所在がはっきりしていない、つまり、リーダーシップをとる人がいなかったので、戦場のような環境が大きく変化する可能性が高いときに戦略を変えることができなかった。


そして、決定的だったのが日本のこの大東亜戦争の目的のあいまいさです。日本軍は戦争をして何を達成したかったのかが、よくわからないのです。


「米国は中部太平洋諸島の制圧なくしては、海軍の効率的対日進攻はありえないとし、陸軍の前進基地の確保も困難であること、最終的には日本本土の空襲による軍事抵抗力の破壊が必要であることを予測していた。これが米国の対日戦争におけるグランド・ストラテジー(大戦略)であった」(本文より)。


「これに対して、日本軍の戦略には当初から米本土を攻撃し、日本兵を上陸させて決着をつけるという本土直撃作戦の構想はたてられなかった。

 ある程度の人的、物的損害を与え南方資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国の戦意喪失、その結果としての講和がなされようという漠然たるものであり、きわめてあいまいな戦争終末観である。したがって、そこから導き出される個々の作戦目的もつねにあいまい性が存在していた」(本文より)。


今話題の安保法制に関しても、ちゃんとしたグランド・ストラテジーが描けているのでしょうか?私にはそれが見えないのです。



次回は、日本企業の戦略や組織について書きます。



次期最高司令官は誰になるのかな?安保法制が話題になっていますが、日本の軍隊組織は、あの戦争から何か学んでいるのでしょうか?今でも、練習は上手だけど本番に弱いなんてことはないでしょうね。もちろん、本番の機会が来てもらったら困るけど・・・。