十六歳のアメリカ ニュー・ファミリー 二三、感謝祭 73 | 六月の虫のブログ

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 ワドリー家に移って次の週末に、ワドリーさんのお母さん、グランマを紹介された。グランマ (grandma) は、グランド・マザー (grandmother) の愛称で、ボクは彼女をそう呼ぶことにした。彼女は七十七才で、ワドリー家から二十メートルくらい離れた一軒家に住んでいた。まだその当時の日本では、親とその親の三世代が同居する家が多かった。特に田舎では、当たり前のことで、現に日本の我が家には祖母が一緒に住んでいた。したがって、当時のボクは、なぜグランマとワドリー夫妻がそんな近所に別々に住むのか判らなかった。アメリカ人の自立精神は、幼少の頃から養成され、その培われた精神は、年老いても不変だ。ボクが日本での三世代同居の話をワドリー夫妻にしたことがある。彼らは、アメリカでは三世代が同居することは希だと言った。これはお互いの自立心と自由を尊重するからだ。後にグランマの一人暮らしが体力的に無理になった時、ワドリー夫妻は同居を勧めたが、彼女は老人ホーム行きを希望した。お互い、生活のペースもパターンもまったく異なり、お互いの自由を束縛し合いたくないというのがグランマの言い分だったらしい。これはグランマ・ワドリーに限ったことではなく、ほとんどのお年寄りがそう希望するらしい。友達のグランマも三世代同居よりも、老人ホーム行きを希望している。これもアメリカと日本の文化、社会構造と物の考え方の違いだろう。

 グランマは、かつて学校の先生をしていたそうで、七十七才の当時も頭の回転は良かった。彼女は、町のブリッジ・クラブに入っていて、週に一回はカンカキーまでブリッジをしに行っていた。二年前に車の運転は止めたそうで、ハーシャー在住のブリッジ仲間がカンカキーまで連れていってくれるらしい。ボクもクリスマス休暇でワドリーさんの息子のリックとジョンが帰ってきた時は、休暇中ほとんど毎日、グランマの家でブリッジをして楽しんだ。

 ボクは、その年最後のグランマの庭の芝刈りを任された。ワドリー家の芝刈機もスチュワート家同様、ゴーカート形式のものだ。アメリカにきて初めての芝刈りだ。スチュワート家にはチャックという大リーガーがいて、ボクのメジャー・リーグへの昇格は非常に難しかったが、ワドリー家に移籍して、落ち葉拾い専門から、ようやくメジャー・リーグへ昇格したのだった。ボクは気分良く、念入りに芝刈機を走らせた。早速、その夜、芝刈りのこととワドリー家に引っ越したことを日本のみんな宛ての手紙に書いた。



ブリッジは四人で向かい合う二人がチームになって競うカードゲームだ。グランマがシャープだったのもブリッジのおかげかも…(フリー画像より)。