十六歳のアメリカ ニュー・ファミリー 二三、感謝祭 69 | 六月の虫のブログ

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 ロータリー・クラブの交換留学生は、通常一年の留学期間中に二、三の異なる家庭にホーム・ステイすることになっている。ボクも第二のファミリーに引っ越すことになっていた。十二月の第二土曜日がそのニュー・ファミリーへの引っ越しの日だった。二番目のホスト・ファミリーは、留学生の世話役をしていたワドリーさんの家だということだ。スチュワート家を離れるのは少し寂しい気がしたが、ワドリー家へ行くのも楽しみだった。同世代の子供はいないが、ワドリーさんとはロータリー・クラブの行事に同行したり、レイバー・デーのビレッジ・フェアに連れていってもらったりと、顔見知りだったので、ニュー・ファミリーへの引っ越しには不安はなかった。ただ、ワドリー家はカンカキーの西、二十マイル(約三十二キロ・メートル)のハーシャー (Herscher) という村にあるということで、学校へ通ったり、週末友達と遊んだりするのに不便になるのが気になった。

 引っ越しの日の朝、ボクはマムに日本から持ってきた日本の歴史図鑑を説明しながら、ドライブウェイの見えるリビングルームでワドリーさんの到着を待った。ワドリーさんが到着すると、ボクの引っ越し荷物を車に積み込んだ。ボクはスチュワート家のみんなと抱き合って、お礼を言った後、バーニーとスパイクの頭を撫でて、ワドリーさんの車に乗り込んだ。ワドリーさんとハーシャーへ向かう車の中で、何を話したか覚えていないが、新しい生活が非常に楽しみだった。ハーシャーの入り口に村の標識があるが、標識の上段には大きく「 Herscher 」、そして下段には小さく「 Pop. 123 」と記されていた。「 Pop. 」は、 ”Population” の略で、この村の人口は一二三人だということだ。村というより、集落という感じだ。ワドリー家に着くと、ワドリー夫人が出迎えてくれた。ボクは、ワドリーさんの後ろから荷物を持って家に入った。ボクの部屋は、一番奥の角の部屋らしく、そこまで荷物を運んだ。運び終わると、必要なものだけ箱から出し、ランチを食べた。ランチの時、ワドリーさんはボクがワドリーさん夫婦を何と呼ぶつもりでいるのかと尋ねた。ボクは、スチュワート夫妻同様、「マム」と「ダッド」でどうかと言った。ただ、ボクはそう言ったものの、照れくさくて、ワドリー夫妻をそう呼べなかった。

 ワドリーさんの家は、平屋建ての落ち着いた白い家だった。部屋は、全部で五部屋あり、スチュワート家より二倍は広い地下室があった(後にこの地下室はワドリーさんの大規模な趣味のための部屋だということが判明する)。家族がテレビを見るリビングルームとダイニングルームとお客さん用のリビングルームが暖炉で仕切ってあった。暖炉は裏表がなく、両側から炎が見えるようになっていた。家族用のリビングが約二十畳、ダイニングとお客さん用のリビングが約三十六畳あり、スペースはスチュワート家同様贅沢に使ってあった。また、窓が非常に大きく、家の中は、スチュワート家より明るい感じがした。その大きな窓も冬の寒さに備えてか、ガラスが二重になっていた。玄関のドアも、勝手口のドアも二重ドアになっている。


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ワドリー家の玄関。新しい家族との生活、新しい友達との出会いを楽しみにしていた。