武藤貴也~こんな馬鹿な小僧を国会議員にしたのは誰だ? | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

武藤貴也~こんな馬鹿な小僧を国会議員にしたのは誰だ?

武藤貴也は安倍チルドレンで運良く当選した自民党の衆院議員だが、こんな馬鹿な小僧が国会議員だという事態が、まさに現代日本の三流国家ぶりを象徴している。

安倍晋三君の安保法制案に反対する学生たちの集まり、「SEALDs」に対してtwitterで

SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。

武藤貴也のtweet

と言って、案の定大炎上しているようだが(https://twitter.com/takaya_mutou/status/626788645379280896)、さらに馬鹿の真価を見て取れるのが、オフィシャルブログでのこんな発言だ。

題して「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観。」
http://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11937106202.html

おいおい…

日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。
戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。


このように武藤貴也は、「国民主権」「基本的人権」「平和主義」をすべて否定するのである。

たとえば、「基本的人権」について

私はこれが日本精神を破壊した「主犯」だと考えているが、この「基本的人権」は、戦前は制限されて当たり前だと考えられていた。全ての国民は、国家があり、地域があり、家族があり、その中で生きている。国家が滅ぼされてしまったら、当然その国の国民も滅びてしまう。従って、国家や地域を守るためには基本的人権は、例え「生存権」であっても制限されるものだというのがいわば「常識」であった。もちろんその根底には「滅私奉公」という「日本精神」があったことは言うまでも無い。だからこそ第二次世界大戦時に国を守る為に日本国民は命を捧げたのである。しかし、戦後憲法によってもたらされたこの「基本的人権の尊重」という思想によって「滅私奉公」の概念は破壊されてしまった。「基本的人権の尊重」という言葉に表された思想の根底には、国家がどうなろうと社会がどうなろうと自分の「基本的人権」は守られるべきだという、身勝手な「個人主義」が存在している。

ここまで大胆に基本的人権を否定するというのも、勢いだけが取り柄の小僧だからこそだろうが、彼は、親分の安倍晋三君が国会で何を苦労しているのか知らないのだろうか?
安倍晋三君は、「安保法制案は違憲ではない」と強弁するのに必死なのだよ。

つまり、政治家は憲法を守らなくてはならないのである。
だからこそ安倍晋三君は、日本会議関係者を除きほとんどすべての憲法学者が「違憲」と言っている法案について強引に「合憲」と言い張るのだ。

人は何を考え、何を言っても構わない。これぞまさに武藤貴也が「日本精神を破壊した『主犯』」とする「基本的人権」によって保障されたものである。
人は何を主張しても良い。「徴兵制賛成」の人も「米国隷従万歳」の人も、思想信条を根拠に弾圧されてはいけない。
基本的人権が担保されてこそ、武藤貴也のような身勝手で滅茶苦茶な言い分にも言論の自由はある、というわけだ。

だが政治家はちょっと違うんだよ。
日本国憲法を読め。

第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

武藤貴也はこれを否定しようとしているが、

第九十九条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

と書いてある。

つまり、武藤貴也の主張そのものが国会議員としての資格なしということだ。当然罷免に値する。国の根幹を否定する危険なクーデター思想だからである。

安倍晋三君が「安保法制案は合憲」と論理破綻した言い訳を続けるのも、それが違憲であれば政治的正当性は一切ないからだ。つまり、安倍晋三君も馬鹿だが、武藤貴也君ほど馬鹿ではない。

武藤貴也は「自分はテロリスト同様、国家転覆を謀る危険思想の持ち主だ」ということを宣言しているわけであるが、まあ、血気盛んな小僧だからそういう若気の至りもあるだろう。

問題は、誰がこんな馬鹿な小僧を国会に送り出し、好き勝手な言動を許しているかと言うことだ。

公正な選挙によって選ばれた政治家が三流であるとすれば、それは国民が三流だと言うことだ。日本国が三流なのはそういうわけだ。それで良いのか?