6.29首相官邸前抗議集会で、ほとんど目がうるうる | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

6.29首相官邸前抗議集会で、ほとんど目がうるうる

昨日は首相官邸前抗議集会に参加した。

ものすごい人数だった。
僕は、7時頃に着いて総理官邸前交差点のすぐ近くまで行ったのだけれど、その頃は歩道はもちろん、片側二車線のうち歩道寄りの車線も参加者で溢れていて、内側の一車線だけがやっとクルマを通すという状態だったのだが、そのうちにいつの間にか参加者が全車線を埋め尽くしていた。
報道によると、警視庁は事前に「抗議活動としては過去十数年で最も多い」と予測し、数百人体制で警備に当たったそうだ。( http://mainichi.jp/select/news/20120629k0000m040106000c.html

僕も、原発関係のデモは大規模なものは参加してきたが、「参加者人数:(対)警察官人数」の比率がこれだけ違うデモは初めてだ。
昨年9月に行われた6万人規模の「さようなら原発集会」でも、デモ行進の最中には、視界には必ず何人かの警察官の姿が入っていたのだったが、今回はそれがない。
もちろん我々は平和的なデモを目指しているのだけれど、もしもこれが武力デモであれば、首相官邸を制圧できる、という規模である。

念のため繰り返しておくけれど、僕は武力デモをやれと言いたいわけではないよ。
首相官邸前抗議集会は、平和的に、無血無逮捕でやるからこそ意味がある。
親子連れや年寄りも参加できるから意味がある。
だからこそ、警備の警察官も暴力的な行動には出られない。

来週のデモは、さらに多くの人が参加するかもしれない。
当然、警視庁も昨日よりも多くの警察官を配備するだろう。けれど、警察官だって人間だから、火炎瓶を持った奴を叩きのめすことは出来ても、年寄りや女性や子供に暴力は振るえまい。逆に、「これだけ多くの国民が思いをひとつにしているんだ」と痛感せざるをえないと思う。

ところで、昨日の首相官邸前抗議集会の参加者は、主催者発表で15~18万人。
まあ、主催者発表というのは割り引いて考えなければならないのは確かなのだけれど、警視庁発表では1万7000人だって。
先週のデモは、主催者発表4万5000人に対して警視庁発表1万1000人。ここで4倍の差があったのだが、昨日のデモは主催者と警察発表に10倍の開きがある。

東京ドームは、昔は巨人戦で「5万6000人の超満員」などと言っていたが、実際は満員で4万6000人弱であることはご存知の通り。
それでも、東京ドームに野球の試合を見に行った人ならばわかると思うけれど、ぐるっと見回して、見渡せる範囲で4万人以上いるというのは驚きだ。
4万5000人~5万人ちょっとということでいえば、長野県諏訪市、山梨県富士吉田市、神奈川県三浦市、兵庫県洲本市、東京都千代田区などの総人口に相当する。
満員の東京ドームは、そんな市や区の全員を収容しているのだ。
(全然関係ないけれど、僕は子どもの頃から讀賣が大嫌いであったので、東京で野球を見るときはいつも三塁側だ)

いずれにしても4万人というのは「見える範囲の人数」であって、悪いけど昨日のデモは少なくともそれ以上はいたよ。

僕が思うに、最終的には車道を全部ふさがれてしまった警視庁としては大失態だったわけで、だけど警備部の担当者は「自分たちの読みが甘かった」ということにはしたくないのだろう。
デモとか集会とか、そういった大人数が集まりそうな場合、警備部は警備計画を作成して「参加人数○○○人」と予測する。そんな書類に判子をもらった上で、各所轄から何十人、というふうに警察官を動員するのだが、今回は読みが甘すぎた。だけどそれを認めたくはない。警備計画段階の数字と実際の参加者の数字にそんなに大きな隔たりがあっては困る。
「参加者1万7000人」などという、だれでも「違うだろ」と突っ込みたくなる数字を発表するのは、警察が「反原発」「脱原発」のムーブメントを過小評価したい、ということよりも、桜田門の担当者の体面、内部事情のほうが大きいと僕は思うよ。

それはともかくとして。

原発事故からあまり経たない昨年の3月か4月に参加したデモで、まあ参加者は1000~2000人規模だったと思うけれど、解散後も僕はゴール地点にだらだら居残っていた。
30人くらいがその場に残っていた。主催者、関係者は半数くらいだったと思う。

で、「今日のデモで思ったこと、反省や今後はどうすべきか」などということを、意見のある人が語っていったのであるが、僕なんか関係者ではないから喋るのは気が引けたのだけれど、これだけは言っておきたいということがあったので、勇気を持って手を挙げてマイクを握った。

「原発に反対だという思いはみんな同じ。そしてそれに基づいて行動するのは正しいと思う。だけど、特定のイデオロギーや政治的な集団に丸め込まれるようなことにだけはなってほしくない。イデオロギーの連中はカルトと同じで、原発に反対するみんなを巻き込もうと企んでいる。そんなのに飲まれず、『No Nukes』という基本的な考え方だけで、一緒に行動できるようになってほしい」

つまりそのとき僕は、70年安保闘争のことを考えていたのだった。
彼らも、もともとは「社会を良くしたい」と思っていたはずだ。
でも、セクト主義に走り内ゲバを起こし、人々に見放されたのみならず、結果的には「社会を批判するのは良くないことだ」という風潮までをも作り上げてしまった。
その敗北の歴史を、繰り返してはならない。
しかも、「原発に反対」というのは、要するに「いい人」が多いから、その分政治的な集団にたやすく洗脳されてしまうのではないかという危険性を感じてしまう。
そういうことだった。

ところが。

昨日の首相官邸前抗議集会に参加して、僕が感動してほとんど目がうるうるしてしまったのは、組織の旗や横断幕、プラカードが全然ない、ということだった。
つまり、いわゆる組織的「動員」がない。
じいちゃんばあちゃんもいれば、若くて可愛い女の子も、ベビーカーの親子連れもいる。
去年の春に僕が思ったのは、まったくの杞憂であった。
というのか、ある意味みんな、イデオロギーに絡め取られるような、そんな馬鹿じゃないのだ。
大変失礼いたしました、ていうか、この「反原発」「脱原発」ムーブメントの底力を見たような気がしたのだった。

前々回(http: //ameblo.jp/jun-kashima/entry-11282960906.html)、前回(http: //ameblo.jp/jun-kashima/entry-11286288504.html)も書いたが、

「「反原発」「脱原発」はイデオロギーではない」
「むしろ「原発推進」こそがイデオロギーである」

我々はイデオロギー闘争をしているのではなく、単に総意として「原発を止めろ」と言っているのである。

事故直後から昨年の秋くらいまでは、テレビのキー局や新聞(全国紙)のほとんどが、御用学者の意見や大本営を垂れ流す御用メディアに成り下がっていた。
ときどき当時のブログを読み返すと、僕も当時、総務省のインターネット検閲など、今よりもずっと深刻に考えていたし、正直言って政府、官僚、財界、電力、メディアを含めた原子力ムラは、どんなに乱暴なこともしかねないと思っていた。かつて桜田門の2階(取調室階)に2週間、朝から晩まで通った身であるから、恐怖すら感じていた。

でも、少しずつではあるが、良くなってきている。

これまで存在は知っていても行ったことがなかった僕が偉そうに語るのも憚られるが、首相官邸前抗議集会についていえば、数週間前から劇的に風向きが変わった。
もちろん、ネットが果たした仕事がとても大きいのだろう。(これについてはもっと深く考えてから何か書きたい)
しかも、ある程度の規模になってくるとマスメディアもこれを無視するわけにはいかない。
キー局や全国紙で報道されれば、参加者、賛同者も増える。
大事なのはこれは、組織が日当を出して「動員」したような「首謀者がいる運動」ではないから、誰にも流れは止められない、ということだ。

最近ずっと書いていなかったので、久しぶりに宣伝させてもらおう。

去年、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんと、チェルノブイリの子どもたちを診てきた小児科医の黒部信一さんの共著、『原発・放射能 子どもが危ない』(文春新書)を、企画、編集した。
原発・放射能 子どもが危ない (文春新書)/文藝春秋
¥798
Amazon.co.jp
amazonの書評を見ればわかるけれど、小出さんとは政治的な考え方がまったく反対の人からも高い評価を得ている。
「子供を持つ人に何か一冊」ということであれば絶対にこの本、
と自画自賛だ。
文春がなかなか増刷しないので入手困難な時期もあったようだけれど、先月増刷したので是非。

と、宣伝はいいとして、この本を作るに当たって小出さんとはずいぶん行動を共にさせていただいた。
で、いろいろな人がいろいろな質問を小出さんにするのを聞いてきたのだけれど、
「原発を止めるために、なにをしたらいいのでしょう」
という問いが、どこに行っても必ずあった。

それに対する小出さんの答は
「それがわかっていたら、とっくに私がやっています」
である。
が、
そのあとにこう付け加えた。
「絵が描ける人は絵を、音楽が出来る人は音楽を、デモに参加できる人はデモに参加を。みなさんそれぞれが出来ることをやってください」

ほんとうにその通りだと思う。

そして、みんなが、それぞれ「できること」として参加したのが、昨日の首相官邸前抗議集会だった。
参加したくても出来ない人たちが参加者の数百倍はいたはずだが、多くの参加者がtwitterや動画生中継でデモの様子を拡散していた。
それを見た人たちは、次回参加する人もいるだろうし、デモに参加はしないけれど次の選挙では原発を推進する候補者には絶対に入れないという人もいるだろう。

いずれにしても、
それぞれが出来ることを。

それが、大きな力になろうとしている。
大飯についてだけ言えば、「奴ら」は意地でも再稼働させるだろうけれど、それは我々の敗北ではない。

…とまあ、今夜のブログの趣旨はこんな感じなのだけれど、

じつはここからが大問題で、「反原発」「脱原発」の人でありながら、彼のイデオロギーは原発推進と通底する、ということがある。

我々の「反原発」「脱原発」は、どんなデモに行っても必ずコールされる「子どもを守れ!」、すなわち「弱い者を守れ」ということなのだけれど、それとは逆の「強い者を味方する反原発・脱原発イデオロギー」もあるということだ。
これが厄介だ。

でもまあ今夜はここまで。
また今度。