大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算 | 語り得ぬものについては沈黙しなければならない。

大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算

今夜は、勝間勝代についての続きを書こうかと思っていたのだが、やめた。
もっと先に言わなければならないことが見つかったからだ。
くだらない人間につきあうのは、もう少し時間があるときで充分だ。

半世紀以上も前の話になるが、米国では初の原子力発電所の稼働を前に、「もし事故が起こったらどんな被害になるのか」を、原子力委員会(AEC)が詳細に検討した。
その結果、1957年に発表されたのが「大型原子力発電所の大事故の理論的可能性と影響」(原題 Theoretical Possibilities and Consequences of Major Accidents in Large Nuclear Power Plants = WASH-740)である。

で、日本でもそれを真似ることになった。

そこで、科学技術庁が日本原子力産業会議に委託した調査の結果が、「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」という書類である。
これは、1959年にまとめられていたにもかかわらず、科学技術庁(今は文部科学省)は、その存在すらひた隠しにしていた。
なぜならば、あまりにも悲惨な数字が出てしまったからである。

国はそれから約40年間隠し通し、闇に葬ろうとしていた。
とはいえ、一応国家予算で作ったものなのだから、なにも調査しなかったことにはできない。
そこで、ウソをついて、想定される被害を三分の一として概要だけを公表していた。
しかし、1999年、国会で厳しく追及されてついにばれてしまった。

毎日新聞1999.06.16東京朝刊3面の記事を引用しよう。


1959年の原発事故損害試算、国家予算の2倍以上
--科技庁、金額抑え国会に報告

 ◇科技庁、2年後に
 日本の原子力発電開始に先立ち1959年に専門の学者らによってまとめられた原発事故による損害額を試算した報告書の全文が今月初め、40年ぶりに科学技術庁から国会に提出されていたことが15日分かった。当時の国の年間予算の2倍以上に当たる3兆7000億円もの被害が予測されていたが、同庁は61年に損害額を3分の1以下に抑えた要約だけを提出し、その後は事故想定の調査を委託したことまで否定してきた。
 報告書は「大型原子炉の事故の理論的可能性および公衆損害額に関する試算」と題する文書で、原発事故発生時の損害賠償制度を定めた原子力損害の賠償に関する法律の制定(61年)に向け、科技庁が社団法人・日本原子力産業会議に委託して作成した。全文の要約(18ページ)の後に「付録A~G」が続き、計242ページで構成されている。
 出力50万キロワットの原発から2%の放射能が漏れた(放出量は約1000万キュリーで、チェルノブイリ事故の3分の1以下に当たる)との想定で、損害額を試算した。要約では最大の損害額を「1兆円をこえる」と書いてあるが、「付録G」には当時の国の一般会計1兆7000億円の2倍以上に当たる「3兆7000億円」と明記されている。人的被害を1~4級までランク付け、治療費、葬式費用、慰謝料の額など具体的な試算結果が盛り込まれている。
 科技庁は61年4月、衆院科学技術対策特別委に要約部分だけを出した。89年3月の参院科学技術特別委では、当時の原子力局長が原発事故の被害予測をしたこと自体を否定していた。
 しかし、昨年夏ごろから全文があることが一部で伝えられた。今年4月27日と5月27日の参院経済・産業委員会で、加藤修一(公明)、西山登紀子(共産)の両委員がこの問題を取り上げ、「国費を使った試算を公開しないことは問題だ」などと追及。今月2日に全文が各党に届けられた。【福井博孝】
 ◇数字の独り歩きを懸念
 青江茂科学技術庁原子力局長の話 個人的な感じだが、数値の大きさに当時の担当者は相当驚いたようだ。仮定の部分が多く、これから原子力利用の時代を迎えようとしている時に数字が独り歩きしないよう配慮したと思う。当初、全文公開しなかったのは当を得ているとしても、もっと早く公開すべきだった、と言われればその通りだと思う。


国がウソをつくなどと言うことは、今更誰も驚かない。
しかしそれにしても、「これから原子力の時代を迎えようとしている時」こそ、厳しい見地からの専門家のデータが必要だろうというのが普通の感覚であり、「当時公開しなかったのは当を得ている」などと開き直るさまは、呆れてものも言えない。

ちなみに、今やみなさんご存じかと思うが、1Ci(キューリー)とは3.7×10の10乗Bq(ベクレル)である。
だから、当時事故として仮定した「放出量は約1000万キュリー」というのは3.7 × 10の17乗Bq。

で、原子力安全委員会が今回の福島第一原発事故で「これまでに大気中に放出された放射性核種の量」(4/12)http://www.nsc.go.jp/info/20110412.pdf として試算したのが、ヨウ素131 で 1.5×10の17乗Bq。
これだけで、「当時想定した1000万キューリーの40%以上」になる。

これは「大気中に放出された」分で、海に垂れ流した分や土壌にしみこんだ分は入っていないと思う。
もちろん、ヨウ素131以外にもいろいろな放射線物質がある。
さらにいえば、原子力安全委員会は、たぶん低く見積もっている。
(小一時間もかけて一生懸命計算したのだが、僕は数字に疎く、10の何乗とか計算間違いしてたら教えてください)

いずれにしても、1960年当時、国があまりの被害の大きさにビビッて隠してしまった想定放射性物質放出量の半分近くが、福島で実際にダダ漏れしてしまったのである。
「当時の国家予算の二倍以上の損害額」だ。
今は眠いのでもう計算はしないが、誰か暇なら現在のお金に換算して。

で。

数字はともかく、僕が言いたいことは、端的に
原子力行政は「ずっとウソだった」
ということだ。

では、その「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」を見ていこう。

第 1 章
公衆災害を伴う大型原子炉事故の可能性

(前略)日本原子力発電株式会社が英国から導入する発電炉についていえば、200キュリーの放射能が数時間にわたって放散される事故が Maximum Credible Accident(以下 MCA と略称する)であるとされ、適当な措置をとれば、そのときにも敷地外の公衆には殆んど危険を与えないと判定された。
(中略)
しかし果して大型原子炉は公衆に災害をもたらす可能性が"絶対的"にないといえるであろうか。ここにおいて問題となることは、 MCA の評価に主観性が伴うという事実である。そして、その一つの岐かれ目は、原子炉の暴走を生ずるような事故を MCA と考えるか否かであり、もう一つは燃料熔融を考えるか否かの点にある。 MCA でも公衆災害をほとんど生じないというのは、設置者や許可者の慎重に仮定した原因と経過に従って事故がおきるという保証があるときに限られるということができるであろう。このような保証が技術の進歩によって漸次確かめられつつあることも確実であろう。しかし一方今日までにおきた事故―それはウインズケールをのぞき全く小規模のもので多くは研究室内に止まるものである―の経緯を検討してみると(附録(A)表2を参照)そのすべてが人為的な錯誤に起因している。多くの場合は全くの過失であり、又他の場合は知識の不完全性のため全く予期しなかつた現象が生じたことによるということができる。
(後略)

第 2 章
損害試算の基本的考え方と仮定

(前略)本調査の最終結果が過大評価になっているか過少評価になっているかということについて一言しておこう。本調査の目的からして取上げた事故の前提条件として非常に悪い場合をとり上げていることは第1章でものべた通りであるが、その評価はむしろ過少評価の側にあるものといえる。というのも一つには、調査に当然 取り上げるべきでありながら諸般の理由で除外した重要な項目がかなり多いことであり、二つには過少評価であることが明らかでありながらデータの不足のためやむを得ず採用したデータが少なくないことである。前者の例は、人体障害の評価において晩発性障害や遺伝障害を損害試算の基礎において無形財産等をそれぞれ除外したことであり、後者としては人体障害の評価において健康な成人を対象としたことや損害試算の基礎において家計財産や土地面積を過少評価しているのが その例である。


そして、『附録G』には、毎日新聞の報道の通り、最大で当時の国家予算の二倍以上の損害額が明記されている。(その資料も手元にあるのだけれど、もうアップするのが面倒なので勘弁してね。出所は秘密だ)

つまりだ。

人為的錯誤や知識の不完全性による事故は充分想定でき、「過小評価」でも、国家予算の2倍以上に及ぶ損害額を国は見積もっていた。当然それが電力事業者には伝えられていたことは想像に難くない。
しかし、数値の大きさに驚いた国は、損害額を三分の一だとウソを言って、40年後に国会で厳しく追及されるまでこの文書の存在すら認めなかったのである。

今更「想定外」などという言い訳は一切通用しない。