夢中に猛る~怪力荒熊はプロレス命のマイトガイ~/マイケル・エルガン【俺達のプロレスラーDX】 | ジャスト日本のプロレス考察日誌

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第165回 夢中に猛る~怪力荒熊はプロレス命のマイトガイ~/マイケル・エルガン




日本のプロレスは、外国人レスラーの存在抜きには語れない。日本選手を正義のヒーロー、外国人選手を悪党に仕立てた戦いの構図は、完全な勧善懲悪の世界、各国から招聘した腕自慢のレスラーは一流どころばかりで、本物の強さを見せつけたところに、急速な発展と繁栄の秘密があった。
【外国人レスラー最強列伝 門馬忠雄/文藝春秋】

昔も今も日本プロレス界の大河の一つは外国人レスラー達が残してきた伝説の数々である。彼らの闘いが伝説となり、偉大なる歴史となった。日本人が正統派で、外国人が悪党という単純な勧善懲悪ではなくなった21世紀でも、黄金の国で異国の戦士達は今日も血と汗と涙を流し、成功を夢見ている。

「僕の一番大きな夢は日本でレスラーとして活躍することだった」

"ビッグマイク"マイケル・エルガンはこう語る。
アンブレイカブル(壊すことはできない)という異名を持つパワーファイター。
2015年に新日本プロレスに初来日以来、破竹の勢いでそのパワーとスピード感溢れるファイトスタイルで日本のファンの心を摑んだエルガンは2016年に新日本プロレスと2年契約を結んだ"怪力荒熊"。

「結果にコミットしたプロレスラー」
「スコット・ノートン的パワーとダイナマイト・キッドのような鋭い技の切れ味を併せ持った男」

人は彼をこう評する。
この男の試合に外れはない。
この男の試合は常にド迫力。
この男の試合には言葉はいらない。
この男は肉体ですべてを語る。

タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、ビッグバン・ベイダー、スコット・ノートン、ジャイアント・バーナード、AJスタイルズ…。

新日本プロレスで外国人エースとして君臨してきた猛者達の系譜を今の新日本で継ぐ存在がエルガンである。今回はマイケル・エルガンのレスラー人生を追う。

マイケル・エルガンは1986年12月13日カナダ・オンタリオ州トロントに生まれた。
本名はアーロン・フレーベルという。
大家族の末っ子だったエルガンは、兄弟が持っていたお下がりのプロレスグッズを見て、プロレスに興味を持った。初めてのプロレス観戦は4歳の時で、小学生の時からプロレスラーになることを夢見ていた。彼にとってプロレスラーとは生まれて初めてなりたいと思えた職業だった。

現地のプロレスに触れる一方で、アメリカWCWに出場していた新日本プロレスのレスラー達の試合を見て、日本のプロレスに憧れを抱くようになった。将来の進路は子供の時から決まっていたエルガンはアマチュア・レスリングで鍛え、14歳の時に本格的にプロレスラーへの道を歩む。

「14歳で本格的なプロレスのトレーニングジムを見つけて通い出したんだよ。トレーニングは月曜と木曜の夜だった。学校が終わったら片道2時間電車に乗って、ジムまで通ってたんだ。プロレスが好きで予備知識があったせいか、コツをつかむのが早かったのは確かだね。ただ当時はオンタリオ州の協会に、プロレスの大会への出場は18歳以上という規則があったから、公式なプロレスの試合に出る機会はなかった」

そこでエルガンは2004年の暮れに16歳の時、年齢制限のない地域でプロレスデビューする。その後、カナダ・ケベック州やアメリカのインディー団体に転戦をしていく。

「プロレスは他のスポーツと比べてもある意味特殊で、現場に出て学ぶことが多いし、それが大切なんだ。そうやってリングで強い相手と闘うことによって学び、自分のレベルも上がっていく」

目立ったスポーツ遍歴があるわけではない、特殊な経歴があるわけでもない、アマチュアスポーツで優勝したわけでもない。エルガンは雑草プロレスラーなのだ。
2007年にROHに参戦し、その後2010年からレギュラー参戦していく。
ちなみにカナダで無名のエルガンと対戦したのが当時、フリーだった新日本プロレスのKUSHIDAだった。

「日本人レスラーの技を多用してたから、日本のプロレスへの憧れがあることはすぐにわかった。当時のスタイルは“ひとり四天王プロレス”みたいな感じで(笑)」

つまり、エルガンは新人の時からジャパニーズ・スタイル思考だった。
周りから「危険だろ」と危惧され、冷ややかに見られたとしてもエルガンはその思考を変えなかった。

「いつか日本で試合をしたい」

エルガンはKUSHIDAにこう語っていたという。
日本からのオファーは来ない。
それでも日々、少ない観客の前で全力で試合をし続けたらいつか…。

そんな日々が生んだエルガンのファイトスタイルは、憧れのレスラーの色々な要素を合わせたハイブリッド型である。

腕囲48センチ、胸囲133センチ、脚75センチ、ベンチプレス250kg、スクワット300kgという強靭な肉体が生む怪力殺法。二人のレスラーを同時に持ち上げて、フォールアウェイスラム(ブロックバスター)とバックフリップを見舞う信じられない力技は毎回大歓声を生む鉄板だ。十八番のエルガンボムは旋回式ライガーボムで、ゼロワンの大谷晋二郎のスパイラル・ボムと同型で、豪快に相手を叩きつける。その直前に見舞うコーナー・パワーボムはエルガンボムへのプレデュードだ。また、コーナーへの串刺しラリアットはターンバックルに自らロープワークをするようにぶつかってから何度も見舞う手法は大日本プロレスの関本大介ばりである。奥の手のバーニング・ハンマーは、憧れのレスラーだという小橋建太の必殺技だである。また、ジャーマン・スープレックス・ホールドはロコモーション式、ぶっこ抜き式、投げっぱなしなど多彩。トぺ・コンヒーロやフロッグ・スプラッシュ(ビッグマイクフライフロー)、ヴァルキリー・スプラッシュといった飛び技も使う。技のセレクトにも、エルガンのジャパニーズ・レスリングへの尊敬と憧れが伝わってくる。パワーだけでなくスピードもあり、ダイナマイトのようにリング上で爆発するのが"マイトガイ"マイケル・エルガンなのだ。

「例えば、バスケットボール選手であれば、マイケル・ジョーダンを模倣した動き皆取り入れるだろう? 僕も同じで憧れた先週の動きを色々取り入れた。パワーに関してはある時点で他人よりも恵まれていることに気づいたから、レスラーとして一つ抜きん出る要素とするべく最大限、活用している。とにかく、人より目立つ特徴があるレスラーになりたいんだ。また、若い頃の俊敏性も失わないように心がけている。俊敏性に関してはいい意味で見た目を裏切る武器になっているよ(笑)」

そんなエルガンにチャンスが訪れる。
2014年5月17日、ROH&新日本プロレスの合同興業でAJスタイルズが保持していたIWGPヘビー級王座に挑戦することになった。"レインメーカー"オカダ・カズチカを交えた3ウェイマッチでエルガンはその実力を見せつけるも敗れた。来日以前にIWGP王座に挑戦したエルガンは同年6月にアダム・コールを破り、ROH世界ヘビー級王座を獲得する。

実績を少しづつ重ねていったエルガンは2015年の新日本「G1CLIMAX」で初来日を果たす。そこで結果以上に内容でファンの心を摑んだ。
初来日の外国人レスラーに巻き起こる「エルガン」コール。
見た目ではない、その真摯でひたむきな姿勢はファンにダイレクトに伝わり、エルガンは人気を獲得する。

彼には日本人が好きになる要素がたくさんある。けっしてよくはないルックス、泥くささ、苦労している感じ、いずれも親近感を持ちやすい。それとやっぱり日本のプロレスにリスペクトがあるのが言葉にせずとも伝わってくる。
【“結果にコミットする”プロレスラー、M・エルガンが来日の夢を叶えた時。井上崇宏/NumberWeb】

日本で試合をするという夢を叶えたエルガン。
そして、夢は助長していく。
日本でトップレスラーになりたい。

「僕はプロレスラーだけど、アスリートとして認識されたかった。日本のプロレス文化はレスラーをアスリートとして尊重しているように思えたし、プロレス自体の認知度も高く、技や競い合いに対する芸術性も高いと感じたんだ」

エルガンは2016年3月に新日本プロレスと二年契約を結ぶ。新日本所属となったエルガンは同年6月19日の大阪城ホール大会でケニー・オメガと大会ベストバウト級のラダーマッチを繰り広げ、勝利。第14代IWGPインターコンチネンタル王座を獲得する。試合後、エルガンはこう語る。

「このベルトは俺の腰にピッタリだ。これはハードワークをこなしてきたものの象徴であり、そこまで身を捧げた者の象徴だ」

エルガンだからこそ言える重い発言である。
外国人レスラーが日本で成功するためには何らかの犠牲がある。
生活スタイルもエルガンはプロレスに捧げてきた。

「プロのレベルでレスリングをするということは24時間、週7日常にプロレス」に心身を捧げないとダメなんだ。身体のメンテナンスにはじまり、正しい食事、適切なトレーニング、1日も休まる時はないよ。例えば、僕が日本に飛行機で到着する時はたいてい午後3時到着の便なんだけど、都内に5時過ぎについたら軽く腹ごしらえをしてすぐにジムへ向かう。13時間飛行機移動した後でも、常に身体と能力を維持し続けるのが僕らの仕事なんだ」

エルガンは家庭を犠牲にしている。
家族思いのエルガンは妻と子供と離れて毎シリーズに参戦している。
それでも日本でプロレスをすることが生きがいな男はこう語るのだ。

「将来的には妻と子供と日本で一緒に暮らせたら嬉しい」

日本で伝説になることを目指すというのが"怪力荒熊"の志だ。
WWEでビッグマネーを摑んで億万長者となるのもプロレスラーのステータスなら、純粋にプロレスに向き合えるフィールドで頂点を目指すのも男の本道。
マイケル・エルガンのドリームロードはまだまだスタートしたばかり。
その先には何が待っているのだろうか?

「日本でプロレスができて本当にハッピーなんだ。大きな夢の一つはIWGPヘビー級王者になること。後々、IWGPヘビー級王者として、僕の歴史を振り返ってもらえるようになれば嬉しいね」

4歳でプロレスに出会い、6歳で日本のプロレスに触れ、14歳でプロレスラーへの道を歩み、16歳でプロレスデビューをし、28歳で憧れの日本後に降り立ち、29歳で新日本プロレスのシングル王者となったエルガンのレスラー人生を振り返り、考察するにつれて感じたのはこの男はどこまでも一途なのだ。
一途に夢を追い、夢に生きている。
その喜びと生き様の現れが、荒々しく猛(たけ)るそのファイトスタイルなのだ。

マイケル・エルガンは夢中に猛っているのだ。夢中にプロレスに打ち込む姿に我々は心を掴まれている。
だが、夢はやがて覚めていく。
襲い掛かる現実に直面していく中で夢など語れない、夢を追えないこと事態に陥るかもしれない。

「夢は破れてからが人生だ」

お笑いタレントの明石家さんまが残したアイドルグループSMAPに捧げたこの名言。彼はこの発言の意義を後日、このように語っている。

、「大変になってこそ、人生やんか。『明日、どうしよう』とか。『明日、お金必要なんや…』とか。そっからが人生やっていう…。夢を追いかけてる最中も楽しくて、目指してるものがあって人生じゃない。人生って、もっと重いものやねん」

笑いに人生を捧げた男だからこそ生まれたこの名言はエルガンのレスラー人生を重ねることができる。今のエルガンは夢を追いかける楽しいかもしれない。だが、いつかそのパワー&スピードなファイトスタイルが維持できなくなる事態が訪れる。老いには誰も勝てない。いつまでも日本を主戦場にはできないかもしれない。WWEに
移籍する可能性だってあり得る。
予期しないケガや病気、不測の事態だってあるかもしれない。
そうなった時、男は真価を問われる。

夢が破れてから彼がどう踏ん張るのか。
それとも夢が破れずにレスラー人生を全うするのか。

「僕の夢はアンブレイカブル(壊すことはできない)」

マイケル・エルガンならこう答えるかもしれない。
この先、どんな運命が待っていても彼はプロレスで夢中に猛るしかないのだ。
なぜならプロレスは彼の命であり、すべてなのだから…。