香港国際映画祭にて審査員を務めさせて頂きました。 | ワンダホー・ワールド

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映画を創る人、松本准平。140字以上のつぶやき。

ご無沙汰しております。
さて、一応ご報告。
この度第40回香港国際映画祭にて、審査員を務めさせて頂きました。


https://www.hkiff.org.hk/en/awards#signis

SIGNIS賞というカトリック教会が与える賞の審査員です。映画関係者でも、あまり馴染みのない名前だという方は多いかと思いますが、ベネチアなど世界の主要な20の国際映画祭にある大きな賞です。カンヌやベルリンにもこの賞とは少し違いますけど、エキュメニカル賞(カトリックとプロテスタントによる)があります。




上がその写真。メキシコ出身の映画批評家であるEdgarと、香港出身のジャーナリズムの大学の先生であるKamanと一緒に4日で11本(1本はアクシデントで選外)の映画を見て、最も福音的な映画を決める。
結果はSIGNIS Awardでデンマーク映画が一本。スペシャルメンションという、所謂奨励賞みたいなもので、スペインの映画をもう一本、選ばさせて頂きました。


SIGNIS AWARD


Land of Mine / directed by Martin Zandvliet

Jury’s comment: A man degraded by the War discovers compassion for a group of young German soldiers consigned to clear a beautiful landscape infested with mines. A powerful metaphor about the promise of coming home and search for hope in the hellish aftermath of the Second World War.


Special Mention


Truman / directed by Cesc Gay

Jury’s comment: Truman shows in a humorous manner how people miss their families, friends, colleagues, and even those they have crossed when they are facing death, and how they learn to reflect on themselves and listen to their hearts.

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狭い日本という国で、ただ映画を創るために四苦八苦している人間にとって、今回のような、どこか別の遠い国の知らない人の映画をただただ見て審査するというのは、本当に得難い経験でした。SIGNIS JAPAN、SIGNIS HongKong、そして今回のjuryのメンバーと今回のライナップの映画人たちに深く感謝します。

実際、映画を創るということは、経済面から言っても、その他大勢の人々を巻き込まなければならないことからいっても、大変骨の折れる作業です。だからこそ、仕方がないことですが、日本という国の中にいると、日本という制度の中でのみ、映画は考えられがちです。僕のように商業映画を志すならば、なおさらです。

どのような映画が企画されるべきか、その映画の原作はなんで、誰が出演し、どのような形でカタルシスを与え、どのように宣伝をし、どれぐらいの商業的な価値が認められるか。
普段そのようなことを考えなければ、この国で十分な予算での映画は作られ得ないのですが、今回の審査基準なんてものは、当然もちろん、そんなこととは全く違ったかけ離れたものです。
どの映画が最も福音的か。どの映画が人間を深く愛し、どの映画が社会を愛し、世界を愛し、どの映画が最も希望へと手を伸ばしたか、または希望を観客の心にねじ込んだか。暗い通底音の響きが強くなっている現代世界において、それをどれほど達成したか、なのです。

審査員という仕事は、「本当に素晴らしい映画とは、何か?」という問いを痛烈に自分に問い続けるチャンスでもありました。それは確かに映画を始めたばかりの頃に考え続けたことだったし、映画をやる理由でもあった、けれど現在はもうほとんど忘れ去ってしまっていたようなものだったような気がします。
そして一つ確信したことがあります。それは、「本当に素晴らしい映画は、たとえビジネス的な感性でふるいにかけられていなくても、多くの人の(そう本当に多くの人の!)心を打つ」ということです。
誰が作ったか、監督の名前も、俳優の名前も、もしかしたら国の名前だってよく知らない、<詠み人知らず>の映画で、どれほど魂が震えたか。そしてどれほど劇場が一体になって感動していたか。それは疑う余地がありませんでした。

もしかすると、映画というのものに商業というベールを被せ過ぎてしまっていたのかもれない。もっと大胆に。もっと単純に。もっと唐突でもいい。恥ずかしがらずに映画を創らなければと思いました。