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SHANTI
質問をいただきました!。
「どうせ死ぬのだから・・
生きる事に意味があるの」?
・・
・
「わかりません!
だって死んだ事ないもん」ww、
おっちゃん!です。
テトコちゃんありがとう。
チョッと聞きたい事があるんだけど・・
なんか勘違いしてる事なんだけど、
自分を見つめると、
自分がいる。
意識してるときだけ自分がいる。。
色んな感情は、見て上げると、たしかに
静かに小さくなるように消えて行く感じなのね
、でも自分を見ると、合わせ鏡みたいに
どこまで行っても自分がいるでしょ?
そう言う場合はどうしたらいいの?
tetoko-shanti
[色んな感情は見てあげると、消えていく。
でも、自分を見ると、
どこまでいっても自分がいる]
という自分って、何のことを言っているの?
結局、どこまでいっても自分がいる、
という[自分]って、感情や思考、
感覚の集合体でない?
[あれ?私、いる?うんうん、いるもん!^ ^]
という声、思考でない?
それもどこからともなく現れて、消えてくよね?
静寂なら正解、
思考がゴチャゴチャ現れてるからダメ、
というわけではなくて、
いづれにせよ、どこに自分がいるのか?
というのを突き止めていくというパズルだよ。
[私、いる?うん、いる~!^ ^]という声(思考)
が現れてない時、私はいなくない?
その声も、現れては消えていく思考ならば、
その声の[私]には実体がない。
では、実体のある、[私]とはどこにいるのか?
引き算だよ。
この感情、現れて消えていく、私ではない。
この思考、現れて消えていく、私ではない。
あ~、ゴチャゴチャ、
色んな[自分]うるせ~な(笑)
ゴチャゴチャ言っては消えてく、私ではない。
では、
確実に常に存在していて、普遍なものは何なのか?
見てあげるという感じだよ。
最後に、[私、死にたくない!]という思考に
たどり着いた時、恐れないで、進んでいってね。
最終的にはそれと対面する必要がある。
落ち着いて見てあげてね。
自我というものは、自我の不在というカラクリが
バレそうになると、
[ちゃんといるからー!
ほら!ほら!死んだら大変だぞー!]と、
ジタバタする習性があるので、
それはそれで、正常運転なので、余りにも嫌な気分になったら、ムリしなくても
大丈夫よ。
自然に準備ができた時に、成るように成るから、
大丈夫よ。
物心つきたときから、
自分ってあるので、身に染み付いちゃってる。
その自分って、イメージだよね?
よくよく見ると確かに、変わってきてる。
でも、変わっていない感じがある!
この変わっていない感じってなんだろう?
あのね、この自分って言う感じ?感覚が
とても嫌なのw
なんか意固地で、孤独で、センチで
かまってちゃんで、
それが、自分があるって言うイメージ、
思考なのか。
自分って、誰が一番最初に発見したのかな?
そんな頃がきっとあったんだろうね(笑)。
tetoko-shanti
物心ついた時から、自分がいるって、
言語を覚えて、親から[あなたは〇〇ちゃん、
あの子は〇〇君よー]と言われると、
対比ができて、[あの人は自分より優秀だ]とか
[劣ってる]とかいう判断、概念も生まれてくるんだろうね。
それ以前はただ、[空腹だー!][嬉しい][悲しい]
といった感覚だけがあったんだろうね。
この自我的な感覚?って、
感覚、感情、概念がごちゃ混ぜになった
ものを、まとめて、[自分]って感じでしょ?
その、いろんな構成物が現れて消えてく感じは、
常に変わらないよね。
でも、この[自分]って、
いつも同じイメージに見えて、やっぱり、
常に新しいものが生まれてない?
本当にいつも、常に、
[意固地で、孤独で、センチで、かまってちゃん]?
同じように、
[素直で、勇敢で、愛情深くて、満たされてる自分]
みたいなのも出てくるでしょ?
自我って、複雑で、あまのじゃくでカメレオン
だよね。
本当は孤独に浸りたい時もあれば、
やっぱり孤独が嫌だったり、
自我が嫌なんだ!と言ったかと思えば、
本当は自分が最高に可愛かったり。
自我があることを嫌がっているのは、
自我自身なんだよね。
でも、そのカラクリは、
[自我が嫌だー!]という思考が現れて消えて、
[やっぱり自分が可愛い]という思考が現れて消えて。雲が現れて、流れて、消えてくのと全く同じ。
結局、その都度、その都度、
様々な思考が現れて消えているだけ。
この自我の仕組みの設定は、皆んな同じだよ。
個人がいる、という土台で話をするとすれば、
いわゆる[高尚なイメージ]の自我の構成物しか起こらない特別な自我設定なんて、ないよ。
自分可愛さに、自分を守る自分っていう、
自我的働きも、防衛反応だから、
それはそれで、正常運転で、ちゃんと働いてくれているんだよね。
それでいて、そんな自分は嫌だと、
自分を責めて、自我が、自我を苦しめるというジレンマ。
なんのこっちゃ!って感じだよね。
どんなに複雑に見える、自我の感覚も、
最終的に自我を見つめると、
[死ななくない]にたどり着くのよ。
それでいいのよ。
[オレ、最低]の自我から
[オレ、最高]の自我に移行して、
ずっと留まるのは無理ゲーなので、
やっぱ[オレ、〇〇]と起こってくる思考の、
所有者、またそれを起こしている、
コントロールしているものは、本当にあるのか?
検証してあげることなんだと思うよん。
思いつきの意味不明の
質問にも、
的確にお答えいただきありがとうございます(笑)ww。
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