ゲイフォビアのない街をさがして | ゲイ嫌いのいない街をさがして

ゲイフォビアのない街をさがして

フチタン・デ・サラゴサという、メキシコのグァテマラ国境付近にあるネイティヴ・アメリカンが住む町の名前を、初めて目にしたのは3年前だった。

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フチタンとは、メキシコ・マチスモ(マッチョイズム)が色濃くゲイフォビアの厳しい国民性のメキシコにあって、「カミングアウト」という概念もないぐらい、当たり前にゲイやレズビアンやバイセクシャルやトランスセクシャルの人々が受け入れられている町だという。

当時僕はAll About[同性愛]のガイドになりたてで、必死で記事ネタを探しネットサーフィンをしているうちに、そんな情報に出くわしたのだった。フチタンでは、ゲイはただ単に第3の性として認識されているに過ぎない。。。。この一文に、僕の胸は踊った。ゲイ・フォビア(ゲイ憎悪)がほとんどないなんて想像もつかないような町で、ゲイ達はどんな風にして暮らしているんだろう。


ゲイフォビアは、世間にも自分の中にも、いつだって当たり前にある。どんな国でも程度の差こそあれ、ゲイフォビアはあるものだ。アメリカでは、ゲイ達は圧政やヘイトクライムなどと闘いながら力をつけ、今日がある。つまり、常にゲイを嫌う力と平等を訴える力とのせめぎ合いの中にいるのだ。ヨーロッパの多くの国でも、それは同じだろう。

イランなどでは、同性愛行為は死刑。このことを知ったときには、戦慄を覚えずにはいられなかった。日本に亡命しようとしているイラン人・シェイダさんは「国に殺されるよりも先に、親に殺される」と、語っていた。そのくらい、ゲイフォビアが圧倒的な力で国の隅々まで浸透しているのだ。

中国や韓国などでは、カミングアウトなんてできるゲイはごく稀だ。インドネシアでは大統領が、「外国の要人であったとしてもゲイには入国してほしくない」と公言した。あのゲイにやさしいタイですら、まったくゲイ・フォビアがないわけではない。「アタック・ナンバーハーフ」のような映画が出来るからには、ゲイフォビアと無縁ではないのだ。

日本では、堂々とケンカを売ってくるやつは少ないが、集団との一体感からはじきだされてしまうようになる。「それくらいナンだ」と思う人もいるかもしれないが、集団との一体感が日本人のアイデンティティを支える重要な要素なので、多くの日本人にとって、それはつらい。


ところがフチタンでは、そんなゲイフォビアが一切ないという。奥さんがフツーに「あ~あ、一人ぐらいゲイを産んどきゃ、よかったわよ。ゲイはやさしいし、親孝行だし、働き者だし、ゲイが家にいるのといないのとじゃ大違い。お隣はいいわよねぇ、ゲイが二人もいるんだもの。」な~んて、ため息まじりにつぶやいちゃったりするらしいのだ。

3年前、すぐにでもフチタンに行ってみたいと思った。
しかし3年前は、僕がNYから帰ってきた直後に9.11テロ事件があり、肝を冷やした記憶の新しいツレちゃんが

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と叫んだので、メキシコ行きは見送りとなった。翌年はパレードの実行委員をやったため、パレード終了後は疲労困憊して腐乱死体のようになっており、とても旅行どころではなかった。
今年も、ホントは行けなさそうだった。夏にゴージャス・タイ旅行に行ってしまったため、よぶんな金は全然なかったのだ(アパートの更新と車検もあったし)。
しかし胸に手をあてて考えてみると、昨年や一昨年よりもフチタンに行きたい気持ちは薄らいできている。夏は、フチタンよりもタイを選んでしまったぐらいだ。今年フチタン行きを見送ってしまったら、来年までフチタンへ行くモチベーションが持続しなさそうに思える。そうなれば僕は、ゲイフォビアがほとんどないというその町を見ないまま一生を終える事になるかもしれない。

行こうか行くまいか 迷いに迷ったが、「倉の財よりも心の財」と自分を説き伏せた。決心が揺らがないうちに飛行機の手配をするため、HISへ向かうワタクシなのでありました(またまた老後資金の切り崩し)。

HISでは、フチタンのあるオアハカ州までの航空券を手配する事が出来た。
航空チケットの代金は、総額15万円。う~ん、痛い出費。タイ旅行ではラグジュアリーホテルに泊まってのオホホな旅だったが、タイほど物価が安くないメキシコ(日本よりちょっと安いぐらい)ではそうもいかなそう。タイ旅行は「とことん自分を甘やかす旅」だったが、今回のメキシコ旅行は「自分にムチ打つ旅」である(Mだったらよかったのに)。