突撃砲は、第二次世界大戦時にドイツ国防軍によって歩兵支援用に生み出された自走砲(自走歩兵砲)の一種である。
なお、アメリカ軍においても“Assault Gun(アサルトガン)”の名で呼ばれる兵器が存在し、これを日本語に直訳すると「突撃砲」となるが、これは特定の兵器の種別名ではなく、機甲部隊や機械化歩兵部隊において、榴弾砲を主砲とし、それによる直射火力支援を主任務とした戦車や自走砲の運用法に拠る部隊編制上の呼称で、アメリカ軍に「アサルトガン」という車両種名があるわけではない。
突撃砲は、ドイツ国防軍において敵陣地を直接攻撃するために強力な砲と低姿勢を兼ね備えており、対戦車任務にも大いに活躍した、自走砲に分類される車両である。
基本的には歩兵支援用であるが、対戦車戦闘向けに長砲身化されて実質、駆逐戦車任務をこなすようになったものもある。
突撃砲は黎明期の巡洋艦のような所属部隊や役務に応じた籍名ではなく、独自の車両種名である。
仮に歩兵部隊の突撃砲が機甲部隊に配属されても、名前が「突撃砲」でなくなるわけではなく、駆逐戦車が歩兵部隊に配属されても、名前が突撃砲になるわけではない。
ミハエル・ヴィットマンが車長を務めた時のIII号突撃砲も、機甲部隊である装甲軍(Panzergruppe)所属である。
突撃砲を運用する突撃砲兵(Sturmartillerie)は、1935年に戦車とは異なる歩兵支援として提案された概念であり、当時から突撃砲は砲兵に属するものとされた。
次男の手になる死後の選集でマンシュタインは次のように評している。
その兵器(=突撃砲)により砲兵本来の任務で十分な貢献が約束されるという私の提案を、彼ら(=砲兵科)が感激を持って受け入れることは、疑いもなく予想できた。その反面、戦車戦の推進者たちは、突撃砲兵をライバルとして見た。
(Rudiger von Manstein (編) 88-89頁)
当初は開発時のコンセプト通りに運用・配備されていたが、1943年になって事態が変化した。装甲部隊の再建をスピードアップするため、ハインツ・グデーリアン戦車兵総監の要求により4月にPanzer-Sturmgeschuetz-Abteilungという新たな種類の大隊が定義され、再建中の3つの装甲連隊が第III大隊として突撃砲45両を受け取ることになったのである。
6月には、戦車大隊を持たないことが多かった装甲擲弾兵師団にも戦車大隊に代えて突撃砲大隊が配属できることになった。
「駆逐戦車」やブルムベアなどの「突撃戦車」は戦車兵科所属となることを前提とした呼称であるが、いくつかの車両ではこの名称が決まるまでに「Panzer」「Sturmgeschuetz」をそれぞれ含む名称が混用されている。
なお、突撃砲はアルケット社により生産されていたが、1943年には工場が連合軍の空襲により大損害を受けて操業停止に追い込まれたため、かねてより計画されていた「 IV号戦車の車台を用いて(III号)突撃砲と同様だがより前面装甲の厚い戦闘室を搭載した車両」の構想を転用する形で、クルップ社により IV号突撃砲(Sturmgeschütz IV)が製造された。
IV号突撃砲の生産開始に伴い、それまで単に「突撃砲」と呼ばれていた車輌は III号突撃砲(Sturmgeschütz III)と呼ばれるようになった。