2.26事件に影響された人々 1 三島由紀夫 その2 | 戦車兵のブログ

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三島由紀夫ほど二・二六事件に深い関心を寄せた文学者はいない。特に晩年は取り憑かれたように熱心な研究を行っていたことでも知られる。

三島には二・二六3部作と呼ばれる作品群がある。

『憂国』短編
『十日の菊』戯曲
『英霊の聲』短編


いずれも傑作だが、核心部分を描いたのは『英霊の聲』だ。この作品は「事件の体現者」と三島が断言する青年将校・磯部浅一陸軍一等主計と思しき霊が神道奥義「顕斎の法」によって降臨。逆臣として銃殺された青年将校の挫折と失意が語り尽くされる。

三島由紀夫の関心は事件における「青年将校と天皇」の一点に収斂され、そこには大東亜戦争終結時の「遂に神風は吹かなかった」という絶望感と共通する諦観が脈々と流れてる。

…たしかに二・二六事件の挫折によって、何か偉大な神が死んだのだった。(略)私には久しくわからなかったが、『十日の菊』や『憂国』を私に書かせた衝動のうちに、その黒い影はちらりと姿を現し、又、定からぬ形のままに消えていった。

それを二・二六事件の陰画とすれば、少年時代からの私のうちに育まれた陽画は、蹶起将校たちの英雄的形姿であった。その純一無垢、その果敢、その若さ、その死、すべてが神話的英雄の原型に叶っており、かれらの挫折と死とが、かれらを言葉の真の意味におけるヒーローにしていた。
(「二・二六事件と私」河出文藝選書)

三島由紀夫は二・二六事件の根本性格は「待つことの革命」だったと断言している。

二・二六事件はもともと、希望による維新であり、期待による蹶起だった。(略)蹶起ののちも「大御心に待つ」ことに重きを置いた革命であるという意味である。

三島由紀夫が磯部浅一の霊にとり憑かれていたかどうかは別としても、2.26事件を題材にした映画「憂国」での切腹のシーンで三島自ら軍服を着て切腹するのを見て青年将校への憧れをもっていたのだろうかと思ったこともあった。

三島事件で三島が自衛官へ大して檄を飛ばした檄文では、「諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。(中略)国家百年の大計にかかはる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」とも警告した言葉は三島の本心からの言葉だと私は思ってる。