ヴェネツィアといえば、「アドリア海の真珠」などと呼ばれる海に浮かぶ石造りの都ですが、そんなヴェネツィアで意外にも、とても美しい牧歌的な風景や田園風景が描かれました。
今月は、現在Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)で開催されている「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」展の作品を紹介しながら、「風景画」についてお届けします。
※1 《タンバリンを演奏する子ども》
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
1510-15年頃 油彩・キャンヴァス
―ティツィアーノが皇帝カール5世の肖像画を描いている時、絵筆を落としたことがあった。皇帝はそれを拾って彼に渡した―
上記は、ヴェネツィアを中心に活躍した巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(1488頃-1576)の逸話です。
カール5世といえば、「太陽の沈まぬ国」と謳われるほど、広大な領土や植民地を持っていたスペイン黄金期の君主で、なおかつ皇帝に即位したハプスブルク家全盛期の人物。
そんなカール5世がこよなく愛した画家がティツィアーノでした。
皇帝が画家の絵筆を拾って渡したという話が本当かどうかは分かりませんが、こうした逸話がまことしやかに伝記に記されるほどのティツィアーノの名声と、厚遇ぶりが垣間見えます。
「ティツィアーノのつけた汚れでさえ、どの画家の作品よりも素晴らしい」とまで言われ、ヴァザーリによる『芸術家列伝』にも「ティツィアーノは素晴らしい絵画の数々でヴェネツィアもイタリアもまた世界のほかの国々をも飾りたてた」と記されています。
そんな巨匠が描いたとても愛らしい小品が、上の作品《タンバリンを演奏する子ども》です。
タンバリンの音は一瞬のものであることから、「儚さ」の象徴だとも解釈されています。
座る子どもの足元に、月桂樹の葉や花が落ち散っていることからも、この作品には「生の儚さ」の寓意が込められていると考えられるそうです。
※2 タンバリンを演奏する子ども(部分)
小さなタンバリン奏者の背後には、2本の月桂樹を中心に情緒豊かな風景が描かれています。
80歳を超える長生きで、晩年まで名声が衰えることがなかったとされるティツィアーノですが、彼のもとを、かのミケランジェロも訪ねたことがあるようです。
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ラファエロといった巨匠たちのことを書き記した『芸術家列伝』の作者ヴァザーリは、ミケランジェロとともにティツィアーノを訪ねた時のことを記しています。
二人は、ティツィアーノ本人の前では、その時描いていた作品の素晴らしさを褒めちぎりますが、帰り道にいろいろと批評していたようです。
ミケランジェロの批判は、“色彩も様式も気に入ったけど、デッサンが足りない”というもの。
「ヴェネツィアでは、まず最初にデッサンをよく学ぶということをしない。これは残念なことだ」と言い、ティツィアーノがデッサンで進歩したらもう匹敵する男はいないだろうと言うのです。
ヴァザーリの記述がどこまで正しいかは不明ですが、このように、『芸術家列伝』のなかでティツィアーノがデッサンを否定された理由は、「ヴェネツィア派」と呼ばれる画家たちの新しい絵の描き方にあるのかもしれません。
伝統的な描き方では、まずはデッサンによる下書きを丹念に行い、下絵をつくります。
そして、その下絵をキャンヴァスなどに写してその通りに絵の具を塗っていきました。
ですが、ティツィアーノは、いきなりキャンヴァスに下塗りをし、途中で構図を変えることさえありました。
こうした描き方がミケランジェロやヴァザーリには「デッサン不足」と映ったのかもしれません。
しかし、ティツィアーノの自由な筆遣いは、躍動感のある美しい色彩の画面をつくり上げました。
「線のフィレンツェ、色彩のヴェネツィア」と言われることもあります。
完璧な構図を求め、正確な形をとらえて立体を表現しようとしたフィレンツェの画家に対し、ヴェネツィア派は、動きのある形態や豊かな色彩によって、雰囲気や空気感を重視した感覚的な作品を生み出しました。
※2 《聖ヒエロニムス》
ドッソ・ドッシ(通称)
1517-19年頃 油彩・キャンヴァス
こちらの作品は、イタリアのフェラーラで宮廷画家として活躍したドッソ・ドッシ(1487頃-1542)という画家の作品です。
リズミカルなタッチの木々や遠方まで見渡せる景色の見事さはヴェネツィア派を思わせ、ティツィアーノのロマンティックな風景の描き方を受け継いでいると言われます。
強い影響がみられることから、直接会った可能性も考えられるそうです。
※1 タンバリンを演奏する子ども(部分)
※2 聖ヒエロニムス(部分)
描かれているのは、荒地で聖書の研究と禁欲的な生活を送る隠者、聖ヒエロニムスの姿です。
※2 聖ヒエロニムス(部分)
聖ヒエロニムスが、修行中に現われた獅子の足から刺さっていた棘を抜くと、獅子は傍を離れなくなったという逸話があるため、しばしば獅子とともに描かれます。
この作品でも、ライオンがおとなしく隠者の家に入っていく姿が描かれています。
画面右下には、Dの文字と骨があります。
イタリア語で骨はosso。
画家の名前Dosso(ドッソ)を表しています。
※3 《5月》
レアンドロ・バッサーノ (通称)
1580-85年頃 油彩・キャンヴァス
こちらの作品は、16世紀のヴェネツィアで活躍したレアンドロ・バッサーノ(1557-1622)の作品です。しかし、当時のヴェネツィアの画家たちとは少し異なり、北方の絵画からの影響が感じられるそうです。
下が北方のネーデルラントの画家ルーカス・ファン・ファルケンボルフ(1535-1597)による《夏の風景(7月または8月)》です。
※4 《夏の風景(7月または8月)》
ルーカス・ファン・ファルケンボルフ
1585年 油彩・キャンヴァス
どちらも近景には農民が描かれ、遠くに山岳風景を望みます。
この二つの作品はどちらも12か月のうちの1場面を描いたものです。
レアンドロ・バッサーノが描いているのは《5月》。
バターとチーズをつくる農民たちが描かれています。
奥には薔薇を切り取る作業をしている二人の女性も見えます。
※3 5月(部分)
※3 5月(部分)
12か月を描いたそれぞれの空に、その月の星座のシンボルが描かれています。
《5月》に描かれているのはふたご座のようです。
遠くに見える高い山は、画家バッサーノの生まれ故郷である、ヴェネツィア県北東部に聳えるモンテ・グラッパだと考えられています。
ヴェネツィアは、まるで海に浮かぶかのように干潟につくられた都です。
地中海沿岸の要所を支配し、東方と貿易をおこなって強大な力を持つ共和国をつくり上げました。
しかし、アメリカ大陸が発見されると、スペインやポルトガルが海上貿易の主流となるようになり、力を弱めていきました。
16世紀のヴェネツィア貴族たちは、商売から手を引いて、農業に投資するようになっていったそうです。
こうした、内陸の農耕への関心の高まりが、バッサーノの作品にも表れていると考えられています。
現在のヴェネツィアは人気の観光地ですが、それは、最近始まったことではなく古い伝統を持っています。
初期の頃は、エルサレムへの巡礼の出発地として多くの人々が訪れました。
18世紀には英国の上流階級の子弟たちがヨーロッパ大陸を旅する「グランド・ツアー」が流行しました。今の卒業旅行や修学旅行のようなものです。
ヴェネツィアも旅先の一つだったようで、彼らのお土産として人気だったのが、ヴェネツィアの景観を描いた絵画でした。
※5 《ヴェネツィアのスキアヴォーニ河岸》
カナレット(通称)
1730年頃 油彩・キャンヴァス
こちらがそのカナレットの作品《ヴェネツィアのスキアヴォーニ河岸》です。
ヴェネツィアの美しい景観と、そこに暮らす人々の生き生きとした様子、そして、街を包む美しい大気や光が描かれています。
この時代には、既に風景はただ風景として絵画の題材となっています。
物語や主役の人物は不要となり、画家たちは美しい景観や自然へと関心を向けていったのです。
次回は光や空気が描かれた風景画についてお届けします。
参考:「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」展図録 発行:Bunkamura©2015
※1 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ《タンバリンを演奏する子ども》1510-15年頃
油彩・キャンヴァス
※2 ドッソ・ドッシ(通称)《聖ヒエロニムス》1517-19年頃
油彩・キャンヴァス
※3 レアンドロ・バッサーノ(通称)《5月》1580-85年頃
油彩・キャンヴァス
※4 ルーカス・ファン・ファルケンボルフ《夏の風景(7月または8月)》1585年
油彩・キャンヴァス
※5 カナレット(通称)《ヴェネツィアのスキアヴォーニ河岸》1730年頃
油彩・キャンヴァス
「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」
2015年9月9日(水)ー 12月7日(月)
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム(東京・渋谷)
開館時間:10:00-19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
展覧会サイト:http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/15_wien/
問い合わせ:ハローダイヤル 03-5777-8600
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