~ぶらぶら江戸散歩~vol.49『銀中通り』 | 文化家ブログ 「轍(わだち)」

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江戸開府より約400年。東京下町には、江戸の息吹が今なお息づいております。
身近な江戸をぶらぶら散歩。新富に生まれた私、中西聡。
八丁堀・日本橋を中心に、江戸の町のちょっとした情報をお届けいたします。

今回お邪魔しましたのは『銀中通り』
最寄駅は、東京メトロ銀座線&都営浅草線の「東銀座」駅になります。
東銀座駅を地上に出て、歌舞伎座を背に新橋演舞場に向かってのびる通り、それが「銀中通り」です。

まずは、通りの名前にもなっております「銀中」?とは何でしょう。
正解は、「銀座中学」の略称なのです。よく短縮した名前を通りの正式名称にしたものだな~と思いますが。

そんな「銀中通り」をぶらぶらと歩いてみましょう。
まず、すぐ見えて参りますのが、時事通信社本社ビル。時事通信は、1945年に設立されたマスメディア専門にニュースを配信する通信社。ニュースを一般に知らしめるのではなく、BtoBで専門分野に特化したニュース配信の草分け的な会社です。

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時事通信社の向こう側には、旧日産自動車の本社ビル。日産自動車が本社を横浜みなとみらいに移転して後、読売新聞社の仮社屋になっていたのも記憶に新しいところ。ビル自体は1968年に建設され、外観は今なお建設当時の姿そのままに利用されております。
そんな旧日産自動車本社ビルは、現在は『銀座6丁目SQUARE』と名前を変え、複合オフィスビルになっております。

江戸時代の古地図を開いてみますと、この一帯は武家屋敷。
時事通信社の本社ビルは酒井右京亮屋敷。銀座6丁目SQUAREビルは松平周防守屋敷であったことが見てとれます。

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銀座6丁目SQUAREには、隠れた歴史&名所がもうひとつ。
道のはずれにひっそりと置かれた碑が。「東京商工会議所発祥の地」と書かれておりました。
明治11年(1878年)3月12日、商工業発展のための総合的団体として東京商法会議所(東京商工会議所の前身)を創立しその事務所を置いたのがこの地なんだそうです。そして創立100周年を迎えた 昭和53年(1978年)に記念してこの碑が建てられました。

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その銀座6丁目SQUAREビルの正面には、「新橋演舞場」が。
そもそもこの一帯は花柳界。新橋の芸妓さん達が中心になり劇場を開場したのはご存知でしたでしょうか。それが大正11年(1922年)のこと、その後、昭和初期より松竹株式会社が興行を受け持つこととなります。戦争により劇場を消失、現在の建物として再建されましたのは、昭和57年(1982年)のことでそうです。
そんな歴史から、今でも春と秋の年2回、新橋芸妓による東をどりが行われております。

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さて、銀中通りをずっと歩いて参りますと、突き当りに名前の由来となった中央区立銀座中学校が出て参ります。
1984年4月1日 中央区立第一中学校・第二中学校を統合、中央区立銀座中学校として開校いたしました。
少子化の影響と、居住エリアからオフィスエリアへの変貌で人口の流出が続いた中央区。
廃校になる学校が多い中央区の公立学校の中で、ちゃんと存続しその名前が通りの名前になっているのは、大したものだな~とつくづく思いました。

この一帯が、花柳界であったと記述いたしました通り、日が暮れて宵の時間帯ともなりますと、黒塗りの車の到着を目に致します。
そうなんです。この銀中通りには、これと知られた料亭が軒を連ねております。
「東京吉兆本店」「金田中」「松山」「やま弥」などなど。

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高い塀に囲まれた料亭内は外から見る事はできません。「吉兆」や「金田中」は一見さんお断り。一見さんを断る理由は、決してお客を選んでいるのではなく、せっかくの時間をくつろいで過ごして頂くためには、お客様の人となりをきちんと把握して対応させて頂くお店側の配慮と聞いたことがあります。
確かに、猛暑のようなこの真夏日に、店先に打ち水をして、じっとお客の到着をお待ちする下足番の方の矜持を見たように思います。

こんな事を書きましても、どこもかしこも高いお店ばかりではありません。
ランチなどはリーズナブルに提供してくれるお店もあります。

宮本亜門さんがプロデュースをいたしまして、名店を復活させた「花蝶」。
料亭の雰囲気やおもてなしをランチでしたら、気軽に味わえます。

それではぜひ、皆さんも『銀中通り』をブラブラ散歩してみてください。


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