心の解放・悟りの哲学 第2回 記憶の塗り替え・真の自分を知る | 上祐史浩

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          心の解放・悟りの哲学 第2回
       記憶の塗り替え、真の自分を知らない問題


 悟りとは、究極の心の安定・平安や慈悲の境地を意味します。しかし、それは、吾(我)の心と書くように、「自分自身、自分の心を知る」という意味もあります。その意味では、悟りの哲学とは、究極の心理学なのです。

 こういうと、「私も自分のこと、自分の心くらいは分かっている、問題は、他人がそれを分かってくれないことだ」とおっしゃる方もいるかもしれません。
 そうですね。私も長年そうだと思ってきました。しかし、今は、単純にそうばかりとは言うことができいないと考えています。

 逆に、そうとばかり思い込んでいる事が、悟りは愚か、他人との人間関係を大きく損なう原因になるのだと。
 人は、自分自身を知らない。それは、自分の心の成長を阻み、他との争いの大きな原因になる。逆に、自分自身を正確に知ることが悟りである。
 そして、自分を知れば、他人もよりよく理解できる。「まず己を知れ、さすれば、他人の心も分かる」とある仏教の教えが説くように。

 さて、本題に入りたいと思います。
 私は、オウム真理教の中での経験、そして、それから脱却した後、今日に至るまでの経験などから、人は、無意識的に、記憶の塗り替えてしまうことがあると考えるようになりました。
 それは、たとえば、自分に都合の悪い事実について起こります。もちろん、自分にとって都合の悪い事実について、それを他人に隠す、ないし嘘をつくということは、誰にでもあることだと思います。

 しかし、私がここで指摘したいのは、単に隠す、嘘をつくということではありません。その事実を無意識的に忘れてしまう、実際に無かったことにしてしまう、という記憶の塗り替えなのです。
 さらには、都合の悪い事実が、例えば、ある問題に関する自分の責任であったならば、その事実を無かったことにしてしまうだけでなく、それが他人の責任であるという虚構の認識を形成してしまうことです。

 こうして、真実を隠しているだけならともかく、無意識的に記憶を塗り変えてしまうならば、他人とは現実認識が共有で全くきなくなります。その結果、それを積み重ねていけば、人間関係は破壊的なものになります。
 これは、心の病、人格障害、(被害)妄想症ということができると思いますが、しかし、程度の差こそあれ、これは、普通の人にも起こることだと思います。事実、心理学の世界では、人格障害とは、程度の差こそあれ、誰にもで起こることとされており、その程度が強い人を俗に人格障害と呼んでいるだけです。

 これは、皆さんが人間関係のトラブルを抱える場合、自分ないし自分の相手が、何かしらの記憶の塗り替えに陥っている可能性があるのです。
 しかし、本人が、自分の記憶の塗り替えに気づくことは、ほとんど無いと思います。これは当然であり、ならならば、気づいたら、記憶の塗り替えはできませんから(それは、単純な意図的な嘘にとどまります)。

 また、自分と見解が食い違う他人に関しては、普通は、その人が嘘をついていると思うことはあっても、記憶の塗り替えが起きているとは考えません。本人としては、嘘をついているつもりが全く無く、本気にそう言っているかもしれないと洞察することはなかなかありません。そう気づけば、相手が嘘を言っていると思う場合よりは、怒りが収まるかもしれませんね

 よって、この現象は、現代社会の人間関係の落とし穴になっていると思います。我々は、自分が思っているほどには、自分自身を正確には知らないし、そして、他人も知らない。しかし、この事実に気づいていない。だから、諍いが起こる。あたかもそれは、自分も他人も見えない盲目の二人が、包丁を持って、向き合うように。
 
 さて、次回以降は、の記憶の塗り替えに関する具体的な事例や、その背景・原因である過剰な自己愛や、それに基づく強いコンプレックスなどについて、詳しくお話したいと思います。