心の解放・悟りの哲学 第1回 世界をありのままに感じる① | 上祐史浩

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                心の解放・悟りの哲学

               世界をありのままに感じる①
 
 
 私達は、普段、「私」や、「私のもの」に、余りにとらわれて、私達の住んでいる世界をありのままには感じていないと思います。
 
  
 例えば、見るものが、私の物か、他人の物か、によって、その価値が大きく異なって感じられる。
 
  
 私の物でないから、素晴らしい物でも、価値を感じない。時には、他人の物だから、素晴らしい物でも、怒り・妬み・憎しみを感じる。私の物だからこそ、傷つけられると、大変な怒り・憎しみが生じることもある。
 
 
 これは、所有の観念からくるものですね。
 
 
 その観念のベール、フィルターに遮られ、世界をありのままに、世界を直接に感じていないのです。
 
 
 落ち着いて考えて見ると、すごくもったいないことだと思いませんか。
 
  
 せっかく、この地球に、宇宙に、一つの生を得たのに、それをありのままに感じることなく、分厚く複雑なフィルターを通してしか、見る事がなく、一生を終えてしまうとは。
 
 
 そして、もっとも残念なことは、この世界で一番素晴らしいものをありのままに楽しむことができないことです。それは何か。
 
 
 この世界全体、わかりやすく言えば、広大な大自然そのもの。
 
 
 それは、皆が共有しているもので、誰彼のものでもない。人間だけではなく、すべての生き物が共有しているもの。
  
 
 それは、実に壮大で、絶えず変化して新鮮で、美しい。
 
  
 どんな人にとっても、その人の最高の財産だと思います。
 
 
 それに比べると、資産家の持つ大邸宅や高級車も、毛ほどのものではありません。最高のものは、誰かが所有しているものではなく、皆が共有しています。
 
 
 しかし、私の物、誰の物といったことばかりを気にして現代の都市に住んでいる人は、これを見ることがありません。目に入っても、楽しむ心の余裕がありません。
 
 
 そして、このお話の本質は、頭で考えることではなく、心で、体で、直接に感じることです。仏教で言う直接体験・直感智というと大げさですが。
 
 
 そのためには、所有の観念をちょっとだけ和らげる必要があると思います。
 
 
 とはいえ、原始人に戻ろうと言っているのでは全くありません。
 
 
 ただ、途上国の人々から見たら、ほんのちょっとの経済的な困難にあるからといって、動揺している間は、私の経験上は、なかなか難しいと思います。
 
 
 経験上、そうした時こそ、逆に直接体験のチャンスだと思います。
 
 
 もし、心の持ち方を反転させ、「私の物」への過剰なとらわれを和らげようと思えば、直接体験するチャンスになると思います。
 
 
 たとえですが、裸一貫になったつもりで、自然の中で、大地に立って、それに触れてみようとすると、いいかもしれません。どうせ、人間生まれてくるときと死ぬときは何も持っていませんし。
 
 
 捨てることは、得ること。得ることは捨てること。生きて行くに必要以上のものを求める欲張りを捨てると、最高の財産が目の前にあったことに気づく。
 
 
 この世界のありのままを直接感じる。私の物、誰の物を区別する頭ではなくて、心と体で直接に感じてみる。
 
 
 それは実に素晴らしい体験です。