「自分」」とは? | 上祐史浩

上祐史浩

オフィシャルブログ ―― 21世紀の思想の創造

(1月15日の日記)

 私達が、日常生活で、「私」、「自分」と呼んでるものは何か?
 これが、ブッダにとって、最大の考察の対象でした。

 良く考えると、どこまでが「私」で、どこからが「私」ではないのか、
 分からないのです。

 呼吸によって空気が出入りしますが、当然吸ったものと同じものが
 出て行くわけではありません。体の外にあった分子が体の中に入り、
 体の中にあった分子が体の外に出て行きます。

 そして、その中で、新たに体に入った分子が、それまで体の中にあって、
 ある細胞を構成していた分子を置き換えていく。こうやって、外からの分子が、
 体の細胞の中の分子を置き換え、置き換えられた分子が外に出て行く。

 こうして、分子生物学の知見では、足から頭までの全ての細胞の分子が
 数年で全て入れ替わるとされています。精神活動を支える脳の細胞まで
 全部入れ替わるのです。

 では数年前の自分と、今の自分は同じ存在か?その体の分子は全て
 入れ替わり、その精神を支える脳の分子も全て以前とは別のもの。

 会社に喩えると、株式会社Xは、数年前と同じ名前で皆さんにお世話に
 なっているものの、その社員は、社長から平社員まで全てが、数年前とは
 全く別の人で構成されています。数年前と言う、そんな会社はあり得ませんが、
 数十年前と言えば、そういった会社は、いくらかありますね。

 スポーツチームや芸能人のグループの方が良い喩えかも。巨人軍や、
 AKB48みたいに、名前は同じでも、メンバーはグルグル入れ替わる
 存在です。

 肺による呼吸だけでなく、皮膚呼吸によっても、飲食や排泄・発汗によっても、
 私を構成する分子は、グルグルと入れ替わっていく。「私の中」と「私の外」
 は、密接不可分に交換・循環していて、実際には一体で、区別できない。
 
 人が言葉で考える時に、あたかも、他とは別の私があるという錯覚が生じているが、
 実際には、それは存在せず、人の言葉による思考の世界の中のみに存在する。
 このようにブッダは考えました。無我の教えと言います。

 言い換えると、「真実の私」は、宇宙全体と繋がって、宇宙全体に広がって、
 宇宙全体と一体で、宇宙全体と絶えず交換・循環しあっている壮大なもの。
 人間は、大自然・大宇宙の壮大な循環の一部とも言えます。

 ブッダは、この無我の悟りが、自分と他人を区別して、自分だけを愛する
 偏狭な心(自我執着)による様々な苦しみを一掃し、心の解放をもたらすと
 説きました。

 そして、それは同時に、万物を平等に愛する慈悲の心をもたらす。
 他の幸福・喜びは、妬みの対象ではなく、自分の喜びになり、
 他の悪行は、怒りの対象ではなく、自分の悲しみになる。

 この循環を言い直すと、ひかりの輪の「輪」となります。こうして、
 ひかりの輪という団体名は、人間存在の真実、宇宙存在の真実を
 象徴した言葉となっています。