この世界は幻想?てなんだろう? | 世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

世界はあなたの愛と喜びを体験するためにある

誰もが本来毎瞬与えられている愛と奇跡を体験する喜びを全ての人が体験できますように

いつも当たり前に感じてきたことが、実は驚くほど神秘だったんだな~~

 

そんな感覚を感じるとき今まで感じた事のない「生そのもの」の躍動に包まれることがあります。

 

マインドの考えや感情で頭や心が忙しい時、この生の神秘を見過ごしてしまうようです。

 

目覚めというのは、マインドの想念(記憶)から目覚めることだったのね~~そのように感じますね。

 

そしてそれはつかみどころがないものではなく、実際に体験を通して明らかになってゆきます。爆  笑

 

昨日外出から帰ってきたらパイを作るのが好きな夫がクランベリーとバナナのパイをつくってくれてていました。

 

甘酸っぱくておいしいんですよね~~こんな毎日の小さな喜びに感謝しています。ラブ

 

 

スピリチュアルなお話しや非2元などの話を聞くと、どこかつかみどころのないように感じることがあります。

 

そしてどこか現実身が欠けているように日常の中であまり役に立たないように感じることもありますよね。

 

でも、本当はとても地に足をつけて生きることだったのだと分かり始めます。

 

日常の中で体験を通して明らかになってゆくことなのですが、言葉を鵜呑みにしてしまうことでどこか現実から離れたフワフワしたもののようにイメージしてしまうように思います。

 

「世界は幻想」とか「私はいない」などいう言葉を耳にするとき、どのように感じるでしょうか?

 

言葉だけを鵜呑みにしてしまうと、クレイジーに感じますよね。

 

どんな言葉も、その言葉だけ一人歩きしてしまうことが多いですからね。

 

言葉って標識のようなものであって、それそのものとは違うのですが、どうしても私たちは言葉に付けている意味を瞬時に認識して理解したように錯覚しますものね。

 

体験して初めて言葉の意味することが明らかにってゆきますよね。

 

この「世界は幻想」「私はいない」などという言葉が指し示している事が明らかになってくるとき、

 

今まで信じて体験してきた世界は自分の中の想念による解釈の中で起こっていたまるで幻想のようなものであることが分かり始めます。

 

長い間自分の想念による自分だけの解釈で世界を見ているという事実に気づいていないために最初はこの意味が全く分からないんですよね。

 

自分の体験しているように誰もが体験しているように錯覚が起こるからのようです。

 

あまりにも長くその錯覚を信じて体験してきたので、それが錯覚であると気づくには時間がかかるようです。

 

そしてそれらはやはり日常の中で自分で確かめてみることで明らかになってゆきます。

 

私たちってたくさんの本を読んだり、お話を聞いたり、セミナーなどに通ってその時はなんとなくわかったように感じるんですが、実際に日常の中で確かめることでしか真に分からないようなんです。

 

なぜなら本や誰かからの言葉は事実を指し示しているので最初にそれらが頭で腑に落ち、

 

そしてそれらを体験を通して実際に確かめてゆくことで、真に腑に落ちるようです。

 

例えば、どんな自分も自分の鏡である他者も許して受け入れる。

 

といわれるとそうなのか~~って感じますよね?

 

しかし、実際に自分を許せないような出来事が起こるとき、驚くほど瞬時に気づかないくらい素早く自分を責めていることに気づくことがあります。

 

そして自分を受け入れるとか赦すことが本当に難しいことに気づいて驚きます。

 

相手が鏡であるとか、自分の想念の投影の世界を見ているためにそこにないものを見て体験している幻想のような体験だといわれるのですが

 

どんな自分(ダメな自分。自己否定したくなる自分)も許して受け入れてゆくときこれらの意味が分かり始めます。

 

そしてその時、ダメだと信じていたのは、何らかの想念を使って、比較や優劣していたもので、本当はダメなんかではなかった事実に気づきます。

 

そしてそれらの最初の想念は分離という勘違いによって起こっていることが明らかになってゆきます。

 

分離という考えをベースの構築された想念の上で認識される体験をもとに行動を起こすとき、私たちは意識的に、そして無意識に比較や優劣をし続けてしまうようです。

 

本当は分離というのが勘違いなのでもともと誰もがそのままで唯一無二の存在であり、誰かと比較するということが全く無意味なのに、その無意味さに気づかないとき自己否定をしてしまうようなんです。

 

「私はいない」といわれるとき、全く分からないし、逆に私はいないのだから何をしてもいい!みたいに感じたり、ばからしいと感じたりしますよね?

 

でもこの「私」というのはいったい何だろうか?

 

と今まで考えてもみなかったような疑問を持つことで、

 

「私」と信じてた分離の錯覚によってイメージしていた自分とは存在しないと明らかになってゆきます。

 

この「私」って何だろうか?ということなどこの先少しずつ考えてゆきたいです。

 

いろいろな事が分かってくると、やっぱり大切なことって、どんな自分も許してゆくことなのだと感じますね。

 

許していないのは自分だけであり、自分が自分を許すときもともと赦さないといけないことなどなかった事実に気づきます。

 

そして周りの誰もがあるがままでよかった事実に気づきます。

 

周りからも許され無条件に愛されている体験が起こり始め愛と喜びに包まれます。

 

そして一つである事実に気づきます。

 

今まで認識してきた世界と違ったことに気づき「あ~~自分の想念を使って幻想をみていた(認識していた)んだ」と感じるかもしれません。

 

 

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