モーニングをいただいた札幌の喫茶店に置いてあったアイヌ民話の小冊子。

 

 

 

 

偉大な山の神様が、クマとなって村に下りてきたものの、川の神様の大事な石を踏んでしまい、すったもんだ・・・というあらすじ。物語が展開していくそこかしこに、アイヌの世界観が散りばめられています。

 

クマの耳と耳の間にいて、人間界を覗いている山の神様。

森や川といった生活の中にいろいろな神様がいて、それらの聖域は喩え神様でも犯しては罰があたること。

ヒトがそなえたものは、神様の世界に何倍にもなって届けられていること。

 

 

豊かな(時に脅威となる)森や山や川や海。

アイヌにとっての生活は「ウレシカ」=「ウ(互いに)」・「レシカ(育てる)」

 

きっとヒトとヒトだけでなく、神さまも、動物も、精霊も、その中に隔てなく入っている。

 

 

 

こちらは、旭川動物園の解説の中の一つ。

「本当に豊かな生活」のタイトルで、「アイヌの人々の富を貯めるのは、各人の倉にモノを貯めることではなく、大地を北条に自然を豊かにし、自然の中に富を貯めることだ」と。

 

 

日本には縄文という1万3000年以上平和が続くほど優れた高度な思想と文化があったが、大規模な定住(農業・稲作)の波及とともに「貯蓄」=「富」という概念が入ってきたことで「差」が発生し、争いも起こった。

 

それでも、日本は長らく、私が子どもの頃までも確実に、「金持ちは恥ずかしい」という意識があった。(ドラえもんのスネ夫のように。)

貯蓄が過ぎて裕福なことは、(はっきりとは説明できないが、どこか)不自然なこと(不幸を抱えている)という意識が生きていた。

 

アイヌの人々は、(縄文の人々のように)狩猟・漁労を生業としていたこと、そして、農業をするには厳しい冬のある大地・北海道で暮らしていたことから、「貯蓄」と遠くにある暮らしを温存できた。

 

 

アイヌを知ることは、私たち本来の(縄文の)あり方を取り戻すことにつながるのでは、と思います。

 

旭川では、川村カ子ト(かねと)アイヌ記念館を訪れました。

川村カ子トさんは、旭川周辺に幾つかあったアイヌの集落のうちの一つの長であった方。ここは、アイヌへの理解を広げるために、アイヌ自ら作った最も古い記念館です。

 

 

 

(アイヌ記念館で放映していたビデオより)

 

旭川のある上川地方では、かつては石狩川が蛇行し、支流がいくつも広がり、そこに数十のアイヌ集落がありました。

 

この蛇行と支流の数から見ても、石狩川がなんとも豊かな川だったかということが分かります。

そして、川自体が「生き物」であることも。

 

現代人は、治水のために真っ直ぐな川にしてしまうけれど、それでは生き物たち(獲物)は棲めない川になってしまう。

 

 

 

まるで石狩川のようだなあと思ったアイヌの着物の文様。

お葬式の際に羽織るものだそうです。

 

アイヌの暮らす川が生きているように、そこで生きるヒト(アイヌ)によって生み出される文様も生きている。

 

暮らしと自然がつながっている。

そこから生み出される文様の素晴らしさ。

自然界の生み出す造形を、美しいと尊び、愛おしむことから生まれる文様。

 

そして、衣も履き物もすべて天然素材なのだから、常にアーシング状態。

自然とつながらないことなど、逆に、出来ない暮らし。

 

 

 

 

もんようは生きもの・・・

美しいもんようには 力が宿り わたしたちを守る

 

 

動く針先を見つめて、ひたすら針仕事をする女神のような暮らしが、女性にとって理想だとアイヌは物語で語っています。」と、パネルで解説がありました。

 

 

「女神のような暮らし」=「動く針先を見つめて、ひたすら針仕事をする」というくだりに、はっとさせられました。

 

そこには、静謐がある。

自然、神、ヒト、暮らし、いのちへの、やわらかな眼差しがある。

(そりゃ、女神だよ、観音さまだよ)

 

 

なんとそこから離れてしまっている我が身よ・・・よよよえーん

 

これは単に、縫い物・繕い物は女の仕事ということではなく。

儀式における神への祈りは、アイヌの「男」の仕事でありますが、それとは異なる種類の「祈り」の仕事です。

文様による、祝(はふり)。

 

 

 

グリーンハート オカメインコ グリーンハーツ

 

 

 

札幌・北大の構内を流れる水と木々。

 

 

朝の散歩は、旅の日課でもあります。

札幌に宿泊した際は、北大を散策しました。

 

夫は足が弱く、長時間歩くと疲れてしまうため、私ひとりでぐんぐん歩きます。

そうやって下見をかねて歩いて宿に戻り、夫に「ここがよかったよ」と誘って、一緒にちょこっと歩きます。

 

今回も、北大の正門からすぐのこの一角を一緒に歩きました。

そのときに、夫が、樹木に手をふれて、樹木をとおしてこの空間に挨拶しているのですよね。

 

遠くへ行っていろんなものを見ることの素晴らしさもあるけれど、

目の前にあるすべてにきちんと相対することも、できそうでできないだけに、素晴らしいことだと、私は思う。

限られた時間・空間であっても、多くの大事なことのエッセンスは無限に秘められているから。

夫と歩くと、いつもそう思う。

そして、これが私の人生にとって、とても大事なことなのだとも。

 

 

 

その後、喫茶店でモーニングを。

そこに、冒頭のアイヌの民話の冊子がありました。

 

ヒトは自然とつながっていて、カミも自然をとおしてヒトの世界と往き来している。

そうした世界観と、夫の先ほどの散策中の樹木への挨拶がリンクしました。

 

こういう夫と旅できること、一緒のものを見て、お互いに感じ取った何かを、交歓できること、その幸せをじんわり味わいました。

 

 

オーソドックスで美味しかった(厚めのパンにジュワッと塩気のバター&コーヒーも酸味のある好みの味でした)。

 

 

 

 

大満足の北海道旅行でした。

7回にわたってお付き合いいただき、ありがとうございました!


その①美唄「アルテピアッツァ美唄」
https://ameblo.jp/joyful2012/entry-12863044130.html

その②美瑛「bible」
https://ameblo.jp/joyful2012/entry-12863145070.html

その③美瑛サイクリング
https://ameblo.jp/joyful2012/entry-12863203195.html

その④旭川・上野ファーム
https://ameblo.jp/joyful2012/entry-12863374044.html
 

その⑤旭山動物園もろもろ
https://ameblo.jp/joyful2012/entry-12863399692.html
 

その⑥エスコンフィールド
https://ameblo.jp/joyful2012/entry-12863609942.html