北九州市の埋蔵文化財行政の是非を問う⑰

“人の褌で相撲を取る”

くらしと福祉 北九州」202231日号より転載(平和とくらしを守る北九州市民の会発行)

 

2013年7月、福岡財務支局が公共広報により城野遺跡の土地を公的団体向けに土地売却する公募を開始したが、参入者がなかったため2015年11月には一般競争入札の公示を行い、計16社の応札があったという。そして翌2016年1月19日に開札され、そのうちの1社が落札した。これが大手の住宅建設会社大和ハウス工業株式会社である。

 

ところが北九州市教育委員会文化財課(現在の市民文化スポーツ局文化企画課)は早々に遺跡の現地保存をあきらめ、2013年8月には石棺の取り上げと埋蔵文化財センターでの展示計画を練っていた。

 

折しも、北九州市議会定例会が9月に行われ、城野遺跡の現地保存に関する市議の質問に、市民文化スポーツ局長は「この土地に存在する弥生時代の方形周溝墓部分を緑地・公園化するように大和ハウス工業に求めている」と答えている。

 

都市計画法では、開発面積が0.3ha以上5.0ha未満の場合は、面積の3%以上の公園、緑地または広場を設置することが義務づけられており、城野遺跡の場合、大和ハウス工業が購入した土地は道路部分を除く1.6ha余りであるためこの事項に該当する。ただし、開発区域周辺(250m以内)に相当規模の公園がある場合は3%の公園などはつくらなくても良いとされている。

 

実際、城野遺跡近隣には中城野公園が存在するが、猫の額ほどの小ささで管理もされていないためか、いつも草ボウボウの荒れ地になっている。

 

つまり、開発が予定されている城野遺跡地内には3%以上の広さの公園もしくは緑地か広場が必要となることは、事前に文化財課も承知していたはずだ。その面積は約500㎡。これは方形周溝墓部分(約350㎡)を包括するひとまわり大きいサイズとなる。

 

城野遺跡の現地保存と遺跡公園整備・活用を訴える市民団体(城野遺跡の現地保存をすすめる会)は、土地取得者となった大和ハウス工業に対していち早く、この土地の歴史的価値や重要性、また保存の必要性を訴え、理解と協力を再三働きかけていた。

 

市民団体による城野遺跡保存運動は、大和ハウス工業への遺跡理解や協力要請を行うだけでなく、黒塗り行政文書の開示請求と意見書の提出、北九州市長への質問状の提出、遺跡保存を訴える街頭宣伝や署名活動、歴史講演会の実施、そして北九州市に対する城野遺跡の土地の買い戻しを含めた再取得要求など、活動の全貌と市との交渉の一部始終の報告を何度も行ってきたため、大和ハウス工業は城野遺跡をめぐる諸事案への認知につながったようで、一定程度の理解と誠意を示し、何度か市民団体との懇談の席にも着いている。

 

そのなかで、大和ハウス工業は「落札するまで遺跡はすでに調査済みで消滅していると考えていた」、「そのような市民運動が起こっていることは知らされていなかった」と答えている。おそらく、土地取得後の開発計画のなかで、小さくとも一点の懸念事項を抱えた、と思ったのではないだろうか。

 

その後、大和ハウス担当者が「遺跡が残っていることを知っていたら、入札に参加しなかった」、「北九州市に対し何度も土地の買い戻しを求めてきた」という発言まで市民団体にもらしている。

 

さて、長々と遺跡保存問題の途中経過を述べてきたが、ここで問題にしたいのは、福岡財務支局が城野遺跡地の土地売却に踏み切ると、すぐに北九州市は箱式石棺を掘り上げて、他の場所に移築保存するという計画を進めたことである。その時点まで、北九州市には、せめて方形周溝墓だけでも公園用地・緑地部分にあてるよう落札業者に交渉する考えは浮かばなかったのか、ということである。

 

そういう意識があれば、さきほど示したように、方形周溝墓を含むひとまわり分の大きさ(約500㎡)が確保できることがわかったはずだ【写真1】。この土地が遺跡範囲の西端に片寄っていて、商業施設建設予定場所からはずれていること、その延長上には城野駅南口に向かう都市計画道路が計画されていることは、さらにこの土地を公園あるいは緑地帯エリアとして、ひいては遺跡公園としてアクセス道路を含む整備も将来的には可能になる、と普通考えるのではないか。

 

【写真1】 調査後埋め戻された方形周溝墓部分(段の上の平坦面)

結果的にこのうちの640㎡が大和ハウスから市に無償譲渡された。大和ハウスとすれば、開発面積の3.9%を譲渡したことになり、最大限の誠意と譲歩を示している。

 

 

箱式石棺を掘り上げるということは、それを据えるために掘られた墓坑の床面も掘り崩すことになるわけで、実際それを実行した北九州市は、城野遺跡の現地保存すべてを諦めたのである。

 

重留遺跡を見るがよい。広形銅矛が見つかった住居はそのまま埋め戻して保護され、その上に盛り土をして不十分なウレタン製ではあるが銅矛住居の模擬展示をしているではないか。開発計画のあった重留遺跡が設計変更で保存され、開発予定もなく原風景を残す城野遺跡がわずかばかりの保存すら出来ない…こんな不条理はどこから生まれるのであろうか。

 

熱烈な市民運動と、日本考古学協会や九州考古学会などの研究者組織による保存要望の後押しがあったからこそ、わずかばかりであるが城野遺跡の方形周溝墓部分が大和ハウス工業により北九州市に無償譲渡されたことは、火を見るより明らかなのである。

 

こうして人の褌で相撲を取った北九州市は、まがりなりにも城野遺跡のほんの一部を手に入れたのである。(次号に続く)

 

 

【寄稿/佐藤浩司氏のプロフィール】

1955年福岡県生まれ、九州大学文学部史学科卒業。1979年北九州市教育文化事業団(現・市芸術文化振興財団)入所。埋蔵文化財調査室で開発事業に伴う城野遺跡をはじめ市内の数多くの遺跡の発掘調査に携わり、2015年4月室長に就任後、2020年3月退職。2014年から日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会の幹事として九州各地の文化財保護にも携わる。現在、北九州市立大学非常勤講師、日本考古学協会会員

 

 

■動画「城野遺跡 朱塗り石棺の謎」(2017年1月公開 約14分)

城野遺跡の発掘調査を担当した佐藤浩司氏が九州最大級の方形周溝墓で発見された箱式石棺2基の発掘調査にあたり、「世紀の発見かもしれない」と2ヵ月半、約3時間撮り続けた唯一のビデオ記録を城野遺跡の全体像がわかるように約14分に編集したものです。↓をクリックしてご覧ください。

https://youtu.be/QxvY4FBnXq0

 

 

■動画「城野遺跡 実録80分『弥生墓制の真の姿』」(2022年6月公開 約80分)

上記ビデオ記録を約80分にカットしたものです。撮影当時の佐藤氏のコメントとともに発掘現場の声や音もはいっており、発掘調査の歴史的瞬間の感動がよみがえります。↓をクリックしてご覧ください。

https://youtu.be/qafp00zCTzQ?t=10