【情報開示①】北九州市/城野遺跡の現地保存断念に至る国との保存交渉

 “「現地保存断念」への疑問”

 

みなさん、情報公開制度ってご存知ですか?

北九州市情報公開条例によると、その目的は、「第1条 この条例は、地方自治の本旨にのっとり、市民の知る権利を尊重し、行政文書の開示を請求する権利を明らかにするとともに、情報公開の推進に関し必要な事項を定めることにより、市の保有する情報の一層の公開を図り、もって市政に関し市民に説明する責務が全うされるようにし、市民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な市政の推進に資することを目的とする。」と定められています。

 

城野遺跡は2009年から2011年にかけて医療刑務所跡地(国有地)の大規模な発掘調査により発見され、極めて重要な遺跡だったことから、2011年から2013年にかけて北九州市は「現地保存」の方針で国と保存交渉をしました。ところが、2014年6月、北橋健治市長(在任期間 2007.2~2023.2 以下「北橋市長」)は市議会本会議で現地保存を断念したことを答弁しました。

 

私たちは、国の一般競争入札により城野遺跡が民間に売却されることに驚いた地元住民も加わり、2015年11月に「城野遺跡公園の現地保存をすすめる会」の活動を再開しましたが、その翌月、市に対し「城野遺跡の現地保存を断念するに至る国・県との交渉の経過と結果を示す会議録などすべての行政資料」の情報開示請求をしました。

 

この度、北九州市情報公開条例第1条に定められた「市民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な市政の推進に資することを目的」に一部開示された行政資料(2017年6月2日開示決定)を連載で公開することにしました。

 

北九州市が2年にわたる国との保存交渉の末、城野遺跡の現地保存を断念した経緯、北九州市が情報開示請求に対し国や県との肝心の協議内容を不開示とした情報公開の実態を明らかにすることはもちろんですが、城野遺跡の重要性や特殊性が多くの写真や図面とともに詳しく説明されており、城野遺跡のことがよくわかる資料としても公開することにしました。

 

今後、順次公開します。この連載は長い記事になると思いますが、いつでもどこでも何度でもアクセスできますので、ぜひお読みください。

 

第1回目は行政資料を公開するにあたり、「北九州市の『現地保存断念』への疑問」と「情報開示請求の経緯」について説明させていただきます。

 

※行政文書の公開にあたって、北九州市を代表する三役以外の個人については特定できないように氏名や印影を青色で隠しています。

 

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1 北九州市の「現地保存断念」への疑問

城野遺跡は2009年から2011年に医療刑務所跡地(国有地)の発掘調査で発見された弥生時代後期(1800年前/邪馬台国時代)の遺跡です。九州最大規模の方形周溝墓、真っ赤な水銀朱(中国産)がたっぷりと塗られた幼児の箱式石棺2基、石棺の木口石に描かれた謎の絵画文様、九州2例目の玉作り工房を含む大規模集落など極めて重要な遺跡です。

 

発掘調査の担当者はもちろん、2010年12月には九州考古学会が、2011年2月には日本最大の考古学研究者団体である日本考古学協会が国、県、市に「城野遺跡の現地を保存し、史跡として整備することを求める要望書」【資料1】を提出しました。

 

【資料1】日本考古学協会の要望書(2011.2.25)

 

また、北九州市も城野遺跡の重要性を認め、2011年6月議会で教育長は「現在文化財の専門有識者の意見を聞きながら、保存活用方法の原案の検討を行っている段階であり、今後この手順(所有者の同意を得たうえで、文化財保護審議会に諮問し、文化財保護審議会の答申を得て、教育委員会で決定する)にのっとって、関係機関と協議しながら適切に対応していきたい」と答弁しており【資料2】、2011年9月から2013年5月までの国との保存交渉でも「現地保存」の方針でした。

 

 

【資料2】2011年6月議会概要(2011.6.14)

藤沢議員の質問に対する教育長の答弁

 

ところが、2014年6月の市議会本会議で北橋市長は「現地保存断念」と正式に答弁したのです。この答弁でマスコミも北九州市が城野遺跡の現地保存を断念したことを大きく報じました。

 

ただ、情報開示された行政資料により不可解な事実が明らかになりました。実は、北橋市長は2014年1月7日に文化振興課が起案した「現地保存から移築復元展示への保存計画の変更伺い(方針伺)」(以下「保存計画の変更伺い」)【資料3】に決済印を押していたのです。さらに、国(財務省)から2013年7月16日付「未利用国有地等の情報提供」(以下「情報提供」)【資料4】が届き、北九州市は同年10月9日付で「本市においては公用・公共用地としての取得等要望はありません」と回答しています【資料5】。国からの情報提供には「取得等要望がなければ、一般競争入札により売払う」と明記されており、北九州市が取得等要望しなければ、城野遺跡の土地は民間に売却され現地保存が不可能になることはわかっていたはずです。

 

つまり、北橋市長は、2013年10月9日に現地保存を断念していたにもかかわらず、2014年6月の市議会本会議で「現地保存断念」を正式に発表するまで8ヵ月間も市議会や市民に隠し続けたのであり、発掘調査終了後、文化財保護審議会に諮問することなく、わずか2年で城野遺跡の「現地保存断念」を決めたのです。

 

また、【資料3】【資料4】【資料5】の内容や作成日を読み解くと、さらに不可解なことがわかりました。

 

文化振興課が作成した「保存計画の変更伺い」に「平成25年8月、国は公用公共用の用地取得のための公募を開始し」【資料3】とありますが、国が北九州市に情報提供し公募したのは「平成25年7月16日【資料4】であり、明らかに間違っています。これは、取得等要望書の提出期間は3ヶ月と決まっており、起案した10月7日は国への回答期限10月15日の直前すぎたことから、国の公募が8月だったことにし、回答期限は11月であるかのようにごまかしたのではないかと疑わざるを得ません。

 

また、北九州市は国の「情報提供」に対し、2013年10月9日に「取得等要望はありません」と回答書【資料5】を提出していますが、北橋市長が「保存計画の変更伺い」を決裁したのは2014年1月7日です。北橋市長が「現地保存」の変更を決裁する3ヶ月も前に、北九州市は国に「取得等要望はありません」という回答書を提出したことになります。果たして、この「回答書」はどんな手続きを経て作成され、国に提出されたのでしょうか。この「回答書」が、城野遺跡の民間への売却を促し、開発による破壊へとつながるのですから…。

 

 

【資料3】文化振興課が2013年10月7日に起案し、北橋市長が2014年1月7日に決裁した「現地保存から移築復元展示への保存計画の変更伺い(方針伺)」

この文書で市の当初の現地保存計画が明らかになりました。私たちは市の現地保存計画が全体のほんの一部だったことに驚きました。

 

 

【資料4】国(財務省)が北九州市に出した「未利用国有地等の情報提供」(2013.7.16)

 

【資料5】北九州市が国(財務省)に提出した回答書(2013.10.9)

 

北九州市の「現地保存断念」への主な疑問は下記のとおりです。

◆なぜ、2011年6月議会で教育長が答弁した「文化財の保存および活用」の手順(所有者の同意を得た上で文化財保護審議会に諮問し、文化財保護審議会の答申を得て、教育委員会で決定する)を踏まずに、行政だけの判断で「現地保存断念」を決めたのか?

◆北九州市が国に対し城野遺跡の土地の取得要望をしなければ民間に売却され開発により破壊されることがわかっていたのに、なぜ、城野遺跡の現地を守り活用するために国が提案した優遇措置(1/3無償)や市有地との等価交換を利用して取得要望しなかったのか?

◆国の「未利用国有地等の情報提供」に対して「取得等要望はありません」という回答書はどんな手続きを経て提出されたのか?

◆なぜ、国との保存交渉の情報開示請求に対し、肝心な国や県との協議内容を隠すのか?等々

 

私たちは、北九州市が極めて重要な遺跡と高く評価しながら、わずか2年で「現地保存断念」を決めたことへの疑問と憤りは高まるばかりでした。市長(市長秘書)や文化企画課との懇談や市議会への陳情の中で、何度も質問し回答を求めました。しかし、既に国との保存交渉は終了し、土地も民間企業に売却されていたからか、「現地保存断念」の決定に関わった人物や担当部署への責任追及を回避するためか、聞き流され、まともな回答は得られませんでした。

 

私たちは、2016年3月に土地を購入した民間企業と「土地は売却されても城野遺跡は市民の大切な文化財です」と懇談や活動報告を繰り返し、工事は2年近く着手されませんでしたが、「市は買い戻す気はない、いつまでも待てない」と、2018年1月に東エリア、2019年2月に西エリアで造成工事が始まり、城野遺跡はほぼ全域が消滅しました。

 

 

2 情報開示請求の経緯

◆2015年(平成27年)12月7日

当会が市に「城野遺跡の現地保存を断念するに至る国・県との交渉の経過と結果を示す会議録などすべての行政資料」の情報開示請求

◆2015年(平成27年)12月21日

市が当会に「行政文書開示決定等期間延長通知書」を送付

◆2016年(平成28年)1月18日

市が「行政文書一部開示決定通知書」【資料6】とともに文書のタイトル・日時・場所・参加者・写真・図面以外は全て黒塗りの行政文書79枚を開示【写真①~③】

 

 

【資料6】行政文書一部開示決定通知書(2016.1.18)

 

 

【写真①~③】【資料6】の決定通知書とともに開示された行政資料の写し(79枚)

文書のタイトル・日時・場所・参加者・写真・図面以外は全て黒塗りでした。

 

2016年(平成28年)3月18日

当会が市に異議申立

◆2016年(平成28年)3月25日

市が情報公開審査会に諮問

◆2016年(平成28年)8月31日

当会が情報公開審査会で口頭意見陳述

◆2017年(平成29年)4月5日

情報公開審査会が市に答申書【資料7】を提出

 

【資料7】情報公開審査会が北九州市に提出した答申書(2017.4.5)全文

当会にはその写しが届きました。市の黒塗りの情報開示に対し当会が異議を申立て、市から諮問された情報公開審査会の答申は肝心の国や県との協議内容は不開示のままでした。市の市民への説明責任を果たさせるものとなっているでしょうか…。長文ですが、ぜひご覧ください。

◆2017年(平成29年)5月31日

市が情報公開審査会の答申を受けて「一部不開示決定を取り消す」ことを決定

◆2017年(平成29年)6月2日

市が5月31日付決定書に基づき「行政文書開示決定通知書」【資料8】とともに、黒塗り部分が一見少なくなりましたが、肝心の国や県との協議内容は黒塗りのままの行政文書79枚が開示されました。この行政文書79枚をこれから連載で公開します。

 

【資料8】行政文書開示決定通知書(2017.6.2)

上記の【資料6】の決定通知書とともに開示された【写真①~③】よりは相当開示されましたが、肝心の国や県との協議部分は不開示のままでした。

(次回に続く)

 

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■動画「城野遺跡 朱塗り石棺の謎」(2017年1月公開)

城野遺跡を多くの方々に知っていただくために、城野遺跡の全体像がわかるように、上記の発掘調査のビデオ記録を約14分に編集したものです。↓をクリックしてご覧ください。

 https://youtu.be/QxvY4FBnXq0

 

■動画「城野遺跡実録80分『弥生墓制の真の姿』」(2022年6月公開)

この動画は、佐藤浩司氏が九州最大級の方形周溝墓で発見された幼児の箱式石棺2基の発掘調査を2ヵ月半、約3時間撮り続けたビデオ記録を約80分に編集したものです。佐藤氏のコメントとともに現場の声や音もはいっており、発掘調査の歴史的瞬間の感動がよみがえります。↓をクリックしてご覧ください。

https://youtu.be/qafp00zCTzQ?t=10