「城野遺跡の会」のブログをご覧いただきありがとうございます。更新が滞り大変申し訳ありませんが、まだまだ続けますので今後ともよろしくお願いします<(_ _)>

 

さて、本ブログは2016年9月に開設しましたが、トップページはタイトルの名称以外はほとんど修正しないまま、今日に至っていました。この度、タイトル下の説明文、メッセージボード、プロフィールの3カ所を遅ればせながら修正しました!

 

特にプロフィール欄には、会のオリジナル動画「朱塗り石棺の謎」「城野遺跡実録80分 弥生墓制の真の姿」とともに「城野遺跡と『城野遺跡の会』のあゆみ」を掲載し、いつでもご覧いただけるようにしました。大まかな内容ですが、城野遺跡の発見から今日に至るまでの経緯、会の取り組みを書いていますので、「プロフィール」をクリックしてぜひご覧ください<(_ _)> 

 

ブログをリニューアル(?)した記念に、この場でもプフィール欄をご紹介します。

ぜひ、お読みください。

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オリジナル動画
※城野遺跡発掘調査を撮影した唯一の記録を編集した動画です
①「城野遺跡発掘調査記録 朱塗り石棺の謎」
https://youtu.be/QxvY4FBnXq0 (約14分 2017年1月公開)
②「城野遺跡実録80分 弥生墓制の真の姿」
https://youtu.be/qafp00zCTzQ  (約80分 2022年6月公開)
 

◆城野遺跡と「城野遺跡の会」のあゆみ
城野遺跡は医療刑務所跡地(国有地)で発見された関係で、一般人には縁のないエリアとして、遺跡の存在もほとんど知られていませんでした。

しかし、2009~2011年の発掘調査で1800年前の弥生時代の大規模な集落、九州最大規模の方形周溝墓、真っ赤な水銀朱が分厚く塗られた幼児の石棺2基、北部九州で2例目の玉作り工房などが発見されました。

城野遺跡の近くには、2016年8月に国の重要文化財に指定された祭祀用の広形銅矛が出土した重留遺跡、竪穴住居から200点ものガラス小玉が出土した重住遺跡があり、「魏志倭人伝」に記された国々に匹敵する勢力が、この地域に存在した可能性も示しています。

日本最大規模の考古学研究者団体である日本考古学協会は、北部九州地域を代表する極めて重要な学術的意義を有する遺跡として、国、県、市に対し「城野遺跡の現状を保存し、史跡として整備と活用」を求める要望書を3回も提出しました。

北九州市は発掘により次々に明らかになる遺跡の重要性から2011年~2013年にかけて、当初、現地保存の方針で国や県と保存交渉をしましたが、市議会での質問に「協議中」と繰り返すだけでした。

しかし、2014年6月、北橋健治市長(当時)が市議会本会議で「現地保存断念」と答弁し正式に認めたことから、地元住民有志の「城野遺跡の現地保存をすすめる会」が陳情署名に取り組み、それが私たちの活動の始まりです。

城野遺跡はまぎれもなく私たち市民の歴史的財産であり、国民的文化遺産です。しかし、北九州市は城野遺跡を開発前に記録保存するためのただの発掘調査対象としか考えず、発掘担当者の再三の保存要請にも耳を傾けず、市文化財保護審議会にも諮問せず、国との保存交渉の内容も一切明らかにせず、調査担当者に意見を聞く機会すら与えられませんでした。

それでもこの間、北九州市に遺跡保存のための土地取得に熱意があれば、国からの優遇措置(1/3無償、等価交換)も活用できたのです。北九州市はあくまでも土地の保存は国の責任、市はその後整備活用するという役割分担に固執し、土地取得を最後まで要望せず、ついに国は公的機関への土地取得要望期間を経て、民間への売却手続き(一般競争入札)をとり、城野遺跡が発見された医療刑務所跡地は大和ハウス工業(株)が落札しました。

私たちは、大和ハウス工業(株)に売却されたことがわかるとすぐに、「土地は売却されても城野遺跡は市民の大切な文化遺産」と懇談を申し入れ、遺跡の重要性や保存の必要性を訴え、再三にわたり書面や電話でこれまでの経緯や取り組みを逐一報告し、工事は2年近く着手されませんでした。

この間、大和ハウス工業(株)は市が土地を購入するなら売却も可能だという見解も示しましたが、市にその気は一切なく、大和ハウス工業(株)は「このままいつまでも待てない」と2018年1月に城野遺跡東エリアの開発を進め、遺跡は壊滅しました。

しかし同時に、大和ハウス工業(株)は市民の保存運動を無視できず、西エリアで発見された九州最大規模の方形周溝墓部分を市に無償譲渡し、市は「城野遺跡史跡広場(仮称)」として整備活用することになりました。

私たちは、城野遺跡の全滅を阻むことができ、2018年2月に「城野遺跡公園を実現する会」を結成し、「九州最大規模の方形周溝墓を活かし西エリア全域を北九州市で初めての本格的な遺跡公園」の実現へと活動を発展させました。

しかし、北九州市は無償譲渡された方形周溝墓部分以外は道路から方形周溝墓までの最低限の土地しか購入せず、私たちは、その後も西エリア全域を遺跡公園へと地道に取り組んできましたが、2019年2月に西エリアも開発によりほぼ全滅しました。

その後、福岡県も遺跡の重要性を認識し県文化財保護審議会で県指定のための協議に入り、2020年3月に方形周溝墓は「地域の有力者に関係する人物が埋葬されたと考えられ、城野遺跡から発見された九州2例目の玉作り工房の跡の存在も含めて、邪馬台国と同年代の『クニ』の実態を知るうえで重要」と評価し、城野遺跡は県史跡に指定されました。

こうして城野遺跡はかろうじて遺跡全体の20分の1の範囲を保存でき、整備工事を経て2022年4月に「城野遺跡公園」としてオープンしました。しかし保存整備された遺跡公園はほぼ全面がアスファルトとコンクリートで覆われ、1800年前の弥生人の生活ぶりや墳墓の巨大さや特殊性をイメージできる状況ではありません。

また、「城野遺跡公園」はあまりに狭すぎたため、真横に10階建ての高層マンションが建ち、1800年前の弥生人が望んでいた足立山の全貌は見えなくなり、さらに、整備工事中に県指定史跡である方形周溝墓を損壊したり、削って階段(退避路)を設置するという史跡整備にあるまじき問題も発生し、北九州市の埋蔵文化財行政の杜撰さと無責任さに心底あきれました。

城野遺跡の貴重な歴史を学び語り継ぐにはあまりに小さく無味乾燥な「城野遺跡公園」ですが、私たちは2022年5月に「城野遺跡の会」と名称を変更し、北九州市の埋蔵文化財行政のあり方を質しながら、城野遺跡をはじめ市内のかけがえのない遺跡の重要性と魅力を多くの方々に広め、大切に保存活用して未来の子どもたちへ伝えていく活動を地道に続けています。

―これまでの主な活動―
*城野遺跡の土地を落札した大和ハウス工業(株)との懇談4回
*城野遺跡の土地を落札した大和ハウス工業(株)へ報告書や資料の送付16回
*北九州市議会への陳情署名の提出18回
*北橋健治市長(当時)への要望書、抗議文の提出(随時)
*文化企画課との懇談(随時)
*考古学専門家を講師に迎えた講演会、連続講座、学習会など20回以上
*文化企画課を講師に迎えた出前講演2回
*城野遺跡、重留遺跡の現地見学会5回以上
*城野遺跡発掘調査のオリジナル動画の編集・公開(2本)
*ブログの開設と情報発信
*フェイスブックの開設と情報発信(ブログの記事をシェア)
*小倉駅デッキや市庁舎での街頭宣伝(随時)
*会報の発送(会員、サポーターあて)
*プチツアー(会員、サポーターあて)

2023年4月11日
城野遺跡の会

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■2017年12月までの城野遺跡

広大な丘陵地に広がり、1800年前の弥生人たちも毎日仰いでいた足立山が大きくそびえていました。手前が東エリア、道路を挟んで向こう側が西エリアです。

 

■2019年2月の城野遺跡

道路を挟んで向こう側は城野遺跡の東エリアです。2018年1月に「ゆめマート城野店」の造成工事により壊滅しました。手前は開発のため造成工事が始まりほぼ全域が壊滅した西エリアの様子です。

 

 

 

■2022年4月の城野遺跡

「城野遺跡公園」オープニングセレモニー終了後に撮りました。道路手前の東エリアは「サンキュードラッグ城野店」等の商業施設と高層マンションが建ち、城野遺跡はほぼ全域が壊滅しました。

 

■「城野遺跡公園」の方形周溝墓の復元

2022年4月26日の城野遺跡公園オープニング記念式典終了後の写真です。このアスファルトで真っ平らに舗装された部分全域が県史跡に指定された九州最大規模の方形周溝墓で、真ん中に幼児の箱式石棺2基も復元されています。この日は雨でしたが、記念式典が始まったとたんに土砂降りとなり、終わったころに止みました。なんだか、1800年前の弥生人の涙のようでした・・・。