高知に出張 して何とかいささかの時間を捻出し、さてどこを覗こうかと。
土佐は幕末維新で大いにクローズアップされる土地でありますから、
歴史関係の施設には事欠かないわけですが、それをつまみ食いするよりはいっそ…と
向かったのはこちらでありました。
昔の蔵のイメージなのでしょうか、かなり個性(というか、くせ)のあるこの建物は
高知県立美術館。ここを一点集中で訪ねたのでありますよ。
先日訪ねた横浜美術館 が企画展・特別展を抜きにしても十分に楽しめたものですから、
企画展で何をやっているかはともかくもコレクション展を…と思っていましたら、
何と展示替えの期間であったとは、いやはや。
そこで改めて企画展に目を向ければ、かような展示が始まったばかりでありました。
「高﨑元尚新作展 ―破壊 COLLAPSE―」との企画展のフライヤーを見、
いかにもコンテンポラリー・アートめいた作品の佇まいに食指をそそられた上で、展示室へ。
壁面にはぽつんと「COLLAPSE 現代美術の崩壊」と書かれるばかりで、
あとは空間が広がり、かようなものが敷き詰められておる。
一見して「何ぞ?!」と思わせるところは、まらにコンテンポラリーのお楽しみといいますか。
仕切りで隔てられた展示の裏側に回ってみますと、このように。
建物解体の作業場といったおもむきですけれど、この波状の資材をぶっ壊して並べたのが
おもて側の作品ということでありますが、作者の思いはともかくも個人的な感想を。
瓦礫のひろがりは展覧会タイトルの「破壊」のさまを示すようでありながら、
全体を創り上げる断片、断片はおそらく決して無作為に置かれたものではないだろうなあと。
たとえ無作為に置いていったのだとしても、瞬時たりともどこに置こう…と惑いがよぎったならば、
それは作為であってもはや「創造」ということになりましょうね。
「破壊」を表そうとして「創造」してしまう皮肉のようなことに思い至ったりもしたのでありますよ。
こちらはまた別室の展示で、「崩壊」と記されておりました。
さきほどとの違いは並びの整然さでありますね。
きちんとしていて、それでひとつひとつはひび割れだらけ。
一見、なんともなさそうなビルが実は内部崩壊を始めているといったイメージにもつながるような。
で、こちらの作品でまた勝手な想念をめぐらしますと、
破壊されたものが整然と並ぶ奇妙さというのは、見方によれば
あたかも遺跡からの発掘品でもあるかなと。
例えば土器といった発掘遺物は遥か昔に実用され、
何らかの理由によって打ち捨てられた(破壊された)ものであるわけですが、
長い年月を経て掘り返されたときには、当初の意図と全く関わりのない付加価値を
持たされることになって、いわば「再生」を遂げますですね。
ここにあるようなブロックは今日、ありふれた建築資材としか見えず、
壊れてしまえば打ち捨てられて顧みられることはまずないですけれど、
プルトニウムの半減期くらいの長期的スパンで考えれば、
現代人の考えにもよらない付加価値を帯びた遺物として並べられる可能性なしとは言えない。
そんな未来展示なのでもあろうか…と思ったりしたわけでありますけれど、
こうした自由な想像がありと思えば、何と楽しいコンテンポラリー・アートと思うのですよね。
もちろん、全く歯が立たん…という作品に面食らうことも多々ありますけれど(笑)。