と、少々後回しになりましたですが、先に両親を連れて出かけた多摩の名所?のひとつめ。
JR青梅線の拝島駅から徒歩15分ほど…ではありますが老齢のこと故タクシーですいっと。
たどり着いたのは、こちらでございます。


「多滿自慢」石川酒造


看板に見える「多滿自慢」を銘柄とする造り酒屋の石川酒造でありますよ。
多摩地域の酒蔵としては、もそっと青梅線に乗っていった先にあって
「澤乃井」を出している小澤酒造が有名で、観光スポットとしても知られておりますね。
昨年、
青梅 の方に両親と出向いたときに立ち寄った「櫛かんざし美術館 」も系列の施設でした。


とはいえ、多摩の辺りの人には「多滿自慢」も相当に知られた銘柄ではありましょう。
なんでも石川酒造の酒造りは文久三年(1863年)の幕末期に始まったそうな。
当初は「八重桜」という銘柄で出していたそうですが、
これは「やえさくら」と濁点無しで読むのが正しいというのですね。


要するに濁点は濁りに通じるところから、お酒としては濁点を忌んだということ。
宮城のお酒に「浦霞」という全国区銘柄があって、「うらがすみ」と言ってしまいますが、
こちらも正式には「うらかすみ」と濁らないのだそうですよ。


ですが、石川酒造で昭和8年(1933年)から使い始めたという「多滿自慢」の方は
「濁ってんでないの」と思うわけですが、「月桂冠」やら「松竹梅」やら大手メーカーで
濁りまくっているのがあるものですから、もはや気にするのをやめたということですかね…。


石川家住居長屋門


これは敷地内にある長屋門でオーナーが今でも住んでいる住まいの入口であると。
代々「石川彌八郎」を襲名しているそうですけれど、この石川家というのは
酒造りを始める前から大きな身代であったようですね。


幕府直轄領であったという当時の熊川村(現・福生市熊川)の名主を務めていて、
将軍家への鮎の献上(「上ゲ鮎御用」というらしい)に関わるほか、
何と朝鮮通信使の饗応なども行っていたという。


石川酒造史料館


やはり敷地内には小さいながらこんなふうに史料館がありまして、
そこには宝暦十四年(1764年)に「伊奈郡代の命により品川宿の東海寺で、通信使接待の
手伝いをし」た際、通信使一行の書記であった浪翁という人物から貰い受けたという書が
展示されておりましたよ(展示はレプリカですが)。



と、お酒の話でないところをうろうろしてしまっていますけれど、
上の長屋門の写真に大きな玉がぶら下がっているのが見えますですね。
同じものはこの間訪ねた山梨市の養老酒造 の入口でも見かけたなあと。


石川酒造の杉玉


「杉玉」というものなんだそうですなあ。
何となく「ただの飾り?」くらいにしか思っていなかったものですから、
改めて話を聞いてみれば意味のあるものだったのだなと、今さらながら。


元来はお酒の神様でもある大神神社の杉に肖り、
また杉の防腐・殺菌作用にも肖ってのものらしいですが、
新酒を仕込んだことを示すようにもなっていったようでありますね。


だんだんと杉の葉が枯れていくようすが

即ち新酒の熟成を物語るといったサインとしても受け止められているようで。


とまあ、こうした造り酒屋に来たわけですから、やはり一献頂戴したいところでして。
それも空きっ腹ではなんですから、酒肴少々、〆は蕎麦ということにいたしました。




もそっと飲みたいな…というくらいが頃合いで、後はショップで土産を購入。
まあ単なる「多滿自慢」ならばそこここで買えるのですけれど、成果のほどはこの2本。



それこそ左側はどこででもとは思うも、取り敢えずはその晩に燗をつけて両親ともども晩酌用に。
そして右側がどうやら本家帰りの銘柄「やえさくら」を冠した一本ですが、これはうまい。
普段は中々に厳しい評価を下す母親が自宅用にと一升瓶を発送手続きしたほどですのでね。
こちらは頃合いを見てじっくり頂戴するといたしましょう。


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