日比谷図書文化館で覗いた「学年誌の組み立て付録に見る戦後25年
」なる展示は
楽しくあるも極めて小規模だったものですから、もそっとついでの立ち寄りと
同館1階にあるミュージアムの常設展示コーナーもこの際眺めておくことに。
前にも特別展には何度か足を運んだことがありますけれど、
その度に常設展はちら見状態であったものですから、特別展が開催されていないタイミングで
常設展示「千代田にみる都市の成立と展開」の方をじっくりと、と考えたわけでして。
しかしまあ、東京のど真ん中を千代田区と言って何らの疑問を持つでもありませんけれど、
そも何ゆえにに千代田区という地名であるのか…ということになるも、
これは「江戸城の別名が千代田城で、そこから来てるのでしょ」とよく言われますね。
確かに千代田区の真ん中には皇居、即ちかつての江戸城がどっかと置かれてありますから、
江戸城に因んで「江戸区」てなことに考えられなくはないものの、
それでは江戸という広域と区別がつきにくいこともありますし、
「んじゃ、別名の千代田城から千代田を拝借して千代田区ということに」てなことかも。
ですが、さらにそもそもは江戸城の別名が何ゆえに千代田城であったかに関しては
あんまりはっきりした謂われは伝わっていないような。
もちろん「千代田」が長く田の実りがあるといったおめでたさを持つ言葉であるにせよ…。
とまあ、そんなそもそもの話で終始してばかりもいられませんので先へ進みますが、
とにかく区立の施設として地域の郷土史的な展示解説をするところはあちこちにある中で
こと千代田区に関してはことその立地の関係もあり、千代田区の歴史でありながら、
江戸の歴史とニアイコールな感があるなとは思えるのでありますよ。
まずは古代の発掘出土品の展示。
東京のど真ん中にも遺跡があるのだぁね…とは、
よく考えればむしろおかしな感想であるなと改めて。
今でこそアスファルトで固められた上に高いビルが立ち並んでいて、
それと古代人の生活場所とのマッチしない感を思ったわけですが、
昔々から所謂都会であったはずもないですものね。
むしろ縄文海進という海水面上昇による海域の広がりが関東平野のかなり奥まで進んでいて、
後に江戸と言われる地域も東側半分くらいは海だったようですね。
それだけに縄文人にとって海は身近で貝を採集するには都合がよかったのでしょう。
そうした海の広がりは長らく名残りを残していて、家康が江戸に入ってきた頃も
まだお城の東側は日比谷入江ということで、すぐ海だったようですね。
これを埋立て造成して城下としたものですから、今では日比谷が海だったとは想像もつきませんが。
そんなふうにして江戸城の周囲は活用可能な土地になっていくわけですが、
お城を囲むエリアごとにずいぶんと町の趣きが異なっていたようでありますね。
まずはお城の東側から南側にかけての一体、今の地名では丸の内や霞が関といったあたり。
ここらは現在、言わずと知れた一大ビジネス街、官庁街になっているわけですけれど、
元から町奉行所(北町奉行所は丸の内、南町奉行所は有楽町にあった)などを始め、
幕府の機関がおかれるとともに有力大名の江戸屋敷が置かれた地域ですから、
後にその大きな敷地を活かした土地活用された結果が今につながっているのでありましょう。
次いでお城の北東から北の方向に広がる神田の町々。以前よりは少なくなったとはいえ、
東京にあって神田○○町という細かい区分けが今でも残っていて、
神田鍛冶町、神田紺屋町などの地名から想像されるとおりに商工業従事者が多い町だけに
その個性は千代田区というよりも隣接する台東区のイメージに繋がるかもしれませんですね。
また神田の中でもより西寄りの地域、例えば駿河台とか神保町界隈のようですが、
こちら側には旗本や大名の屋敷があったことから、これも土地の広さを活かして
大学(明治大学、中央大学、日本大学、専修大学…)ができたり、
また劇場(神田三崎町には三崎三座と呼ばれた三崎座、東京座、川上座があったそうな)や
映画館などが建てられて賑わった町でもあるようです。
さて、お城の北西から西側のあたり、いわゆる番町、麹町ですけれど、
ここもやっぱり武家屋敷が建ち並ぶ一体ですが、この地域にあった商家に対して
「だれそれ様のお屋敷はどこか?」といった問い合わせがやたらに多かったことから、
店の主人が本業とは関わりなく近隣大名屋敷の紹介マップを作ったところ売れて、売れて…
てな話もあるように商家もあり、また取り分け刷り物の版元などもあったようす。
以前「番町文人通り
」なる道を通り抜けてみたことがありますが、
明治以降の文人が住まうことになる素地があったということなのでしょうね。
とまあ、そんなこんなの展示解説を見ながら、
かつてコンクリート・ジャングルと言われた東京の町も
そぞろ歩いてみればあちらこちらで江戸の名残りを偲ぶことができるのかも
しれんなあと思ったものでありますよ。