映画館で上映される「月イチ歌舞伎 」、
此度の演目が「三人吉三」とあって出かけてきたのでありますよ。

月も朧に白魚の 篝も霞む春の空 冷てえ風もほろ酔いに
心持ちよくうかうかと 浮かれ烏のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で
竿の雫か濡れ手で粟 思いがけなく手に入る百両
ほんに今夜は節分か 西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし
豆だくさんに一文の 銭と違って金包み こいつぁ春から 縁起がいいわえ

中学だか高校だかは忘れてしまいましたですが、

古文の授業で近世の文学の一端として取り上げられ、プリントで配られたのが

「三人吉三巴白浪」の、この名台詞を含む一節なのでありました。


当時は全く歌舞伎に興味がなく(「歌舞伎教室」の授業などもなく)、
「何のことやら…」ではありましたけれど、七五調に貫かれた台詞を読み上げる限りにおいては
台詞の中にあるようなほろ酔いでもないのに「心持ちよくうかうかと」してくる気がしたものでして。


それから幾年経たものか、歌舞伎見たさがむくむくと、俄かに兆す出来心、
思えば吉三の名台詞、心持ちよく聞いた日も、あったものだと懐かしむ、
そんなところへ月イチの、歌舞伎映せる銀幕に、「三人吉三」の出し物が、

掛かるとなれば否も無い、こいつぁ師走に 縁起がいいわえ…と臆面もなく七五調の

真似事をしたくなったりしたものですから、出かけるに如くはなしということでありまして。


NEWシネマ歌舞伎「三人吉三」


ですが少々勝手が違うなと思いましたのは、

基本的には舞台をそのまま収録しているようであって、

映画として立つように作られていたということでしょうか、
「シアトリカルムービー」という言葉が使われている由縁ですね。


だいたい上に引用したフライヤーの写真も、およそ歌舞伎の印象からは遠いわけですが、
こうした映像も映画には取り入れられていたという。


勝手が違うと言ったもう一つの理由は、劇場、舞台の規模でありますね。
歌舞伎座や国立劇場のサイズに比べたら

かなり小さいと思われるBunkamuraのシアターコクーンが会場。
それだけに演出や舞台装置の点でもそれ相応の工夫がなされていたのでありましょう。


こうした点を考えると歌舞伎というのも、

プロダクションの違いによって話そのものの時代設定や場所が
大きくアレンジされオペラやシェイクスピア劇 のように演じられることもあるのだなあと改めて。


そうは言っても、この映画では主筋の基本線は押さえられていたのでしょうけれど。

で、その物語ですけれど、よく作りましたですねえ、作者の河竹黙阿弥は。


「親の因果が子に報い…」的なところも含めて、

あちらこちらに網の目のようにひっからまった因果応報が
これでもか、これでもかと折り重なって展開する。


しかも、驚くべきはその関わり合いというのが非常に狭い人間関係の中で起こるのですな。
思わず「狭い世間だなぁ…」と感じたわけですが、そのわりには

スケール感があるとも思わせる不思議。
長く演じ続けられるのもむべなるかなと腑に落ちた次第でありますよ。


と、先頃TVで見た「義経千本桜」の「川連法眼館の場」にもあった生首ごろりの場面。
「三人吉三」でも本人たちは何にも知らないままに親の隠し事が仇となった結果として
生首がごろりごろりとなる場面がありますけれど、今でこそぎょっとするものの、
歌舞伎芝居が量産された江戸期にはさらし首を目にする機会は結構あったのでしょうね。


差し詰め「不適当が部分がありますが、原作を尊重してそのままお届けします」の範疇でしょうか。
全くの余談ながら…。


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