養命酒駒ヶ根工場から南アルプスを望む


これは養命酒駒ヶ根工場 から東方向の眺めでして、

前方奥には南アルプスの高峰が連なっているという。


そして駒ヶ根高原で一泊した翌朝、

宿の裏手にある駒が池から見上げた中央アルプスの峰々、
高原リゾートとして、なかなかに良いところでありますね、駒ヶ根は。


駒が池から望む中央アルプス


と、その宿での夕食の折ですが、地ビールがあるというので飲んでみたのですね。
で、この「南信州ビール」の醸造所が近くにあると聞き及びましたので、

立ち寄ることにしたのでありますよ。


南信州ビール醸造所、しかしてその実体は…


ですが、ビール製造の方は

ちらりガラス越しに施設を見られるようになっているところが一カ所だけ。
というのも、ここの施設の本来は「マルス信州蒸留所」として

ウイスキーの生産工場だったわけでして。
建屋の中には、これこのとおり、ウイスキーの熟成樽が何段にも詰まれていますし。


マルスウイスキー熟成庫


ところで、「マルス」というブランドで思い出すのは

山梨の石和で立ち寄ったことのある「マルスワイン 」。
ワインの方を先に見ていたものですから、

てっきりワインの会社がウイスキーやビールも作っているのか…と思ってました。


ですが、これも後付けの話ながら、マルスワイン、マルスウイスキー、

そして南信州ビール、これらを製造している会社自体は

本坊酒造株式会社といって、何と!鹿児島の酒造メーカーなのでありました。
本家本元的には焼酎を造っているようですね。


しかしまあ、マルスウイスキーとはあんまり聞いたことがないといささか舐めてかかったところ、
(まあ、勝沼に多々あるワイン・ブランドが広くあまねく知られてないのと同様なのでしょうけれど)
これがマルスウイスキー誕生に至るまでの歴史を紐解いてみれば(と、展示の受け売りですが)
何とまあ、あの「マッサン」こと竹鶴政孝に行き着くのですなあ。


ドラマを通じて知られるようになったものと思いますが(実はドラマはほとんど見てない…)、
竹鶴政孝は寿屋(現サントリー )に国産ウイスキーをもたらし、

やがて自らはニッカ創業者となる人ですが、

いったいマルスウイスキーとどう繋がってくるのか…。


竹鶴は大阪高等工業学校(現大阪大学工学部)出身だそうですが、
同窓の大先輩で岩井喜一郎という人が摂津酒造(後の宝酒造)におり、
まずは岩井を頼って摂津酒造入りをしたということなのですなあ。時に1916年。


折りしもウイスキーの国産化が目論まれて、1918年、岩井は竹鶴をスコットランドに送り出す。
やがて苦労重ねてウイスキー造りの知識・技術を身に付け、おまけにワイフも連れて

1920年に帰国。「竹鶴ノート」とも呼ばれるレポートを岩井のもとへと提出したのだそうな。



これで国産ウイスキー造りに乗り出そうとするも、
会社の資金繰りがうまくいかなくなり、摂津酒造はウイスキー製造を断念。
失意の竹鶴は会社を辞して、寿屋に身を寄せ、やがてニッカ設立…とは先にも触れたとおり。


一方で、実体験ではなくとも「竹鶴ノート」という強い味方のついている岩井、
いつかは自分の手でウイスキー造りをと思っていたのでありましょう。
長い年月を経た1945年に本坊酒造の顧問に就任、

いよいよウイスキー造りに手を染めることになっていくという。



製造過程の見学コースを眺めて行きながら同時に

そんなような国産ウイスキー初めて物語のような理解も深め(後付けも多々ありますが)、
ひと回りした後はご多分に漏れず試飲コーナーとなりますな。


無料で飲ませてもらえるものもありますが、
100円玉いくつかを投ずることで少々高級商品の試飲も可というのは、

石和のマルスワインと同様かと。


せっかくですから「越百(コスモ)」というブランドをひと口頂戴しましたけれど、
さすがに無料試飲のものとは違って、実に香り高いではありませんか。


ちなみに「コスモ」というネーミングは、「マルス」が「火星」であることから宇宙繋がりとしても、
実際は漢字「越百」ですので、これは中央アルプスにある越百山(こすもやま 2,614m)のことかと。
ここでもやはり駒ヶ根という水のいい土地なればこその蒸留所ということになりましょうね。


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