現代に「寄席」と聞きますともっぱらが落語の独擅場で、
その合間を縫って漫才やら奇術やらが混じってくるてなイメージでもあろうかと。
もちろん講談 、浪曲 それぞれにそれぞれの寄席で演じるということでしょうけれど、
どうも「寄席」=落語の印象が強くできあがってしまっているような。
そんな寄席ではありますけれど、
Wikipediaには寄席の演目として「過去に於いての義太夫(特に女義太夫)」ともあり、
その女義太夫(あるいは娘義太夫)なるものは明治期に寄席芸として大人気を博していたのだとか。
歌舞伎の舞台などでは役者はもとより、浄瑠璃の大夫も三味線その他も皆男性の領分ですが、
こうしたことを女性がやろうとなると寄席でということになったものでありましょうか。
ですから、出自は同じながら発展過程が異なるわけで、大夫の語りで見せる女浄瑠璃は
そのパフォーマンス性を磨いていったのでしょうね。
明治期に大人気を博したと言いましたですが、志賀直哉や高浜虚子らも入れ込んだ口らしい。
どうも今で言えばAKB48的なアイドルでもあったのだろうかと。
「娘義太夫の日本髪が熱演のあまり乱れ、かんざしが髪から落ちる(演出である)と、
それを拾おうと場内が混乱することもあった」てなことがWikipediaで紹介されてますしね。
てなふうな予備知識を得てみれば、「どれどれ」とばかりに聴いてみたくなるのもまた人情。
お江戸日本橋亭(似たような名前のところへ、このところ出没しとりしますが)での
「女流義太夫演奏会」とやらに出かけてみたのでありました。
これまでに講談や浪曲と同じように開演30分前の開場時刻に合わせて到着し、
席を確保したらのんびりと開演を待つ…というつもりでおりましたですが、
会場到着が開場から2~3分後という段階で大方の席が埋まっているのに、まずびっくり。
その後も続々と途絶えることなく来場者があり、
桟敷席に座布団を増やしたり、椅子席の後方にパイプ椅子を追加したり…。
その結果、狭い場内は黒山の人だかり状態とは、
いにしえの人気ぶりは今に続くものであったのだろうかと驚かされたものでありますよ。
たまたまにもせよ、この日はまず最初に義太夫協会新人奨励賞授与式なるものがあり、
もしかすると受賞者関係の方々が晴れの舞台!とばかりに集まったのやもしれませんなあ。
演目としては近松半次らが書いた「妹背山婦女庭訓」から、
演者を代えつついくつかの段を取り上げたダイジェストといった形。
素人でもその名くらいは知っているので有名作でありましょうけれど、凄い話ですなあ。
時代設定は天智天皇の時代となっていますが、雰囲気はまるきり江戸風情。
そして、蘇我入鹿は「母が白い牝鹿の生血を飲んで生まれた為、超人的な能力を持って」おり、
その能力を失くさせるには「爪黒の鹿の血と嫉妬に狂った女の血を混ぜ鹿笛に注いで吹く」のだと。
いやはやこんな話をよく考えたものです。
で、入鹿成敗のためには「嫉妬に狂った女の血」が必要なのですから、
当然にそういう設定もまた必要で(というよりかなり見せ場になっているように思いますが)、
ひとりの男を女二人が奪い合う的な展開が入って来るわけですな。
つまり思いを遂げられない方が「嫉妬に狂った女の血」を提供してくれることになるわけで…。
演じられた「杉酒屋の段」から「道行恋苧環」は、
こうした恋の確執のハイライトでもありましょうけれど、
女流浄瑠璃の演目としてはかなりはまったものかもしれませんですね。
芸能の形のひとつとして面白いものだとは思いましたですよ。
ただ、かなりぎゅうぎゅう詰めの中で聴くというのは気が殺がれるものでありまして、
もそっとちゃんとしたホールか何かで聴いてみないと、それ以上のことは言いにくいような…。
その点ではいささか残念な試し聴きとなった女流義太夫ではありました。