あしがくぼの氷柱 」を後に再び国道299号を進んでいき、やがて山間を抜けたと思ったところで
ふいと左手には無骨なピラミッドといったふうな山が見えるようになります。


ピラミダルな武甲山


車中から写真に撮るとこんな具合。
標高1304mの武甲山でありまして、秩父の市街地を囲む山の中では大きく目立つ存在なのですね。
なんでも「日本武尊が東征のとき、戦勝を祈願して武具、甲冑を奉納した」という伝説があって、

それが名前の由来であるであるそうな(「コトバンク」より)。


当然に信仰対象でもあろうという山ながら、翌日に西武秩父駅近くで撮ったこちらの写真、

山頂部がよく分かるようにトリミングしましたけれど、ちょいとご覧くださいまし。


武甲山頂のクローズアップ


見事に横縞模様を描いておりましょう。
北八ヶ岳 には縞枯れ現象というのが見られまして、

生きてる樹林帯と枯れてる樹林帯が交互に重なることで縞模様を描き出すという

自然現象がありますけれど、武甲山が縞模様に見えるのは人工的というか人為的というか。


何を隠そう、武甲山は石灰岩の宝庫だというのですね。
その採掘が行われているが故にピラミッドのような段々が出来、

それが縞模様に見えるのでありますよ。


携帯で撮った写真では衝撃度合いは薄いと思いますけれど、

実際に目でみるとかなり異様な光景ですね。


ところで、秩父と聞いて何を思い出すか(あるいは何も思い出さないか)は

人それぞれでありましょうけれど、浮かんで来やすいのが「秩父セメント」でもあろうかと。


まさに武甲山から切り出した石灰を材料にセメントを製造するため、
1923年(大正12年)に設立されたのが秩父セメント株式会社で、
後に小野田セメント、日本セメント(旧浅野セメント)と合併して太平洋セメントとなり、

秩父の工場はその傘下の秩父太平洋セメント株式会社となっている…ことはともかく、

秩父でのセメント産業は続いている。


他に三菱マテリアルの工場なんかもありますし、

つまりは武甲山は今でも日々削られているということでしょう。


敬われるお山は我が身を削って秩父のために尽くしている…

てなふうな言い回しも見かけましたが、目立つだけに、見るほどに痛々しい姿であるなと。


ところで、秩父という地域は武甲山の石灰に限らず、資源が豊富な土地柄であるようで、
古くは708年(和銅元年)に和銅(Wikipedia曰く「純度が高く精錬を必要しない自然銅」)が産出され、
それを用いて日本で最初の貨幣である「和銅開珎」が作られたりもしている。


隣接する甲斐国の武田氏は秩父の山から金を掘り出していますし、
近代以降も亜鉛、鉄鉱、珪砂(石英)などの採掘をしていたそうな。


また、養蚕においても質の高い繭を作り出す蚕の卵が高値で取引され、
秩父往還を通じて山梨の養蚕、そして埼玉、群馬方面の養蚕を支えていたりもしたという。
そうしたことからすると、世界遺産に登録された富岡製糸場があの場所にあるのも
何やら関わりがあることなのだろうと想像されてくるわけですね。


ですから、江戸期に米で納めるのが当然であったろう年貢を、

秩父では米で納めたことが無いのだとか。
産業によって得られた現金で納付していたそうでありますよ。


というような過去の栄華はあったものの、果たして今は?…と思っていましたけれど、
どうやら個人的には預かり知らないところで秩父がクローズアップされてもいたようで。


2011年にTV放送されたというアニメ、

「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」(通称「あの花」らしい…)が人気を呼んだらしく、

舞台である秩父市には聖地巡礼(?)で訪れる観光客もいるようなのですね。
今でもこんなラッピングバスが走っていたりしますし。


秩父を走る「あの花」のラッピングバス


アニメの聖地巡礼はともかくも、
秩父には三十四観音霊場を廻る札所巡りもありますし、それなりに観光資源は豊富なのかも。

ですが、今回は秩父の市街地そのものは目的外でありまして、
そそくさと町とその向こうの丘を越えて、車は目的地へとひた走るのでありました。


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