髪を切ってきたのですね。
前回は北ドイツ紀行 に出かける直前くらいでしたので、すでに半年余、
相当以上に煩わしい状態(傍から見れば大変にむさ苦しい状態)になっていたわけですが、
差し当たり那須 の行き先がとっても寒そうなところに思えたものですから、過ぎるまで待とうと。
で、これが終わったものですので早速に。
ほぼ前回と同じ状態にもっていってもらうつもりであることに対して、
髪結いさんの曰く「半分くらい、ばっさりですね」と。
むさ苦しさのようすをご想像いただけるのではないでしょうか。
とまれ、ざんぎり頭を叩いてみれば…ではありませんが、なんかこう新鮮な気分。
もしかして若返った?!なんつう感じもしたのでありますよ。
ですが、ここでふっと思い出したことは、
むしろ「髪が長いということ=若者」という捉え方ってあったよな…ということでありました。
「戦争を知らない子供たち」という歌がありますですね。
といって、昨今は小学校の歌集だかにも載っているくらいですから、
おそらく知らない人はいないのではないかと思いますが、
この歌詞の中に「髪の毛が長いと許されないなら」というところがあります。
これのレコード発売は1971年の2月で、思ったよりもずっと古くないという印象ですが、
ともかく当時は髪の毛が長いことが即ち、「近頃の若いもんは…」と言われた若者の、
「しょうがねえなあ」的部分でもあったのではなかろうかと。
作詞した北山修も作曲した杉田二郎も1946年生まれですので、
まさしく「戦争が終わって僕等は生まれた」わけですけれど、
例えば20歳で終戦を迎えた人ならば1971年当時は46歳、
戦争を知ってる世代が働き盛りだったりしたわけですね。
同じ頃に放送されていたTVドラマ(例としては「だいこんの花」とか)を見ても、
戦後20数年経ってもやはり戦争の名残りを引きずってますし、
(このことを捉えて一概にいけんとは言い切れませんが)
そういう時代であったとすれば、「戦争の苦しさ、大変さを知らん若者」的な見方というのは
かなりはっきりした世代間格差としてあったのではなかろうかと想像するところです。
「戦争を知らない子供たち」の歌詞を見る分には、
穏やかな言葉使いで書かれていることもあって、
ある種、毒にも薬にもならない外見が歌集への掲載につながったりするのかもですが、
よおく考えてみると、これは先ほどいったような社会にあって、
「おれたちゃ、戦争を知らない世代ですよ」とむしろ肯定的に強く宣言しているのですよね。
「戦争を知らない」ことを否定的な側面で語るのはやめようと。
・・・と、この路線で書き進めますと不用意な深入りになりそうですので、
ちと路線変更するとして、「『いちご白書』をもう一度」という歌がありますですね。
この中には「僕は無精ひげと髪を伸ばして、学生集会へもときどき出かけた」と出てきます。
歌自体は1975年のものですけれど、タイトルにもある「いちご白書」という映画を
見に行った頃を思い返している内容ですので、
これも映画の公開された1970年当時のようすと捉えたらいいのでしょう。
戦後に押し寄せたアメリカ文化に敏感に反応したのが若者で、
いわゆるヒッピーの影響もまた若者に現れる。
長い髪というのもそうしたことと関係していているわけですね。
ですが、「いちご白書」自体は学園紛争を扱っているにせよ、
この歌の主人公の場合、学生集会に出かけるのはときどきであって、
無精ひげや長い髪と同様に学生集会参加もまたファッションになっている気がします。
「僕の髪が肩まで伸びて君と同じなったら」というのは「結婚しようよ」の歌詞。
吉田拓郎はこの歌で軟弱だあとか何とか、言われたようにも聞いたことがありますですが、
これも1972年の歌で、元は反抗の表現を姿かたちで見せるひとつであった長髪が
普通にファッションとして受け止められている気がしますですね。
と、思ったよりあれこれ書いてしまってますが、
ようするにかつては髪が長い=若者であったのが今頃の若者は必ずしもそうではないですし、
(長いのもいれば、短いのも、もそっと斬新なのもそれぞれいるということで)
髪を切ったらさっぱりする、比喩的に「若返ったような気がする」というのは、
肉体的な感想としてはきわめて自然なことでもあるということになりましょうか。
ま、どうでもいいことを長々書いてしまって・・・(笑)。
おっと、この際ついでにですが、
「『いちご白書』をもう一度」の歌詞を振り返ってみますと
先に引用した後に続いて「就職が決まって、髪を切ってきたとき」とありますが、
1975年当時、もしくは歌詞の中の年代である1970年当時は
就職活動を長い髪のままやっていて平気だったんですかね。
この部分を、いったん髪を切って就職活動をし、内定が出た後また伸ばし始め、
いよいよ入社日になるんでまた髪を切ってきた…と解すべきなのでありましょうか。
そんなあまりにも説明的なことを歌の世界に求めても詮無いことですが、
ふと気付いてしまった違和感ということで…。