新潟への出張を挟んだ関係でずいぶんと時間が空いてしまいましたですが、
先日、畠山記念館 を訪ねるついでに立ち寄ったのは物流博物館カトリック高輪教会
もうひとつあったのでして、そのお話まですると取り敢えずは高輪・白金歩きは完了なのでして。


その、もうひとつと言いますのが「食とくらしの小さな博物館」というところ。
味の素株式会社が公開施設として設けた「食の文化ライブラリー」の一部であるようです。


味の素・食の文化ライブラリー


同社の元は鈴木商店ということですが、どうやら最初は薬品のヨードを扱っていたそうな。
海草つながりで、その鈴木商店の鈴木三郎助と

帝大教授で昆布の旨味を研究していた池田菊苗とが出会うことになったという。


池田先生は「湯豆腐に昆布を入れると何故旨いのか」を研究して、具留多味酸(グルタミン酸)を発見、
食べ物がおいしくなる調味料として売り出そうとして引き受け手を探したですが、
鈴木三郎助しかいなかったということらしいですね。


世界初の旨み調味料と言われても誰にもピンとこず、「味の素」とネーミングして売り出したものの、
売れないばかりか、水に溶いて洗髪に使ったりする人やスポンジに沁み込ませて顔をはたく人などが出る始末。


それがあらゆる手段を使って広告宣伝に努めた結果、徐々に何たるかが知れ渡り、
一家に一本、味の素があるような時代を子供の頃には送ったですね、個人的には


味の素・昔の商品ラインナップ

ですから、こうしたパッケージには「三丁目の夕日」的懐かしさを覚えますですねえ。
ところが時を経て、食が多様化する流れの中では段々と頼られることもなくなってきたでしょうし、
また、池田先生が研究していた頃には思い寄らない「体に悪い」とされる説も出てきたりする。


まさに「三丁目の夕日」的な時期に学校給食で毎日マーガリンが供されたですが、
近頃はトランス脂肪酸は体に悪いからマーガリンはダメ!と言われるようになった類いでしょうか。


「味の素」に関して言えば、「摂取してはいけん」という説、「過剰に摂取しなければいい」という説、
「問題無し」とする説、いろいろあるようで、それ以上のことを言える知識は持ち合わせていませんが、
とにかく昔のように「味の素」が置かれた食卓を見つけることが難しくなっている現在、
味の素株式会社としても企業ルーツの商品(無くなってはいませんが)にばかり

頼ってはいられないのでしょう。どんどん商品開発を進めたようでありますね。


味の素・その後の商品ラインナップ


ところで、いかに企業博物館とはいえ、自前の商品を並べるばかりでは余りに工夫がないわけでして
小さいながらも「食とくらし」を標榜している以上は、くらしの変遷も分かる展示があるのですね。
もっぱら家庭の食卓を再現したものですが、まずは昭和10年(1935年)頃のようすです。


昭和10年頃の食卓@食とくらしの小さな博物館


真ん中に円形の卓袱台が置かれて「ああ、なるほど」と思うところながら、
これは決して古くからあったものではないそうですね。


江戸期から続く銘々膳に代わって、卓袱台は明治30年代後半から都市部のサラリーマン家庭に導入され、
大正時代末から1925年頃にかけて全国展開となったのだとか。


きちんと正座して食べる、箸の持ち方は正しく、食事中の会話は禁止といった
江戸期以来のしつけが残されていたものの、銘々膳とは違って家族で囲む卓袱台の特性から
食事のときにも何くれと語りあう団欒へと推移していったようです。


昭和35年頃の食卓@食とくらしの小さな博物館


続いては昭和35年(1960年)頃のダイニングキッチンのようす。
日本住宅公団が集合住宅(要するに団地ですね)の供給を始めたのが1956年だそうでありますよ。


寝るための畳敷きの部屋とは別にダイニングキッチンなるものが登場し、
わざわざ卓袱台を片づける必要がなく、テーブルと椅子が据え置きとなったわけです。
それでも、当初は肘をつかない、足をそろえて…といった家庭のしつけは生きていたらしいですが、
TVの普及による「ながら食べ」の常態化がなしくずしの元でありましょうか。


昭和60年頃の食卓@食とくらしの小さな博物館


お次は昭和60年(1985年)頃のようす。システムキッチンが導入されています。
見た目のハイカラ化度合いとは裏腹に、世の中がどんどんせわしなくなって、
夫婦共働き、子供も塾通いと食事が「弧食化」とも言われる状況に。


こうした流れを辿って見ますと、確かに電化製品が増え、
そして新機能が搭載されて便利になったのは間違いない。
そして、一汁一菜が基本とされたところから、おかずが増え、洋食も普通のこと、
朝がパンというのもまま見られ…と食は豊富になったわけですね。


ですから、全面的に昔の方がよかったなどと言うつもりは毛頭ないものの、
それでも何か置き忘れてきてしまってはいないだろうか…と思うのでして。


おそらくこれまでは前へ前へと走るので精一杯だったのでしょうけれど、
ちょっと立ち止まって振り返ってみる。

それが、それらしき映画を見て「懐かしいなぁ」とかことではなく、

もそっと本質的な違いを考えてみるようこととして。