武蔵府中熊野神社古墳 が造られたと推定されるのが7世紀中頃。
はてその頃奈良の都ではどのようなことが…?といっても、
藤原京から平城京への遷都は710年ですし、752年の大仏開眼供養から物語は始まりますので、
熊野神社古墳の成立よりはちいとばかり後のことではありますね、「緋の天空」の物語は。


緋の天空/集英社


645年の大化の改新で、中大兄皇子ととも蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足。
以降も重臣として活躍するわけですが、後に藤原姓を賜って藤原氏の祖となるわけですが、
壬申の乱を経て一端は閑職に留め置かれていた鎌足の子、不比等の時代に勢いを盛り返すや

藤原氏の権勢は確固たるものに。


元明、元正と女帝が続き、藤原氏に政をいいようにされてんでないの?、
つまりは皇族たる自分たちをないがしろにしてませんかね…と
敵意むき出しの長屋王が陰に陽に打倒藤原氏を掲げているような中、
皇太子たる首皇子(おびとのみこ、後の聖武天皇)の后となっていく不比等の娘、
光明子を主人公に話は綴られていきまして、やがては天皇との間に生まれた阿部内親王が
孝謙天皇として女帝の系譜をついでいく…。


世の闇に光を照らすようにとの願いが込められて、その名を与えられた光明子自身も
いささか気弱な聖武天皇を助けて、女性ならでは目線の政に参画していくわけですが、
この「女性ならでは目線」的なことは今の政治にあってもよく言われるような。


ですが、古来から洋の東西を問わず、大地母神的な発想はあったものとも思われますので、
むしろ当時女帝が存在すること自体は大きな驚きで迎えられるものでもなかったのではと
想像するところでして、むしろその後にいつのまにやら作り上げられた男社会目線の延長にある
現代の考え方で見ると、女帝やら女性が政に関わることやらに何らかの説明めいたものが
必要になるとも考えられようかと。


とまれ、何分昔々のことではっきりしない部分は作者の想像に委ねられるわけで、
ここでは作者の葉室麟はこう考えたとなりましょうか。


数年前にNHKで「大仏開眼」というドラマ(これの主人公は吉備真備)が放送されましたですが、
この中での光明子はもっぱら藤原氏の権勢に固執する気の強い人物として描かれていたような。
演じる浅野温子さんがしっくりきていたとなれば、さもありなむ…かも。


それがここでは一変して、健気にもさわやか、またしっかり芯も通ってと、
一辺の主人公たるにふさわしい存在となっておりました。


父・不比等と長屋王の諍いの下にあって、

長屋王の息子である膳夫(かしわで)と交わす淡い恋情は
あたかも「ロミオとジュリエット」もどきでもありましょうか。


しかしながら、藤原氏を背負って皇太子と結ばれるべきことを自らの運命であることも
信じて疑わない光明子ですから、シェイクスピア劇のように

駆け落ちだぁ、心中だぁとはなりませんけれど。
(ここでもまたブッデンブローク家 のアントーニエが自分の立場を考える辺りを思い出します)


生まれたときから母親と引き離されて、ひと目たりとも逢うこと叶わず…といった惑いを抱え、
また気質的にも弱いところのある聖武天皇をひたすら立てていくあり方なども、
実に女性ならではという雰囲気を醸しておりますね。


文中に中国の玄宗皇帝は「女帝は好ましくない」と考えている…てなことが
遣唐使の伝聞として語られるところがありますけれど(どこまで本当かは分かりませんが)、
これは「武韋の禍」を間近で見て来た玄宗皇帝だからこその言葉でもあろうかと。


とはいえ、当時の文化的先進国でおよそ倣い習うことばかりの中国の皇帝の言とあっては、
気に掛けずにはおけないところとなって、光明子としても聖武天皇を差し置いてしゃしゃり出るようなことは
自重したのかな…と思うと、健気なさわやかさに水を差すことになりましょうかね。


あれこれ言いましたですが、一編の物語として見た場合には読後感もよろしく、
「あをによし~」的な気分になりますですよ。