堀割や石垣をぐるり廻らせた駿府城。
かつてここを支配した今川氏の頃には、いわゆるお城ではなかったようですね。
武田信玄が甲府に構えた躑躅ヶ崎館のように、居城というより居館といったような。
それを、いわゆるお城らしいお城に造り変えたのが、この人でありました。


徳川家康像@駿府城本丸跡


鷹狩りの途中でもありましょうか、鷹を手にした立ち姿は

静岡駅前で見かけたもの よりも格段に立派。
ちと持ちあげすぎではと思える姿で、駿府城本丸跡に立っておりましたですよ。


まさに駿府城の主は家康と思うところですけれど、

まあ当然に紆余曲折はあるわけでして、武田氏 を追い払った翌年の天正十三年(1585年)、
家康は浜松から居を移すべく駿府城の築城に掛かります。


されどたったの5年で秀吉から関東移封を命じられ、

駿府城の主は豊臣恩顧(中村一氏)の手に移ってしまうのですね。


家康が駿府に戻るのは、関東移封から17年後の慶長十二年(1607)年。
大御所として堂々の凱旋であったことでしょうね。


城も大修築して、聳える天守を構えた天下人に相応しい威容であったろうと

思われるところですが、どうも全容ははっきりしないようで。

たぶんこんなだったろうと想像されているようです。


駿府城天守閣模型


大御所政治の舞台となった駿府城ですから威厳を示す必要があったと思われる一方で、

外交拠点ともありますから、日本の山紫水明の素晴らしさを外国使節にも見せてやろうと

城内の一角には日本庭園を設えていたかもしれませんですね。


そんなふうに考えもしたものですから、駿府城公園内にある紅葉山庭園とは

そのまんま再現とは言わずとも当時の城内庭園を模したものかと思ってしまった…

ところがそういうことではなくって、駿河の名勝のイメージを配して

独自に造られたものなのでありました。


紅葉山庭園入口


決して広くはないものの、大きな池を中心に置いた回遊式の園内は、
歩を進めるごとに里の庭、海の庭、山の庭、山里の庭と

眺めが移り変っていく趣向となっているそうな。


紅葉山庭園全景


駿河の名勝を配したとあって、三角形のお山は富士山であろうとすぐに分かりますが、
色合い的にはどうも伊豆の大室山を思い出させてしまうような…。


富士を模した築山


まあ、富士を差し置いて大室山のはずもないわな…と思いましたが、

その前景に配された砂州が三保の松原を表していようとは。

確かに松がありますし、そうとなれば文句なく富士山で決まりということで。

三保の松原を模した砂州


しばし敷かれた岩の段々を踏んでいきますと、俄かに深山幽谷の趣きに到達します。
この辺りが山の庭というわけですね、滝が流れ落ちていました。


山の庭


おそらく秋であれば紅葉に囲まれ、夏だとすれば滝の水しぶきに涼を感じたりするのだろう…
てなことを思いつつ木立の中を抜ければ、先ほどの富士山に見立てた築山の間近に出、
麓の方を眺め下ろすふうになっているのもまた工夫のひとつでありましょうね。

築山側から見下ろす紅葉山庭園


最初に決して広くないと言いましたけれど、箱庭といったら小さくしすぎかもですが、
そんなコンパクトにぎゅぎゅっとした魅力と言いましょうか、
そうしたものが感じられましたですよ。


歴史的背景との関わりはなかったものの、

想像してたよりも「いいところだなぁ」と思った紅葉山庭園でありました。


茶室の庭@紅葉山庭園