読売日本交響楽団の演奏会で、ブラームスを聴いてきたのでありますよ。

曲目はピアノ協奏曲第2番と交響曲第3番の2曲で、

ピアノはかつてハンガリーの若手(?)三羽ガラスのひとりと言われたデジュ・ラーンキ、

>指揮は「何かしでかしそうな」上岡敏之さんという組み合わせでありました。


読売日本交響楽団第160回東京芸術劇場マチネーシリーズ


写真の横顔だけを見ると

「おや?こんな感じの歌舞伎役者がいなかったかな…」と思うところですが、

その指揮ぶりは極めてエネルギッシュ、情熱的なものでしたですね。


で、「何かしでかしそうな」と言いますのは、フライヤーの裏側の紹介にも

音楽評論家の江藤光紀さんがこんなことを書かれておられまして。

…解釈だって独特だ。ときに思いがけないひねり技を効かせる。聴き手は「えっ?」と思う。だがそれが結構ツボにはまっていて、「ぐっ」とくる。もう何度も聴いた曲、知り尽くしているはずと思っている曲が、そんなふうに違う表情で現れる。

しかして、その実態は?でありますけれど、実のところ

ブラームスのピアノ協奏曲第2番は数ある有名曲の中でも未だにピンとこない曲の

リスト(個人的なものです。ちなみに最高位はグリーグ のピアノ協奏曲)入りしとりまして、

今回も魅力の一端には触れたかなとは思う(この程度はいつも思う)ところどまりでしたので、

もっぱら交響曲第3番の方でのことになります。どうかご容赦を。


予備知識として想像していたほどにびっくらこいたりはしなかったんですが、

ブラームスの3番シンフォニーって、こんなに優美に流れていく曲なんだとは

改めてというか、初めてというか、思いましたですねえ。


どの楽章もフレーズのつながりがとてもしなやかで、

そういう点では上の引用にある「ツボにはまって」というのがぴったりくる感じ。


取り分け有名な第3楽章では、

ともするとメロディーのひと山ひと山を「あ!音符を置きにきてる…」みたいな

(踏切前の一時停止で止まるような止まらないような)ふうに聴こえてしまうようなことが

あったりしますけれど、ここではそうしたことが全くない。

ここでも音楽は実に実に優美に流れていくわけです。


ちなみに「有名な第3楽章」と言いましたけれど、

これはイングリッド・バーグマン主演の映画「さよならをもう一度」で使われて以来でしょうか。


さらにちなみにですが、この映画は

フランソワーズ・サガンの小説「ブラームスはお好き」の映画化ですから

ブラームスの曲が使われるのはもっともなことながら、

小説の中でブラームスの曲として印象的なのは弦楽六重奏曲ではなかったかと。


…とすっかり余談ですが、交響曲第3番に戻りますと、

最終楽章もうっかりすると力任せなままに進んでしまいそうなところですけれど、

(ここでもエネルギッシュで情熱的なタクトさばきではあるものの)

流麗さはそのままに保たれて、だからこそ全曲が終わったときの余韻の長さが

活きてくるのにもつながったのでしょうね。


ときにこの余韻の部分、最後の一音もとうに消えてしまったろうと中でも

タクトが下りないでいる間の長かったこと!

チャイコフスキー の「悲愴」でもここまでもたせるのは少なかろうと思うほど。


それだけに誰一人としてフライングに走らず、静かに波が巻き起こるように拍手が湧いてきたのは

本当によかったなぁと。こうでないと締めくくりに後味の悪さを残してしまいますものね。


こうした演奏を聴いて、指揮者・上岡敏之の「何かしでかす」やり方は

必ずしも奇を衒ったものばかりというのでなく、いろいろあるんだなぁと思ったですね。

おかげで、新鮮な気持ちでまたブラームスが聴けそうな気がしてきたものです。