オスロ市庁舎 を背にして海に向かって右手前方あたり。
半島状に突き出したビグドイと言われる地域でありまして、
博物館がいくつも集中しているところなのですね。
ここを訪ねるには
市庁舎広場前の桟橋からフェリー(渡し船というのが正確か…)で渡るのが推奨ルートのようですけれど、開館時間がいちばん早い博物館は桟橋からいささか奥まったところですので、
フェリーは帰路に乗るとして往路は中央駅 前から30番のバスで向かったのありますよ。
朝の通勤ラッシュと思しきオスロ中心部のもたもたを抜けて、せいぜい20~30分、
そんなにかからなかったかもですが、そのくらいバスが走るとすっかり山里に来たかのよう。
やはりオスロはコンパクトな街のようです。
といって、東京が巨大すぎるのでしょうけれど。
とまれ、ビグドイ地区でいちばん開館時間が早いヴァイキング船博物館(Vikingskipshuset)へ。
夏場だけとはいえ、朝9時にオープンするという稀有な?博物館。
建物はあたかも十字架を模した形になっていて、こんなふう。
この図のB、C、Dの位置に3箇所で別々に発掘されたヴァイキング船が展示されているのですが、
建物が十字架状と言いましたけれど、考えてみればヴァイキング時代には
キリスト教の受容はなされていたんでしたかね・・・。
ちと複雑な気がしないでもないですが、それはともかくとして、
こうした空間が必要なほどに大きな船なんですねえ、ヴァイキングの船というのは。
例えばセーヌ川を遡ってパリにも進攻した…てな話などを聞き及ぶ限りでは、
ここまでの大きさは想像を上回るところでありますよ。
これは展示されているうちでもっとも早く発掘されたらしい「Tune Ship」。
そして発掘時のままに展示されているようですけれど、
リアルな反面、残骸のようでもありますですね。
お次の「Gokstad Ship」は西暦890年頃に建造されたようですが、
900年頃には実力者の埋葬用に使われたとのことなのですね。
そして、いちばん保存がよい状態で発掘されたのが「Oseberg Ship」。
建造当時に近い形での復原が可能だったということになりましょうかね。
この先端の飾りなどは、実用本位でないものと感じられるところではないかと。
こちらもやはり埋葬船として使われたそうですが、
それぞれの墳墓からは数々の副葬品もまた発掘されていて、
それらは博物館の一番奥(上の図でEのあたり)にたくさん展示されています。
そして、そうした中にもやはりこの渦巻き模様の品が。
よおく解説を読まなかったので、これ事態が副葬品なのか、
実は船の本当の先端部なのかはわからないのですけれど、
ヴァイキングにとってこの渦巻き形はさぞかし意味のあるものだったのではないかと思うところです。
それにしても、船自体は俯瞰して想像がつくものと思いますが、実に喫水が浅い構造ですよね。
これでよく大洋を越えていったなぁと思う一方で、快速性という点では「速かったろうなぁ」とも。
とまれ、この後に訪ねる博物館でもって、こうしたヴァイキング精神とでも言いましょうか、
ノルウェー人の冒険家魂の数々を知ることになるのですが、それはまた後のお話ということで。