「蟋蟀の欺瞞」
 
一度しかないこの時間 一生さうして耳掻きで砂を運ぶやうなことをするなんて
と蟋蟀はいつも笑つてゐた。

少したつてふと周りの者を見渡すと
耳掻きで運んだ砂山はバケツ一杯くらゐに成つてゐた。
嗚呼 情けなくて嗤つちやふね。あんなに時間をかけてそんなもんだ。その間澤山もつと樂しいこともあらうに

幾たび季節は巡りゆき蟋蟀も昔ほど跳べなくなり聲も小さくなり さう老いたのだ
ある時から周りを見なくてすむやうに
うえいうえいとその場しのぎの宴に身を置き 
ひゆうひゆうと上邊だけの熱狂に身をやつした。

やがて最後と成らう冬を迎へた
吹雪の中 見やれば 砂山は大きな山に成つてゐた。

凍える風のなか
蟋蟀は聲を振り絞つた
「これが私の望んだ生き方なのだ」
然しその聲はつもりゆく雪に吸ひ込まれ
蟋蟀は己に放つた最後の欺瞞の行方さへ見屆けることは出來なかつた