人様は

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それはもう狂言囘しとは言へないやうな虚ありき

それを目の前にしたときにそれぞれの人樣のありようが見えるのではないかね
最初は驚き そして信じる
やがて目の前に眞が現れた時のことだ

 

そこにそれぞれの人樣が現れるやうな氣がするんだよ

そつと小石ををいて立ち去る人

離れた場所から觀察する人

その眞のほどを默つて檢證する人

變はらず接するもそれを面白がる者

 

それがその人の人樣であり美學なのであらう

何のためにその虚が宙に漂つたのか知らねども
裁くのは天であり
罰するのは地であることに變はりはなし

 

己は誠實に生きてゐればよいと思ふ。
そしてさう云ふ日常が暮らし向きと言ふのだらう。
 

ここで流れる時間は己だけの人生であり舞臺なのだから
それに囚われずを怒ることなく
嗤うことなく
祈りを持つてすぎ去ればよいと思ふのだよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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刹那のダンス

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悲しさに嗚咽する夜も
怒りにのたうちまはる夜も
嫉妬に身を燒き焦がす夜も
非力に己を責め立ち盡くす夜も

見上げれば ああ 滿天の星
 

嬉しさに彈けてしまひさうな夜も
樂しさに永遠に時間が止まればいいと願ふ夜も
愛しさに心沁みる夜も

 

見上げれば ああ 滿天の星
 

どんなときも宙は何も變はらず
唯々 そこに在る
かやうに僕らはちつぽけであるのだ

 

あの見えてゐる光は
數萬年かけて僕らの目に入つてゐる
だからあの星は現在ないのかもしれぬ

ちつぽけな僕らのかやうな心模樣も實は無いのかもしれぬ
「在」と「無」のすき間で僕らはただ踊つてゐるのだ
ならば
何にも囚われることなく
己のダンスを
己のために踊らう

なぜならそれが一番美しい舞であるからだ

宙からみたら刹那でしかない僕らの生のために
美しく踊るのだ
           Cに捧ぐ
 

 

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悪趣味

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だつてキミ 藝能とはもともとさうぢやないのかね?

異形な者 怖いもの・・・際物見たさのやましい心

 

日常とは違ふそこにある怪しいもの
それを見たいつて云ふ人間の業を安全にそしてその時間だけお足を拂つて見せて日常に還らせてくれる

それが始まりだつたんぢやないかと思ふんだよ

 

甘木先生はコレクションの「見世物小屋繪」の畫集からこちらを見やり言つた。

そのうちにその好事家の中からそれを解説することを生業としたり
本筋ぢやないところを見つけて粹がつてみたりね。
さう云ふ觀點から言つたら僕は本筋ぢやないところを樂しむいけずな客だな。
えつ?どう云ふことかつて?
だつてキミ 思ふだけでたまらないよ。
たとへば二つ目あたりの賣り出しの噺家
姿も良いんだ。まあ高坐に上がるだけで贔屓のご婦人は色めき立ちます。
敢へて人情噺なんかぢやなく滑稽噺なんぞかけるのもまたいいんだが
やつてるうちに當人氣持ち良くなつて舞ひ上がつてくる
最後は結構な落ちがあります。
「ああ。この落ちはすげえんだ。早く言ひてえ 言ひてえ 言ひてえつたらたまらねえ。みなさん大爆笑だよこれあ!ああ たまんねえな」なんて噺家の心が騒ぎ始めます。
その時に・・ひくつきますな。もう それを見逃してはいけません。小鼻がひくひく
それを見て「うんうん」なんぞ酒のつまみに悦に入るこんないけず。
また藝人だけぢやなくてね。キミ
その勝手連つて云ふか贔屓を束ねてゐるやうな方。
これがまたいいんですよ。
「あたしやあ何もすき好んでかう云ふ立場に成つたんぢやなくて一贔屓です。ですがみなさんがぜひあなたが束ねてくれないとどうしやうもないなんておつしやるもんですからね。まああたしでよければつてえことで。本當は一人でその世界に滲つてゐたいのですがさうさせてくれねえもんで」っていう。

で。その一團で特別な立場の贔屓頭つて感じでね。
頭だけあつてやつぱりキミ その藝人の藝はまうすつかり入つちやつてますから
件の噺家の小鼻がひくつつ ひくつつとすれば
その贔屓頭の小鼻もひくつつ ひくつつと

そして贔屓頭とその次の二番手の方との目に見えない牽制の空氣が流れるもうこれは
ああ。
なんと云ふ
美中の美
それは高坐と客席が一體に成つた大いなる藝術が生まれます。
それを自分だけが一人 蚊帖の外から覗き見る
こんな悦樂はありませんよ。

 

「先生も惡趣味ですなあ」

いやいや だからキミ
藝事はすべて惡趣味を見たいと云ふスケベ心から昇華されたものだと言つたぢやないか。
と。甘木先生はまた畫集を見やるのであつた。


 

 

 

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