誰かと一緒にゐないとても不安
仲間と言ふ人たちと觸れてゐないと不安

 

それは誰にでもあつたことだらう

でも一寸考へてみてほしい
絶對的自由
衝動的自己肯定
それから避けてゐないかい?
流れに乘つたり世間の記念日に「さうすること」がとり敢へず安心つて思つてゐないかい?

 

さうなんだよ
さうして己を何かに投影して安心してしまふんだ

 

キミにとつてキミがキミであるため一番の贅澤なことつて
なんだらう?
 

誰かに見せつけるうわべの暮らしぶり?
誰かに見せつける地位?
誰かを臥せさせる「持つてる」こと?
だから常に誰かと云々が安心?
 

本當の贅澤な時間と言ふのは 吾だけの考へだが
たつた一人で過ごす時間
全ての媒體も絶つてたつた一人でゐる時間
大勢の誰かの意見や
見せかけだけの喧騒もいらない
生まれてきたときのやうにたつた一人の時間
 

今の己は己のなりたかつた自分であるのか?
その先の自分はどうなつているのか?
何かと比べて上に立ちたいがために虚に陷つていないか?
誰もいない 何の音もない闇で 己に問える一番贅澤な時間
それは孤獨とも言うだろう
 

でわ。孤獨は惡なのか?
それも問うてみればいい。
見せかけの喧騒と比べて
己と
己しかいない場で己ととことん會話出來る時間のことを
それは誰にも氣兼ねすることなく
誰かの意見に躊躇することなく
誰かと比べたりすることなく
果てしなく己と語り向き合ふ時間
それは贅澤で至福な時間であらう?
その時思つたことが誰かにジャッジされるのではないかと云ふ恐れさへいらない
己と語り合つた至福の時間であらう?

一人ぼつちは孤獨ではない
Alone is not lonely
天上天下唯我獨尊

自らを痛めつけた代償は何も得られず絶望の中
菩提樹の下に坐り込んだ男が
おねいちやんの差し出す乳粥を口に含んで得た結論のやうに

それは孤獨を友として
自分だけの答へを導き出す贅澤な時間なのだ