私の夢 ハグラー対レナード パート2 | ボクシング・メタボリック

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ボクシングに魅せられて41年。阪神タイガースファン歴40年世界戦初生観戦は1983年西は熊本・福岡・沖縄とおそらく300試合は越えている。海外デラ・ホーヤとトリニダード戦を観に行っただけ。ニューヨークの殿堂はたった2回。現地速報や新聞情報貼り感想書いてます。

昨日書きました。網膜剥離すっかり忘れていたがあのレナードも患っていた。彼軌跡は多くの方がご存知だろう。1987年4月試合は行われた。その前に放送されたHBOの特番で
ハグラーのインタビューがあった「私のデビュー戦は50ドル、かれは何千ドル。なんで3年近くも試合をしていないボクサーが私に挑戦出来るんだ。彼は特別なのか?私は負けない。」
一方レナードは「これは夢だ、しかし現実になる。」つまりハグラーと戦って3階級を制覇する、という事かな?と思った。試合は接戦だったがレナード(私は3ポイントハグラーの勝ち)
試合後リングで変なダンスをするハグラー。判定はレナードこのあとレナードはハグラーに
「ヘイ、マービン、ウィ スティル フレンド?」と話しかけている。レナードも勝ったとは思ってなかったんだろなと私は思った。この試合はHBOで録画放送され視聴者のアンケ^トを先にとってあり番組の冒頭で発表されたが6対4でハグラーだった。その後ハグラーは再戦を求めるもレナードは返上しカンバック欺瞞の5階級制覇。殿堂では2人が接触しないように関係者が気を遣っていた。2人も言葉を交わしたシーンは私は見なかった。
レナードに話しかけた。「私はあなたに会うのが夢だった」と彼は「じゃ次の夢は?」と聞いてきた「今は無い」と答えると。ウインクして笑い「早く次の夢をもってかなえろ。」といってサインと写真を撮ってくれた。いまなら「あなたとハグラーの再戦が見たかった。」といっていたかな?
注 当時私はアメリカにいましたがテレビの訳は自分なりに訳したところもあると思います。