祇園祭というと、宵山とか山鉾巡行だけを指すと思っている人も多いけど、7月いっぱいが京都の祇園祭りなの。
7月に入ると、すぐに赤と白の提灯が飾られ、八坂神社へのご献灯も飾られる。
そして、各鉾のお囃子の練習も始まるの。
あの「コンチキチン」のお囃子が京都の街に響くと夏本番!と感じるもの。
そんな17日はクライマックスの「山鉾巡行」。
これが休日と重なるとえらいことになるんだけど、平日あっても、関係なく、人、人、人なのよね。
↑こちらは宵宵山に、車中から撮影したもの。
↑こちらは「山鉾巡行」をTVで放映している(全国で観られるはず)ところ。液晶を撮したもの。
何と言っても、お稚児さんの「注連縄(しめ縄)切り」は必見。
太刀で切る瞬間はいつ見ても緊張する。
そして、「辻回し」。あの大きな鉾が、青竹と水と人力よって、交差点を回る所は大迫力。
↑「くじ改め」。
生稚児の乗った長刀鉾は先頭と決まっていて、あといくつかの山鉾も決まっているけど、その他は、7月初めの「くじ取り式」で巡行の順番が決まるのね。
今年は「芦刈(あしかり)山」が「山一番」になったわね。
あとは、中継で欠かせないお方。市田ひろみさんです。
お会いしたこともありますが、あのまんま、面白い方でした。
というわけで、我が家の恒例の「祇園祭」の楽しみ方は、宵宵山あたりで車中から、山鉾を観て、「山鉾巡行」はTVで観るという、今年もお決まりだったわ。
因みに、今年の「お稚児さん」は、京都の老舗和菓子(くずきりで有名ね)の「鍵善良房」の長男(ぼん)だった。
いつもはダム小(ノートルダム小学校)が多いけど、今年は市立の小学校だね。
お父様もかつて務めたことがあるそうだから、それもおめでたいことだと思う。
とてもお金もかかるけど、こうして山鉾の保存会(財団法人など)があるおかげで、現代になってもこの見事な祇園祭を観ることができるのは素晴らしいことだと思うな。
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↑そんな宵宵山あたりに出かけた時のLOUIS VUITTONコーディネート。
車で移動するだけなので、浴衣は着ないで。
ただ、LOUIS VUITTON メンズコレクションの小物の「カメ×クマ」の稀少なブローチのうち、縁起物のカメは忘れんよう、つけて。
↑こちらも考えたけど。
LOUIS VUITTON2009春夏コレクション・プレヴュー(ショー&受注会)での顧客間「取り合いプレタ」にショートパンツ。
↑こちらも。
↑あとは、リトルブラックドレス。
そこにLOUIS VUITTONのコレクションバッグ「ハロ」(ペッシュ)かまたはミロワールゴールドか。
↑またはLOUIS VUITTONの真っ白な半袖ニットとカーディガンのセット。
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そう言えば、いつも、祖母の贔屓の呉服屋さんが実家に来ていたわ!
いくつかの反物を見せてくれ、その中から好きなものを選んで、あとは小物なども選んだなあ。
浴衣は毎年祖母が縫ってくれて、お出かけしていたの。
その呉服屋さんの長男とは小学校以来の幼馴染みで、親同士は勝手に「将来は…着物の世界に!」などと話していたそう。私は勉強好きだったから、着物の世界を極めてもいいと思ってみたり。
でも、その長男であった彼は、私が17歳の時に、白血病で亡くなってしまった。
私は、それから着物に袖を通すのが辛くなって、いつも泣いてしまう。
彼のお通夜の時、彼のご両親が「Joaillerieちゃん、どうかあの子の分も生きてやってね」と、私を抱きしめて、泣き崩れたのを忘れることはない。決して忘れない。
涙に「忘れようとする涙」と「記憶しようとする涙」があるとするならば…。
「記憶しようとする涙」。
それでも、その時の私は混乱していて、「彼を失って、どうやって彼の分まで生きるればいいのか」、そう感じた。
そして何年も経った今、いまだに彼の不在を感じている。穴が空いたまま。
しかし、その不在という穴が、彼の生きていた証拠。彼の存在でもある。
私は彼の存在を、彼の不在で感じる。
こうして、私は研究者になることを決意したのだと思う。
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祇園祭は神に捧げる儀式。お稚児さんは「神の使い」、「神の化身」。
今年も京都の街を(全世界を)お守りください。
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↑いつものLOUIS VUITTONのVIPルームにて 店長さんをはじめ、担当さん達とも出会ったのも、運命のひとつ。そしてこんなにいつも温かく迎えてくれることの嬉しさ。
VIPルームだからこそ、話せるプライベートな話で、本当にアットホームなの。
この温かさ、大切にしたい。
いつも私たち夫婦を大切にしてくださってありがとうございます!
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